11、虚実の宵
「どうぞどうぞ、おかけ下さい。お茶いかがです? あ、確か甘いものもあったと思うのですが」
クラウスは白磁の丸いカップを手早く揃えて、にこにこと見慣れないお菓子を出してくる。
連行された凪屋の一室は、完全な異国だった。
黒いテーブルには、変わった形のランプが一つ。
窓の日覆いは、細かい木で組まれている。
勧められたソファにも、見かけない模様の柔らかい布が掛かっていた。
「外国には、あまり行かれませんか?」
「はぁ」
「私の母は…、隣国の生まれでして。血ですかね、落ち着くんです。凪屋さんがご厚意で誂えて下さって」
ということは、そもそも滞在場所はGDUではなく、凪屋に決まっていたと言うことだ。
ねえ、と彼は王子らしからぬ気安さで、隣に座った姫に同意を求めた。
ポートリエ姉妹から連絡を受けたのだろう。
GDUから戻って来たと言う彼女は、呆れたように微かに息を吐いて「話が変わっています」と指摘した。
そして長い髪を背に流して、フィルに向き直る。
「…試合の後に、すみませんね。お弟子さんは?」
「さっきちょっと体調悪そうだったので、あの二人に任せました。あまり広めたいお話でもなさそうですし」
リーゼは渋ったが、流石に凪屋で滅多なことはないと思ったのだろう。
口止めされてくるだけだから、と前置きして、
「せっかく凪屋に来たんだから、二人に案内してもらえば? デザートカンパニーもそうだけど、ここは滅多に入れねえよ?」
と、フィルが軽く勧めると、とりあえず納得したようだった。
更に姉妹が「それなら!」と意気込んだので、最後は半ば引き摺られるように行ってしまった。
イリアは頷いて、微笑む。
「そう。あの子たち、凪屋の次期エースなんて言われて周りに一目置かれているから、同世代の友人があまりいないようで。あのお嬢さんが、良いお友だちになってくれたら嬉しいです」
「…そーですね。うちも二人きりなので」
リーゼに切磋琢磨する同僚とやらは、作ってやれそうにない。
イリアは「では」と空色の瞳を、優雅にティータイムを楽しむクラウスに向けた。
「私から、さっさと説明させて頂きますね。殿下が話されると、長くなりますから」
「姫は本当に、気持ちの良い話し方をされますね。私も」
「お察しの通り、あまり良い話ではありません」
無視して、進めた。
良くあるんですよ、こういうことは。
クラウスはそう言ったが、このご時世に陰鬱な話もあったものだ。
ガーデニアの大会を観戦する第七王子の暗殺。
それを仄めかす脅迫状が、ご丁寧にGDUに送られて来たと言う。
王族という立場に加え、クラウスの母は外国の出身。
その悶着は彼が王位継承権を放棄することで終わったはずだが、未だに思い出したように標的にされることがあるそうだ。
「母もそういうことには慣れっこで。親子で気にしない癖がついているんですよ。だから、GDUにも大袈裟に考えなくて大丈夫です、とは言ったんですけれど」
クラウスはそう口を挟んだが、GDUとして堪ったものではなかったのだろう。
万が一にでもガーデニアの行事に参加した王族が暗殺されたなんてことになったら、今度はGDU解体どころでは済まない。
1stたちが緊急に集まり、対策を練った。
そして、大会中はイリア・リリエルがその御身を守り、滞在場所も公式の発表を偽り凪屋に定めた。
「今のところ、殿下を狙うような人物は確認出来ていませんが、大会は始まったばかり。まだ油断は出来ません」
「私も大丈夫だとは思うのですが、こうして守ってもらえると安心なことは確かですから、つい甘えてしまって」
クラウスは肩を竦めて、情けない表情で笑う。
慣れてはいけないことに、慣れてしまった人だ。
イリアも彼の笑みを見て、そっと眼を伏せた。
「…事情は、わかりました。口外しないとお約束します」
「ありがとうございます。この話は、GDUの上層部と1stしか知りません。すみませんが、お弟子さんにも、内密にお願いします」
「はい。……――は?」
フィルの問い返しに、イリアは「言った通りです」と頷く。
「てことは、ポートリエ姉妹も知らないってことですか?」
「そうです。殿下は嘘の事情で、凪屋にご滞在されていることになっています」
「私が凪屋の姫と良い仲で、ってことになっているんですよ。実際こんな素敵な方ですから、あながち嘘ではなくなって」
「下世話な事情をでっちあげましたが、同じような説明をお弟子さんにもして頂けると助かります」
また、無視した。
フィルは「構いませんが」と答えて、イリアを見つめる。
「―――本来の事情を、何故俺に?」
GDU上層部にも、1stにも、フィルは属さない。
二人の恋物語で、フィルも十分に納得したはずだ。
「…貴方だからですよ」
イリアの返答は、静かだった。
「フィルくん。私は、もうその束縛は、終わっても良いと思っているんです」
彼女の視線が、フィルのタグを掠める。
終わっても良い。
その意味を理解しても、今更強い感情は湧かなかった。
ただ、その言い方は。
不愉快だ。
「貴方は、修羅場を潜っている。本当の事情を説明したのは、他でもありません。貴方は大会の参加者。もしもの時、力になって欲しいだけです」
「…随分と、勝手を言いますね」
「勝手は十分承知です。そもそも、『私たち』は、貴方に勝手しか言っていませんから」
やり取りを静観していたクラウスが、納得したように一つ頷く。
「…なるほど。先程姫が本来の事情を話すと言った時は驚きましたが、色々、あるようですね」
「ええ。彼は以前、規約を破って行動した」
彼女は、言った。
止めようとしたフィルに構うことなく、何故か痛みを堪えるように瞳を伏せる。
「本当に、とても下らないことで、彼は罰を受けているんですよ」
凪屋の姫は、フィルではなくクラウスを見つめる。
波打つブロンドの髪が、その横顔を隠した。
「……専用の檻があって、とても綺麗な砂獣がいたんです。前夜祭のための獲物だったそうなんですけど。私、図鑑でも見たことなかったです」
トラムを待つ、束の間。
心地良い夜風が興奮気味のリーゼの髪を揺らす。
行儀良くベンチに腰掛けてはいるが、凪屋見学は相当に楽しかったようだ。
「アクアさんとアロアさんも、捕獲に関わったんだそうですよ。額の角がとても高額で、値段聞いてちょっと怖くなりましたけど」
リーゼの声が遠い。
とても、下らないことで、罰を?
何故、1stである彼女が。
「…………フィルさん?」
「………」
「フィルさん」
はっと隣を見ると、心配そうな表情のリーゼと視線がぶつかった。
「悪い。何?」
「何って…、大丈夫ですか? フィルさん。その、ショックなのは、わかりますけど」
「ショックって?」
「…だから、あの二人のご関係ですよ」
実は良い仲で、という嘘。
ああ、と納得しかけて、フィルは慌てて首を振る。
「違ぇって。俺、あの人、ちょっと苦手だし」
「あんな綺麗な方なのに、ですか? え、大丈夫ですか?」
「…それ、どーいう意味の『大丈夫』?」
リーゼは楽しそうに笑った。
揺れる肩が、腕に当たる。
「それとも、リンレットさんみたいな方が好みなんですか?」
「何で、リンレット? ルレンさんに殺されるわ…」
「あ、それは言えてますね。カディさんも、大変です」
心底同情する口調が可笑しくて、フィルもつい笑う。
リーゼはふっと首を傾げた。
「ちょっとは元気、出ましたか?」
彼女はようやく見えて来たトラムの灯りに、ぱっと立ち上がる。
「明日も試合ですよ。フィルさんはリーダーなんですから、ちゃんと休息を取って下さいね。絶対、凪屋の姫に、謝ってもらうんですから」
「さっき青白い顔してたやつに言われるとはなー」
「私、体調管理はしっかりしてる方ですから。言われなくたって、今日は早めに休みますもん」
しっかりしているが、言い方がまだ幼い。
その拗ねたような返答に、フィルは笑いを堪える。
「わかってるって。そーだな、姫に、謝ってもらわないとな」
ありがとな、と心配症の弟子に礼を言う。
リーゼはふいっと、停車したトラムに顔を向けて。
「心配したくて心配してるんですから、良いんです」
謎かけのように、呟いた。




