6、凪屋の姫
「さて、私の用件は終わりましたよ。姫」
「…殿下、その呼び方はおやめ下さいと申し上げたはずです」
「これ以上、貴女に相応しい呼び名があるとも思えませんが?」
悪気のない口調だが、彼女は微かに眉を寄せた。
それは、王族に『姫』などと呼ばれたことを恥じた、というよりは、聞きわけのない相手に対する苛立ちに見える。
凪屋の『姫』、イリア・リリエル。
1stに昇格したのは九年前だから、一応それなりの年齢のはずだが。
クラウスも評した通り、今もその容姿は姫そのものだ。
彼に促されるように、イリアはすっと前に出た。
空色の瞳から、フィルは咄嗟に視線を逸らす。
「お久しぶりですね。フィルくん」
「………そうですね」
「お弟子さんをとられたとか。彼女ですか?」
フィルは後ろに隠れたままのリーゼを振り返って、頷く。
イリアは「そう」と呟いて、しんとした瞳でフィルを見た。
何か言いかけた唇を、彼女は軽く噛んで、
「それはそうと、随分、面白い試合でしたね」
と、少しだけ微笑む。
その笑みの割に、空気がしんと凍る。
「ルレンさんのところのご息女に、デザートカンパニーのエース。加えて、ウェルトットでご活躍の白焔さん」
シルトは「へえ、知ってんの」と感心したが、リンレットとカディは固い表情で姫を見返した。
「揃いも揃って、あの有り様ですか」
淡々と、彼女は言った。
あまり感情が浮かばない凪いだ瞳に、辛うじて失望が見える。
「…チームとしては、初戦です。これから」
言いかけたリンレットに、「『これから』がないこともあります」とイリアは断じた。
有無を言わせぬ鋭さ。
例えばこの一戦が。
言いたいことは、わかる。
「元凶は、一応自覚はあるようですね」
「………」
カディとシルトが一瞬、互いを見た。
けれど反論はなく、沈黙する。
1st故か、或いは本来こういう人なのか。
静かに、他を圧倒する人だ。
彼女はそしてフィルに向き直る。
「そして、貴方も。本当に燃え尽きたのでなければ、もう少しまともに戦いなさい。案内人として、恥ずかしいですよ」
それで、姫の批評は終わったようだ。
厳しいですねぇ、と姫の後ろでクラウスが眉を下げた。
フィルは無言を返したが、背後から突然リーゼが飛び出す。
「――ちょっと、待って下さい」
イリアは「何ですか?」と問う。
リーゼは肩を震わせたが、常の口調で続けた。
「…案内人として恥ずかしい、って何ですか。いくら何でも、言い過ぎだと思います」
「………」
「確かに、チームとしての戦いは反省点が多かったかもしれません。貴女の言う通り、次があることに甘えていないとも言い切れません。でも」
リーゼは言葉を区切り。
強く、言い放つ。
「でも、案内人として恥ずかしいなんて、言わせません」
「リーゼ」
彼女は我に返ったのか、俯いて、「すみません」と謝った。
謝らせたかったわけではない。
ただ、思わず呼んでいた。
「…私、何言ってるのか、全然、わからないですね」
フィルを振り返って、リーゼは困ったように笑う。
「いいよ。ちゃんと、わかったって。ありがとな」
「……すみません」
ふ、と微かに誰かが笑う。
優しい、吐息のような音だった。
次いで、冴え冴えとした声が響く。
「いいえ。私にはわかりませんでした」
そう言ったイリアは、けれどどこか面白がるような瞳をしている。
「…優勝しなさい。そうしたら、先程の発言を謝罪しましょう」
柔らかい色の唇が、ほんの僅かに弧を引いた。
何てわかりやすい、激励。
「約束です。絶対、謝ってもらいますから」
そしてリーゼが、頷いた。
「ああ、姫はやはり素敵な方ですね」
王子殿下が多少ずれた感想をしみじみを口にして、纏まりかけた話を台無しにして下さった。




