20、帰宅
多分、ウェルトットまで帰れる。
白焔の勘は、結局正しかった。
砂海にぽかりと口を開けた地下室は、その役目通りウェルトットの街中まで未だに繋がっていた。
「例の野良たちの溜まり場に似てたんだよね。コウたちを砂海に連れ出すのに使ったって考えるのが自然だし」
白焔はさらりとアルコールを呷る。
ひらりと振った手に、渋い顔をしつつ酒場の主人が追加の酒瓶をテーブルに乗せた。
「せっかく生きて帰って来たんだし、君も遠慮せず飲みなよ」
「や、俺あんま飲めないし」
時刻はすでに一般の朝食時。
風はまだ少し強いが、天邪鬼な空は腹が立つような快晴だ。
ぞろぞろと地下から這い出した時は、まだ夜明け前だった。
寝落ち寸前のコウを背負った白焔に連れられて来たのが、あの酒場。
何も言わなかったが、一応お礼のつもりなのかもしれない。
そして済し崩しに、宴会状態だ。
開店前に酒盛りなどさぞ迷惑だろうと思ったが、しかめっ面の親仁は酒の肴から年少組が喜びそうな軽食まで、黙って出してくれた。
その上、リーゼはちゃっかりシャワーを借りている。
至れり尽くせり。
白焔とコウが身を寄せているのも、納得だ。
「へぇ、そーなの? 人生の半分は損してるよ」
「……ほっとけ」
同じようなことを、ティントにも言われた。
白焔はくぅっとグラスを空ける。
飲みっぷりまで、似ている。
「んじゃあ、にいさんに代わっておれが…」
肴を摘まんでいたサナが、グラスを押し頂く。
顔色の変わらない白焔に対して、この人はかなり出来上がっている。
「あぁー…、ほんと、死ぬかと思ったぜ…」
サナはグラスを持ったまま、テーブルに突っ伏した。
カウンター近くのソファで寝ていたコウが、寝返りを打つ。
ずり落ちた毛布を、主人が渋い顔のまま直した。
「なぁ、旦那、こうして酒を酌み交わす仲になったんだしよぉ、こっそり、教えてくれたって良いだろ?」
「何を?」
「だーかーらー、旦那が『クラウン』だろって話だよ!」
サナは顔だけ上げて、未練がましく食い下がる。
白焔はちらりとフィルを見た。
フィルも、流石に肩を竦める。
「あのさ、今回の件でわかったと思うけど、僕戦闘はともかく、砂海に関してはこっちの飼い犬さんに幾分か劣るよ?」
すぱっと言い切った白焔に、サナは勿論フィルも眼を丸くする。
白焔は特に気にした様子もなく、「それこそ、証拠、なんじゃないの?」と不思議そうな顔をした。
「仮にも案内人のトップが、それじゃマズイよね?」
「…………」
果たして納得したのか、或いは聞き出すのは困難だと諦めたのか。
サナは「うう」と唸って顔を伏せた。
「ま、三流のタグをぶら下げといて、随分ふざけた話だとは思うけどね。それとも飼い犬って皆そんな凄いわけ?」
暗い灰色の瞳が探るように、光る。
「俺より凄い案内人なんて、それこそ数え切れないくらいいるよ」
ルレンを筆頭に、多々。
フィルはひょいとつまみを口に放り込んで、「それより」と笑う。
「いい加減、『飼い犬』呼び、やめてくんねえ?」
「じゃ、君も『白焔』呼び、やめなよ」
彼は「シルト、って呼んで良いよ」と、にぃっと笑った。
「ユニオンも首輪付きもクソ喰らえだけど、面白い人は嫌いじゃない。強ければ、尚更ね」
「何か…、自由だな」
「そう。気ままで良いよ? 君も首輪を捨てたら良いのに」
簡単に言ってくれる。
彼は椅子の背もたれに寄りかかって、またグラスを空けた。
良いかどうか、決められることじゃない。
こういう生き方も、ありだ。
やけ酒の末、沈没したサナに、親仁が適当に毛布をかけた。
飲み食いしながらだらだらと話していると、畳んだタオルを持ってリーゼが戻って来る。
彼女はそれを主人に渡して、ぺこりと頭を下げた。
少しばかり印象が違うのは、乾き切っていない髪のせいだろう。
「ところで、彼女とどういう関係なわけ?」
「師弟」
「へえ。てっきり、デキてるのかと思ったけど」
「シルトさん、そーいうこと言うと、噛みつかれる」
リーゼは酔い潰れたサナを避けて、フィルの隣に座った。
フィルとシルトのやり取りは幸運にも耳に入らなかったようだが、彼女は首を傾げる。
「何か、仲良くなってます?」
「仲良くはなってないよ」
「……そこは否定すんだ」
リーゼは、「いいですけど」と少し不満げな顔をした。
それから軽く手を合わせて、テーブルに並んだ軽食に手を伸ばす。
一呼吸置いて、シルトは「巻き込んで悪かったね」とあっさり言った。
リーゼはじっと彼を見て、首を振る。
「連れてかれた時のこと、覚えてる?」
そう聴いたシルトの眼は、やはり鋭い。
砂海では一蹴したが、「もう一人」のことが気にかかっているのだろう。
フィルも「撃たれた」ことは、一応彼に伝えている。
今回の件、まだ仲間がいるのなら危険なのはシルトとコウだ。
リーゼは出された冷たいお茶を飲んで、「ほとんど…」と首を振った。
「フィルさんが部屋から出て行ったのは何となく覚えています。その後すぐに鍵が開く音がして…、戻って来たのかなってぼんやり思ったんです」
リーゼは記憶を辿るように、こめかみに指先を当てた。
「……強烈な違和感は残ってるんです。フィルさんじゃないって。だから、顔を見たような気も、するんですけど」
思い出せなくて、と呟いて、彼女は「すみません」と謝った。
人質にするには手頃そうな少女に見えるが、リーゼとて案内人の端くれ。
あの地下室跡を使ったにせよ。
彼女を攫った手際の良さと、ごろつき同レベルの野良たちが、どうも繋がらない。
「あと、あまり関係ないかも、しれないんですけど…。砂海で気が付いた時、私ちゃんと砂避けのローブ着ていたんです。剣も叡力筒のポシェットも、ベルトに付いたまますぐ近くに落ちていて」
けれど、男たちの姿はなかったと言う。
シルトは不愉快そうに、鼻を鳴らした。
「むかつくね。意趣返し、というより、試されたような感じで」
「試された?」
「…簡単に復讐するのなら、コウくんだけ砂海に連れ去って、その事実を白焔さんに伝えれば良いですもんね」
例え砂海のどこにいるかわからなくても、彼はコウを探しに行っただろう。
実際、そうしようとしたのだ。
けれどリーゼを巻き込んだことで、彼女は浮標代わりとなり、同時にコウを守ることになった。
そして。
フィルの叡力銃を弾いた、何か。
シルトの命を狙うなら、彼を撃てばそれで済む。
すっきりしない。
「で、あいつらは?」
フィルの問いかけに答えたのは、意外にも酒場の主人だった。
「救護院で拘束してもらった」
低い声で言う。
対処が速い。
「良いよ。コウも顔見てないって言ってたし、探しようもない。用があるなら向こうから来るでしょ」
ただでは、おかないけれど。
シルトはそういう顔で、微笑む。
リーゼはふと、「でも、そういうことなら」とサナをちらりと見た。
「今回のこと、記事にしない方が良いですよね? 万が一まだ仲間がいたら、サナさんまで狙われちゃうかもしれませんし。起こし、ます?」
「あー」
取材が出来るのは今日までだ。
明日の朝には、ガーデニアに帰らなくては。
「ま、そこまで面倒見なくても、いいかな」
「…そう、ですね」
フィルとリーゼは数日の苦労を思い返して、頷き合った。




