17、独り舞台
「それじゃ、援護よろしく」
当たり前のようにそう言って、叡力銃を撃ったフィルの脇を、白焔がすり抜けて行く。
速い。
「うお、ちょ、旦那!」
走り続けて疲れが出て来たサナが、荒い息の合間に情けない声を上げた。
白焔を追って来た身として、見逃せない展開なのだろうが。
フィルは、半ば押しつけるようにサナに糸を渡した。
怪訝な顔をした彼に「失くすと大変なんで、よろしくお願いします」と釘を刺す。
「このままリーゼたちと合流して下さい」
「…近くで、戦いっぷりを見たいなー、なんて」
「リーゼ、コウとサナさん、頼んだ」
『…はいっ!』
暗い砂霧の向こう。
確かに手を挙げる人影。
はっきりとした返答に安堵して、フィルは文句を言うサナを置いて白焔の後を追う。
砂獣を引きつけた白焔が、その黒い胴に殴りかかった。
叡力弾で怯んだとは言え、なかなかの大きさ。
けれど一撃に、砂獣は身を捩って砂へ倒れた。
「援護、いる?」
フィルは思わず苦笑する。
すぐに起き上がろうと砂を蹴った後脚に、白焔は拳を振り下ろす。
決して、一撃の重いタイプには見えないのに。
全身のバネを使って、鮮やかに攻撃を繰り出している。
なるほど。
野良の一団など、ひとたまりもなかっただろう。
「遅い、遅い」
実に愉しそうに、彼は笑った。
体を捻って、砂獣は牙を見せる。
そのまま、前のめりに白焔に突っ込んだ。
駆け引きでもしているかのように、彼はそれをぎりぎりで避ける。
おまけに横っ面を殴って、砂獣の背後へ回り込む。
獣は、苦しげに低く啼いた。
「圧倒的じゃん。余計なお世話っぽいけど」
フィルは距離を取ったまま、叡力銃を構える。
お愉しみのところ悪いが、さっさとけりをつけた方が良いだろう。
吹きつける風を食うように、開く口。
白焔を追う、その振り向きざまを狙って。
引き金を引く、その瞬間。
きん
「っ!」
銃身に、何かが当たった。
銀色の軌跡が、足元へと消える。
衝撃で狙いは大きく外れたが、咄嗟に指の力を抜いたことで暴発は免れたようだ。
明らかに、撃たれた。
白焔は特に気にした様子もなく、砂獣の牙を躱してその首元を打つ。
彼に異変はないようだ。
「…リーゼ、周りに誰かいるか?」
フィルは叡力銃を下ろして、視線だけ巡らせた。
風は相変らず。
時折雲が切れ、月明かりが射し込む。
フィルより更に離れたところで固まっているのは、リーゼたちだ。
誰も、いない。
『いいえ、私たち以外は…』
「………とりあえず、サナさんも使って注意しとけ。誰かいたら遠慮なく叡力筒使っていいから」
返事を聞きながら、フィルはすっと叡力銃を構えた。
黒い砂獣に向けてはいるが、引き金にかけた指に力は入れていない。
何の気配も、ない。
「………」
もう一人、仲間が。
いや、けれど。
「よっと!」
フィルの逡巡の間に、白焔が勢いを失くしつつある砂獣を更に追い詰める。
援護なんてなくても、圧倒的に優勢だ。
折れた数本の牙の間から、血が滴った。
彼の武器の性質上仕方がないのだろうが、なかなか、教育上よろしくない光景になっている。
白焔の身体が、ふっと沈み込む。
ああ、決めにかかったなとフィルは静かに息を吐いた。
無駄なく飛び上がった彼は、右手を引いて勢いに乗せる。
喰いかかって来た牙を左手で往なして、かちんと空を噛んだ胴の先端を。
打った。
「…割と面白かったね」
砂に崩れ落ちた黒い獣に、話しかけるように白焔は言った。
そして銀の手甲に僅かについた血糊を振り払う。
フィルはもう一度周囲を確認してから、白焔に近付いた。
「砂獣殴り殺すとか、相当な戦闘狂だな」
「そう? 良いんだけど、これ」
興奮冷めやらぬ様子で、白焔は手甲を掲げた。
暗い灰色の瞳が、銀に見えるほどに輝いている。
「命のやり取りしてるって、直に感じられるでしょ」
親しみさえ浮かべて、白焔は四肢を投げ出した砂獣を見下ろす。
僅かに口を開いたままの黒い体は、すでに痙攣を止めて沈黙していた。
「兄ちゃーん…!」
駆け寄って来ようとしたコウが、足を縺れさせて転ぶ。
それをリーゼが抱え起こした。
サナが糸を持った手を軽く挙げて、無事を知らせる。
「コウ」
ようやく合流すると、少年は眉を思いっきり下げて白焔の脚にぎゅうっとしがみつく。
その背を、彼は少し乱暴に叩いて「何やってんだか」とぼやいた。
「…ごめんなさいぃ」
「あー、もー、いいよ。……君」
嗚咽を漏らすコウを静かに見守っていたリーゼは、突然話しかけられてきょとんとする。
「はい?」
「ありがとね」
あっさりと礼を言われて、リーゼはぱちりと瞬いて慌てたように首を振った。
「いえ、私、何も」
出来なくて。
そう言いかけたリーゼの頭に、フィルは手をやる。
ぽんぽんと撫でると、彼女は唇を噛んで俯いた。
フィルとて初めて一人で砂獣と対した時は、心底、怖いと思ったのだ。
喰われる、とか、死にそう、とか。
現実に突きつけられて、怖くないはずがない。
「ホント、頑張ったよ」
「………」
遠目に見た彼女の立ち回りは、意外なほど落ち着いて見えた。
砂獣の出方を見つつ、まず身の安全を計り深くは攻め込まない。
「教えたわけじゃないのに、いつの間にか成長してんだな」
「……自覚、ないんですか?」
「何の?」
「いいです。もう」
リーゼは俯いたまま、拗ねたようにそっぽを向いた。
斃れた砂獣を観察していたサナが、のんびりと戻って来て笑う。
「絶好のドサクサじゃねえか。クソガキみたく、ぎゅーってしちまえば良かったのによ」
「……。フィルさん、もう、行きますよね?」
リーゼはむっと顰めた顔を一瞬で整えた。
無視することに決めたらしい。
ここで言い合いを始めて良いことはない。
フィルは頷いて、白焔に視線を送る。
白焔はしがみつくコウをひょいと背負った。
「攫われた時に、薬でも使われたんだろうね。まあ、そこまで酷い影響じゃないみたいだけど」
彼は背中のコウを振り返って、声を落とす。
「薬って、リーゼは? 大丈夫か?」
「はい。私は、何ともないです」
顔色も悪くないし、あれだけ戦っていて影響も何もないか。
フィルはほっと息を吐いてから、「じゃあ、帰りましょうか」ときょろきょろしているサナに声をかける。
「は!? も、もう? ちっと待ってくれよ。この砂獣見たことねえし、ちゃんと状況をメモっておきたいってか」
まるで糸を人質に取るかのように後ろ手に隠して、サナは名残惜しげに砂獣の骸を見遣る。
「そんなことやってる暇は」
砂を叩きつけるように、風が吹く。
フィルはぱっと振り返った。
身を固くするリーゼのすぐ隣で、コウを背負ったまま白焔も闇夜の向こうを睨む。
「……え、な、何だよ、にいさん」
吸い込む空気に混ざる、気配。
叡力銃を構えて、フィルは笑った。
「あーあ、今日は随分ついてんな」
風で崩れて行く砂の彼方。
こちらを見定めて、幾つもの眼が光った。




