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ロストクラウン  作者: 柿の木
第三章
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15、呼び血




「んな道具があんだなー。案内人ってのはやっぱスゲーよ」


 感心しながら、サナは来た道を振り返る。

 ウェルトットの外門に糸をかけて走り出し、すでに街は砂煙に見えなくなった。

 雲の切れ間から降り注ぐ僅かな月明かりが、時折糸に反射する。

 行く手を照らすのは叡力ライトの淡い光。

 光は弱いが、比較的砂獣に見つかりにくい。

 それを持った白焔も、「これは便利だね」と妙に感心した。


「用意が良いね。君、砂海は夜歩きたい派?」


「違えって。備えあれば、だよ。糸も叡力ライトも普通装備してっと思うけどな」


「ふーん。僕は持ってないけど」


「持ってっと便利だよ。こういう時」


 ウェルトットまでの道程は恐ろしいほど平和だったのに、こういう非常事態に限って砂海は嘲笑うかのように風が吹き荒れている。

 繋がったままの通信にも、リーゼの声を掻き消すほどの風音が入る。

 それは酷く悲しげな悲鳴に似て、引き摺るように鼓膜を揺らした。


「……聞いてる?」


「え、ああ、何?」


 白焔は怪訝な顔をしつつ、顎で進路を指した。

 すぐ後ろで、サナが「あいつら」と呟く。

 暗い幕のような砂嵐の中を、身を寄せ合うようにして三人の男が歩いて来る。

 叡力ライトをフィルに押しつけて、白焔が先に出た。

 向こうもこちらには気付いたようだが、そのまま、のろのろと歩を進める。

 掠めた風の匂いにフィルは眉を寄せて、白焔の肩を押さえた。


「……あいつら、怪我してんのか?」


 サナも気付いたくらいだ。

 当然、白焔も気付いたはず。

 怪我をした一人を、両脇から二人が支えている。

 別人のように覇気のない彼らは、フィルたちの顔が見える距離で立ち止まった。


「ここで会ったが何とやら?」


 笑みを浮かべる白焔の眼が、鈍く光る。

 たじろいだ彼らの真ん中で、刈り込みの男が呻いた。

 右膝から下、暗闇でもわかるほどの出血だが衣服でどれほどの傷かわからない。

 けれど靴の爪先から、ぽたぽたと血が滴る。


「ここまでするつもりなんてなかったんだッ!」


 白焔が呆れきった顔で、溜息を吐いた。


「人質にでもしてアンタを誘き出して、それだけのつもりだったのによぉ」


「アイツ、意味わかんねェ…。突然襲ってきやがって」


 錯乱したように、男たちは一気に喋り出す。

 繋ぎ合せると、リーゼまで巻き込んで二人を砂海に連れ去ったのはもう一人の「仲間」で。

 そしてその仲間は、砂海まで来て突然彼らを襲った。


「あのさぁ、もう少しまともな嘘吐けないわけ? まあ、どうでも良いけどさ」


 確かに、本当に「もう一人」がいるか怪しいところだ。

 白焔は「先に行ってなよ。片付けとくから」と何でもないことのように言った。


「お、おいおい、白焔の旦那。流石に、それは」


「だから先行ってなって言ってんの。飼い犬には出来ないでしょ」


 暗に「始末をする」と言い切った彼に、男たちが青い顔をする。

 リーゼたちが命の危機に晒されているのは、彼らの身勝手な行動のせいで。

 挙句、逃げる彼らは彼女たちを案ずるどころか自分の命の心配だ。


「にいさん、おれは見逃せねぇぞ? 腐ってもガーデニアニュースの記者だ。旦那を止めて」


 くれよ、と言いかけたサナがひゅっと息を飲んだ。

 さっとベルトに手をやったフィルが、叡力銃を抜くと思ったのかもしれない。

 まあ、非常に腹は立っているが。

 フィルは取り出した小瓶の栓を抜き、無言で男の怪我にかけた。

 血を吸ったズボンにかかった液体が、しゅっと音を立て微かに煙を上げる。

 刈り込みの男は仰け反って「ぎゃあッ!」と悲鳴を上げた。


「ただの応急処置だっての。情けない声出すなよ」


 彼らは茫然とフィルを見た。


「血ぃ止まってるうちにこの糸辿って帰れ」


 それだけ言って歩き出そうとしたフィルの胸倉を、白焔が掴んだ。


「冗談? 君の連れだって死ぬかも知れないのに、その原因を作ったこいつらを助けるつもり? やっぱ、とんだ腑抜けだね」


 暗い灰色を睨んで、フィルは彼の手を静かに払った。


「冗談言ってんのはそっちだろ。こいつらがここまでこの状態で来たんなら、いつ血の匂いで砂獣が寄って来てもおかしくない。挙句帰り道に撒餌でもすんのか?」


 私怨で動くな、と言い聞かせる。

 焦っているのは、フィルも同じだ。

 フィー、間違えるなよ。

 いつか聞いた声が、微かな痛みを伴って脳裡を過る。


「白焔、ここは砂海だ。まず生きて帰ることを考えろ。それ以外は、大体後回しで良い」


「…………」


 白焔の瞳が凪ぐ。

 彼の肩からふっと力が抜けた。

 結論が出たことを見極めて、サナが「とっとと行け!」と男たちを脅す。


「一応言っておくけどな、砂海に人間置き去りにすんのは殺人だぜ。にいさんたちがあの子らを助けても、おたくら殺人未遂だ。覚悟決めとけ!」 


 ちゃんと記事にしてやるからな、と付け加えて、サナはフィルと白焔の背中を押した。

 何も言わず、男たちは項垂れて歩を進める。

 それだけ確認して、フィルは浮標もない行く手を見据えた。



 

『……フィルさん』


 囁くようなリーゼの声。

 走り出してすぐ、繋がったままの通信で彼女はフィルを呼んだ。

 その声が震えていることに気付いて、「どーした?」とゆっくり聞き返す。


『……砂獣、です。どうしたら、良いですか?』


 隣を行く白焔が何かを察したのか、フィルの表情で窺う。


「状況は?」


『……何かは、わかりません。砂狼よりずっと大きくて、でも一匹だと思います。私たちの周りをゆっくり回っているみたいで…。影が見えるくらいの距離なので、走って逃げれるかもしれないですけど』


 押し殺した声で一気に言い切ったリーゼに、「落ち着けって」と敢えてのんびり答える。


「武器は?」


『…一式、持ってます』


「じゃ、閃光筒と催眠筒出しとけ。コウは動けそ?」


『たぶん、怪我はしていないので、動けるとは思います』


 血の匂いで寄って来たのだろう。

 フロート四区間。

 まだ、距離がある。


「そのまま逃げんのは危ない。向こうが様子見をやめるまでは、動くな。襲って来たら、叡力筒投げてから逃げろ」


『襲って来る前に逃げちゃ、駄目ですか?』


「叡力筒当てられる距離か?」


『…いいえ。ちょっと遠いです』


 どんなに強がっていても、まだ『タグなし』。

 夜の荒れた砂海で、砂獣と対決なんてさせたくないが。


「落ち着いて、堂々と構えろ。どんな大物だって、諸に叡力筒食らったら流石に怯む。催眠筒が上手く効けば尚更だ。悲観するような状況じゃねえよ」


『………はい』


 白焔とサナが、更に足を速めた。

 フィルの応答で、状況は掴んでいるのだろう。

 指先で糸を滑らせながら、リーゼの声を待つ。


『わかりました。襲って来るようだったら、叡力筒で応戦してから、コウくんと退避します』


 リーゼは復唱してから、『でも』と続ける。


『でも、出来たら……、その前に来て下さいね?』


 たった一言の弱音。

 風で飛んだフードを直す手間さえ、惜しい。


「大丈夫だって。すぐ、助けに行くよ」


 感情とは裏腹に、穏やかに返事をした。






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