9、白焔
咄嗟に、フィルはサナを突き飛ばす。
一瞬で目の前まで迫った男の手には、銀の手甲。
腰を打ちつけたサナが言葉を発する間もない。
受け流せない。
「…ッ」
肩に一撃を受けて、フィルは食いしばる。
骨を砕かれてもおかしくはなかったが、男はかなり手加減をしたらしい。
リズムを取るように一歩引いた彼は、少し不思議そうな顔をする。
けれど、ひゅっと風を切る拳。
懐に入られ過ぎている。
ベルトから鞘ごと引き抜いた剣を、彼の拳が弾き飛ばした。
その刹那で、叡力銃をホルダーから抜く。
男はフィルの手の動きを見て、けれど退こうとはしなかった。
ふっと、笑う。
フィルが「撃たない」と、わかっている。
振り払った男の手の甲が、フィルの喉を打つ。
急所独特の恐怖を伴う、痛み。
「か、はッ」
止まった息を、押し出すように咳き込む。
「フィルさんッ!」
悲鳴のように名を叫んだリーゼに、言葉を返す余裕などない。
退こうとした足元を掬われて、石畳に叩きつけられる。
馬乗りになった男は、そこでようやく動きを止めた。
フィルが額に突き付けた叡力銃など、目もくれない。
「…君、変な人だね」
穏やかに、そう言った。
フィルは咽喉を押さえて、息を整える。
茫然としたままのサナとコウは、未だ座り込んでいる。
その後ろで、リーゼが腰のベルトに手をやるのが見えた。
「…――ゼ、抜くな…っ」
「だって…!」
抜けば、彼は少女だろうと構わず無力化するだろう。
けれど、そこに殺意はない。
なら、戦うだけ無駄だ。
「だいじょーぶ、だって。もろ、食らったけど…」
「フィルさん…」
泣きそうなほど顔を歪めたリーゼを、男はちらりと見て、またフィルに視線を戻した。
軽く握り込んだ拳はまだフィルに向けられている。
「君さ、ホントにあいつらの仲間?」
「あいつ、ら? コウに乱暴してたのは、確かに俺の連れだけど…、それ以外で、殴られることした覚えは、ねーな」
そこで我に返ったコウが、転がるように近付いて来る。
「兄ちゃん、さっすが! 超強い! じゃなくてっ、そいつ、あいつらの仲間じゃないよ! こいつらも、一緒に砂海を渡ってくんの僕見たもん」
「砂海をね。お仲間?」
彼はすっと手を引いた。
フィルも同時に叡力銃を下ろす。
リーゼが駆け寄って来て、サナも慌ててフィルに手を貸す。
「仲間じゃない。こいつ、飼い犬だよ。首輪してるもん」
「は? それ本物なわけ?」
あれだけ至近距離で攻撃してくれたのだ。
無論、フィルの携帯通信端末には気付いていたはずだ。
立ち上がったフィルは咽喉元に手をやったまま、頷く。
「偽物をつける趣味はねーけど」
男は帽子をコウの頭に乗せると、何故かつまらなそうな表情をした。
「なーんだ。じゃ、君、腑抜けたユニオンに尻尾振ってる連中の仲間ってわけか。しかも3rd? 面白い反応すると思ったのに、期待して損したな」
「ちょっと、何なんですか! いきなり襲って来て、挙句人を馬鹿にしてっ」
「コウにちょっかい出してたの、君たちじゃん。最近周りをちょろちょろしてる奴らがいて、気ぃ立ってたんだよね。別に喉笛砕いたわけじゃないんだから、いいでしょ」
本気でそう言い返した男に、リーゼは唇を噛む。
彼は途端に冷めた様子で、傍らのコウに「帰ろ」と声をかけた。
コウは素直に頷いて、それから「あのね」とフィルを指す。
「あいつ、飼い犬だけど、悪いのは、あのおっさん一人で、あとの二人は別に僕にひどいことしたりはしなかったよ」
「ふーん」
男は振り返りもせず、閉まった酒場に向かう。
その背に、サナが慌てた様子で声をかけた。
「ちょ、ちょっと待てよ! お前が、白焔なんだろ? じゃ、ちと訊きたいことがあんだ!」
「………」
「野良の一団、一人で潰したんだろ、白焔の旦那? お前さ、もしかしてお前が『クラウン』なんじゃねえのか?」
クラウン。
しんと静まり返った空気の中、男の銀髪が揺れる。
振り返った彼は、蔑むように鋭い眼で言った。
「君を叩き伏せとけば良かったなー。彼に、感謝するんだね」
それは確かに、殺気だった。
サナも流石に沈黙して、視線を落とす。
白焔はさっとローブを翻して。
もう背後のフィルたちなど存在しないかのように、歩き出した。




