6、案内人の宿事情
空にかかっていた薄い雲が暗い影になると、ウェルトットの狭い通りにはあちこちの店からテーブルや椅子が出され、途端に賑わい出した。
煌々と赤い光に照らされるとどこか異国じみた光景だが、こうして開かれる夜店はどこも美味しいものを出している。
リーゼはフィルに続いて夜店の人だかりをすり抜けながら、きょろきょろと辺りを見渡す。
「……不思議な街ですね、ウェルトットって。首都の歓楽街と旧市街の市場を合わせたみたいな感じです」
「凄い例えだな…。でも、その辺より治安は良いぞー」
「本当ですか?」
「多分」
ざっと見た雰囲気では、リンレットが言っていたようにだいぶ落ち着いたような印象だ。
だがイグのように自警団があるわけでもなく、GDUのような統率組織があるわけでもない。
元々、そこまで治安は良くないが。
やっぱり、みたいな顔をしたリーゼに「まあ、一人では出歩くなよ」と軽く釘を刺す。
彼女は大人しく頷いた。
「あの、ところでしばらく、ウェルトットに泊まるんですよね?」
「もちろん。ウェルトットとか砂海に面した街には案内人用の宿泊所があんだよ。だからそこに泊まります」
ティントの血の繋がらない妹、ということは、リーゼはガーデニア市議の娘ということになる。
家出同然で案内人を目指しているとはいえ、文字通り「お嬢様」だ。
案内人用の宿泊所はやはり普通の宿とは違う。
上手く部屋を取れることもあるが、大部屋に雑魚寝になることもあるし、風呂も共用で食事も付かない。
どうしたものかとフィルも悩んだが、これも経験。
こんなところには泊まれないと駄々をこねるような子でもないだろう。
「部屋取って荷物置いたら、この辺の店で夕飯にしよう」
「えっ?」
「宿、飯出ないし。それにウェルトットの夜店、美味いもんばっかだぞ? 今の内に気になる店見つけとけよー」
これから難ありの宿に行く手前フィルが明るく言うと、リーゼは金色の丸い瞳をきらきらさせて予想以上に嬉しそうに頷いた。
明るい通りを抜けると見えて来たのが、今宵の宿だ。
ウェルトットの防壁はガーデニアのそれより低いので、この街の建物は風の影響を受けないよう殆どが一階建てになっている。
宿泊所も横に長い平屋で、宿と呼ぶにはあまりに殺風景な外観をしている。
入口には「GDU登録宿泊所」と書かれた飾り気のない看板が掲げられていた。
愛想のない受付に確認すると、今回はとことんついているようで大部屋で雑魚寝は避けることが出来た。
一応個室だ。
それはそれで、なかなか問題もあるけれど。
そっと振り返ると、何が面白いのか、リーゼは忙しそうに襤褸の宿泊所の中を歩いている。
受付の脇の大きなコルクボードを指して、「これは?」と彼女は首を傾げた。
今の時間は何も貼られていないから、尚更不思議だったのだろう。
「これ? 急な仕事の依頼が貼り出されるんだよ。手ぶらでガーデニアに帰るより、ここで仕事を受けて行った方が儲かるしな。まあ、時々変な客がいたり危ない仕事だったりすることもあるから、こういうとこで仕事を請けるかは好き好きだけど…。勿論、今回はやんないからな」
リーゼはボードの凹みを指でなぞりながら、「サナさんの予約が入ってなかったら、ここで仕事探します?」と訊く。
フィルは首を捻って、右耳のイヤホンを押さえた。
「……収入がヤバかったら、探すかな」
「それって…、いつもですよね?」
ずばりと言われて、フィルは「心が痛い」と呻く。
「冗談です」
「え、本気で言ってたよな?」
ぎしぎしと鳴る廊下を進み、渡された鍵と同じ番号の部屋に辿り着く。
大人数での依頼があったのか、大部屋から笑い声が響いて来た。
細かい罅の入った壁に、浴室への道案内が貼られている。
それを視線で追いかけて、リーゼは微かに笑う。
「?」
「いえ、何か、楽しくて…」
「それは、何より」
部屋の扉を開けて、フィルは苦笑する。
個室といっても、部屋はフィルの部屋より更に狭い。
単純に、ただ寝るためだけの部屋だ。
隅っこに纏められた布団や毛布を二人分広げたら、スペースはほぼ埋まる。
歴史を感じる窓硝子の向こうは風避けの塀。
夜店のある通りに近いからか。
微かに、喧騒が聞こえる。
その窓の下にテーブルとは呼べない木製の小さな台がぽつんと置かれていた。
台に部屋の鍵を置くと、フィルはふと振り返る。
部屋に一歩踏み込んだところで、リーゼは直立の姿勢のまま固まっていた。
「……えっと、どうかしました? リーゼさん」
不穏なものを感じて、フィルはおずおずと訊く。
リーゼは無表情のまま「部屋、狭いですね」と静かな声で答える。
「…そーだな。布団並べたら、それで一杯一杯だからな」
「……フィルさんって超鈍感野郎ですか? それとも確信犯?」
じとーっと睨まれて、フィルは呻く。
やはり年頃の女の子。
嫌だったか。
「う、案内人の宿ってこんなもんだから、これも修行だと思って頂けると。最初から、大部屋で雑魚寝よりは良いだろ?」
「雑魚寝ですか。そっちの方が良かったかも」
「そんなに!?」
それは流石に傷つく。
リーゼは笑いを堪えるように、口元を押さえた。
「いいです。頑張って、寝ますから」
「…おー」
何事もなかったように、彼女はすたすたと部屋の中に入って荷物を下ろした。
くるりと振り返ると、フィルの砂避けのローブを控えめに引っ張る。
「さ、ご飯、食べに行きましょう。ここの通りの角にあったお店、賑わっていたし雰囲気も良かったです。そこにしませんか?」
こういうところはフィルより一枚も二枚も上手だ。
何事もなかったかのように、リーゼはふわりと笑った。




