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ロストクラウン  作者: 柿の木
第一章
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4、夢追いの猫




 そのまま数歩の距離を一歩で埋め、リーゼはフィルの襟をぐいと掴んだ。

 そして首元に顔を寄せる。

 首筋に噛みつきそうな勢いだった。

 あたたかい指先が右耳に触れて、フィルはその意図を察した。

 その手を叩き落とさなかったのは、彼女に害意がないと判断したからだ。

 鼻先をくすぐるように、ミルクティー色の髪から甘い匂いがする。

 リーゼはフィルのイヤホンを奪って自分の耳に当てると、首元の端末本体に行動とは正反対の穏やかな声で言う。


「リーゼ・スティラートです。すみません、師匠は少し勘違いをしているようで。……はい、大丈夫です。間違いなく、私が契約したのはフィル・ラーティアさんです。はい。ご迷惑をおかけしました。……ありがとうございます。これからよろしくお願いします。はい。失礼します」

 

 通信を終えて、リーゼはゆっくりと顔を上げた。

 ほっとしたように微笑んだように見えたが、それも一瞬。

 何事もなかったようにフィルにイヤホンを返して、リーゼは椅子に腰かけた。

 フィルは左手に落とされたイヤホンを付け直す。


「……とんだ、野良猫だな」


「『野良』ではありません。GDUに正式に認可を受けた準砂海案内人です。……フィルさん、貴方の弟子です」


 弟子を取った覚えはないけれど、とフィルは小さく首を振る。


「何を企んでるのか知らねぇけど」


「…………」


 恐らくはリーゼ自身も意識しないうちに、その華奢な肩がひくりと跳ねた。

 けれど金色の瞳はたじろぐ所か挑むようにフィルに向けられている。

 フィルはその瞳を見返して、静かに続けた。


「仮にも案内人として働こうって奴が、『師匠』の携帯通信端末を奪い取るなんてことはすんな」


「……え」


「認可受けてんならそれくらい知ってんだろ? 案内人にとって通信端末は文字通り命綱だ。それをあんな風に取ったら、意図がどこにあれ反撃されてもおかしくない」


 GDUの規約でも、携帯通信端末の防衛は認められている。

 ガーデニア内では微妙だが、砂海においては通信端末を奪われそうになって相手を殺したとしても罪には問われない。

 リーゼは丸い瞳を更に丸くする。

 そんな風に怒られるとは思っていなかったのだろう。


「返事は?」


「は、はい。すみませんでした」


 呆気に取られていた彼女は、素直に答えて頭を下げた。


「何だ、そーいう態度も取れんじゃん」


「……………」


 一言多かったようだ。

 険の取れていた表情が一瞬で曇り、睨まれる。

 フィルは溜息を吐きそうになって、慌ててそれを飲み込んだ。


「……あー、で? さっきちらっと聞いたと思うけど、うちは入ってもらっても給与払えるか判らないレベルのある意味超ブラック企業だぞ。何の得もないと思うけど、本当にうちに入るのか?」


「構いません。私、訳ありなので」


「……訳あり、ね」


「はい。私、家出同然でガーデニアまで出て来たので」


 家出同然と聞いて、驚きはしないがフィルは眉を顰めた。

 特殊な職業であることは確かだ。

 案内人仲間の中には、家族との縁が切れている者も確かにいる。


「簡単に言うと、親は私が案内人になることに反対だったんです。砂海科に入ること自体は難しくありませんでした。奨学制度があったし、父方の祖母が応援してくれていましたから。それに砂海科は案内人になりたい子だけではなく、砂海の研究者を目指す子も集まってきます。入学自体は、親もそこまで徹底的に反対したりはしなかったんです」


 リーゼの淡々としていた物言いがそこから崩れる。


「でも、卒業後案内人として働きたいと親に報告するとそればかりは許せないと、猛烈に反対されたんです」


「…………まあ、案内人って命がけだしな。娘が案内人になりたいって言ったら、反対する親の方が多いと思うけど」


 親の顔も知らないフィルには想像することしか出来ない。

 師匠に拾われたフィルにとっては、砂海で案内人として生きていくことは「当たり前」だった。

 それでも『タグ付き』への昇格試験を受ける時に、師匠に言われた。

 良いのか、と。


「リンレットみたいな特殊な例はともかくなー、案内人になりたいのを反対されるのは普通だと思うけど?」


 身近な特殊例を思い浮かべて宥めるように言うと、「リンレットってどなたですか?」と物凄く冷たい声で返された。


「すみません。知り合いの娘さんです」


 反射的に謝ったフィルに、リーゼは呆れたように息を吐いた。


「……心配してくれるのはありがたく思っています。でも、案内人になるのは八歳の頃からの夢。今更、諦められません」


「う、うん。まー、最終的には本人が決めることだしな」


「そうです。それなのに、両親は私が案内業に就けないよう手回ししたんです」


 手回し。

 フィルはきょとんとした。

 リーゼは気にせず続ける。


「だから、砂海科を首席で卒業したのにどこも受け入れてくれなくて」


「……えーと、手回しされたって証拠はあんの?」


「父が自分で言っていたので。求人を出した案内所にはお前を採用しないように頼んだって」


「うわ」


 それは確かに、親であってもやり過ぎかもしれない。

 けれどそこでリーゼはにこりと微笑んだ。


「だから、私思ったんです。こうなったら、私もありとあらゆる手段を用いて、何としても案内人になってみせるって」


「なるほど。その結果がこれ、と」


「そうです。一応話を付けてくれることになっていたのですが……、利用するような形になったことは、本当に申し訳ないと思っています」


 うーん、とフィルは唸った。

 実際、利用されたのだろう。

 ラテの話では、覚えのない求人依頼は追加の期間ぎりぎりにあったらしい。

 手回しも、そこまでは及ばなかったのだろう。

 要するにただ巻き込まれたのだと判って、けれど思ったほど目の前の少女に苛立ちを覚えなかった。

 ここまでやっているのだ。

 案内人になりたいという気持ちは、本物だろう。

 十六歳で自分の全ての手札を切って、この状況まで漕ぎつけたのだから、腹が立つ前に拍手を送りたい気持ちにすらなる。


「……ま、俺も暇してるから別に構わないけど。要は、どこでも良いから案内人としての修行がしたいってことだよな? 給料は基本出せないけど、仕事が入ればお小遣い程度は出せると思うし」


 彼女としては同期たちに遅れるより、金が入らなくても修行を始めたいのだろう。

 とんと仕事のないフィルのところで良いのかは微妙なところだが、それでも親と不毛な喧嘩を続けるよりはましかもしれない。

 フィルの言葉にリーゼは、ぱあっと明るい顔をした。

 本当に嬉しそうに、「ありがとうございます」と微笑む。

 ころころと変わる表情に、フィルは仕方ないと笑い返す。


「ただ落ち着いたら、ご両親とちゃんと話し合え。認めてもらえなくても、家出同然じゃなくて筋を通して来い。それと、話し合いが終わったらうちじゃなくてちゃんとしたとこに入り直せよ?」


「……どうしてですか?」


 一転して不満そうな顔に、フィルは逆に首を傾げた。


「案内人になりたいなら、仕事が命がけなのは判ってんだろ? まさかパフォーマンスで食ってるような華やかな仕事だとは思ってないよな?」


 八年前にGDUがガーデニアの統治機関の一部になってから、案内業は改革に改革を重ね、迷走を続けている。

 一時GDU解体かとまで囁かれた状況を改善すべくガーデニア市議会の提案の元、案内人のイベントやパフォーマンスに力を入れ出した。

 砂獣退治をショーとして公開し、その結果砂海案内人がまるでアイドルのような職業と勘違いされることも多い。

 それが良いか悪いかは別にして、その類のショーで生活をしている案内人も確かにいる。

 それに憧れて案内業に飛び込んでくる新人も、決して少なくはないのだ。


「……もし勘違いしてんなら多分うちで修行しても意味ないぞ? えーっと、そういうのは凪屋の広報部とか」


「勘違いしていません! 失礼です。私、ちゃんと砂海案内人の仕事くらい理解していますっ」


 割と凄い剣幕だったが、その勘違いはないとリーゼに断言されてフィルはほっとする。

 いや、寧ろそういう案内人を目指してくれた方が親としては安心だっただろう。


「や、ごめん。それなら良いんだ。えーっと、普通に案内人として生きていくなら危ないこともあるから、どんな親だとしてもきちんと話はしておくべきだからな」


「……判りました。いつ死んでも後悔のないようにということですね。落ち着いたら、そのうち、きちんと話し合います。けれど、ここを辞めるかどうかは別の話です」


「へ、何で?」


 リーゼはゆっくりと瞬いた。

 ぴんと伸びた姿勢は揺らぐことなく、いつまでも逸らされることのない視線は痛いほどだ。


「すぐにこちらを辞めたら、私の経歴にそれが残ります。事情がどうあれ短い期間で勤め先を辞めるなんて出来ません」


「さ、最近の子は言うことが難解だな……」


 言いたいことは判るが、ちょっと前まで自由に師弟関係を結び案内人を雇用して来た業界だ。

 彼女が言うほどマイナスなことではないと思うが。

 まあ、親とのごたごたに決着が着いたら追々話を進めれば良いかとフィルは曖昧に話を切り替えた。


「それにしても熱心だな。八年前から案内人になりたいって思ってたってことは、八歳で将来のこと決めてたのか。んで、砂海科に入ったのが十三歳? 凄いな」


「……嫌味ですか?」


「えっ? 何で!?」


「何でもないです」


 不貞腐れたリーゼに、フィルは困り切って頬を掻いた。

 彼女の修行に付き合うのはともかく、このテンションに付いていくのはなかなか気苦労が多そうだ。

 悪い子では、ないのだろうけど。

 さらっと言っていたけれど砂海科を首席で卒業ということはそれなりの実力があるのだろうし、それに見合う情熱も持っている。

 親が反対するのも判るし、フィルもこんな危ない仕事を選ばなくてもと思わなくもないが、彼女のような人材が案内人を目指してくれるのは正直嬉しい。


「砂海が好きなのか?」


「え?」


 不思議そうな顔をされて、フィルも首を傾げた。


「案内人になりたい奴って、砂海に魅入られちゃってる奴が多いから。違うのか?」


「………………違います」


 行儀良く膝の上で組まれていた白い手に、力が籠るのが判った。

 金色の瞳に、一瞬光が閃く。


「憧れている人が、いるんです。その人みたいな案内人になりたい。他の夢には、替えられないんです」






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