19、またねの後
「何か悪いな。リーゼの分は持って帰って良かったのに」
久しぶりの案内所は、変わらずしんとしていた。
窓を開けたリーゼが「いいえ」と首を振る。
風と一緒に入って来るのは、もう夜の闇だ。
「フィルさんがもらったものじゃないですか。私、ただでさえ朝食お世話になってますし。それに、ティントさん首都行っちゃってますから、持って帰っても食べ切れませんよ」
「そっか、ティント出かけてんだよな」
包みを部屋に運んで、結び目を解く。
詰め込まれていた缶詰が転がり、積み重なっていた保存食の袋が崩れる。
「…これは、凄いな」
この上、お礼までもらったら罰が当りそうだ。
案内所から、リーゼがひょいと顔を覗かせた。
「あの…、今更なんですけど、三日も空けて依頼のチェックとかしなくて、良かったんですか?」
フィルは缶詰を拾い上げて、彼女を振り返る。
「大丈夫だろ」
「……大丈夫じゃまずいですよね。端末、立ち上げて良いですか?」
「…お願いします」
食糧を片付けつつ、答える。
仰る通りだが、まあ、まず依頼のメールは来ていないだろう。
そもそも通常の仕事の話は、リーゼが来る前からとんと御無沙汰だ。
思い返して、フィルは肩を落とす。
数分の沈黙。
ようやくリーゼが「ティントさんから、メールが来てますよ」と案内所から声を上げた。
「へえ、何だって?」
「開けて良いんですか?」
「うん」
開け放った扉の向こうに返事をして、携帯食を選び出す。
砂海に持って行っても役に立つものを入れてくれている辺り、リンレットの心遣いを感じる。
「学会で発表した論文、随分好評だったみたいです。砂獣研究の第一人者まで興味津々でって自慢してます。……でも、ちゃんと共著者としてフィルさんの名まえを載せたみたいですよ? そういうところは意外とちゃんとしてますよね」
「…………共著者?」
「あ、これ」
言葉を切って、リーゼが唐突に沈黙する。
流石に嫌な予感がして、フィルは案内所を覗いた。
端末の前に、座ったリーゼがゆっくりと振り返る。
「あの、何か、メールを開くと自動でファイルを受信するようにしてあったみたいで…。多分、内容からして例の論文のデータだと思うんですけど、容量が凄くて」
完全沈黙。
ティントの論文を受け取るだけの力は残っていなかったのだろう。
情報端末は、文句を並べることなくひっそりと息絶えていた。
「さすが、ティント。やることが半端じゃねえな」
論文テロですか。
すみません、と肩を落として謝るリーゼに首を振る。
リーゼは全く悪くない。
「もう寿命だったし、遅かれ早かれ俺がやってたよ。ティントも、多分…、多分悪気はないんだろーけどな」
悪気がなければ許されるということでもないが。
リーゼは細い眉を下げて、同情するように小さく頷いた。
「……ますます、お仕事しなきゃいけなくなりましたね」
「そうですねえ」
「フィルさん」
リーゼはそこでフィルを窺う。
思い当たったフィルは、右耳を押さえて大丈夫と頷く。
言葉を遮る通信はない。
「私も、これから、頑張りますね」
やっと言えました、とリーゼは楽しそうに笑った。




