17、獣 再び
楽しげにその人は言って、のんびりと砂場に入って来た。
壁際の一期生たちが響動めく。
どこか呆気に取られたように、「ルレン・クロトログだ」と誰かが呟いた。
「何だかんだ若いな、お前らも。だが、本気で戦える相手がいるってのは、良いことだ」
ルレンはしみじみと頷く。
砂を踏みしめてフィルとカディの間に立つと、フィルが放った模造刀をひょいと拾い上げた。
「せっかくだ。オレも交ぜてもらおうか」
助けだと思ったのに、完全に面白がっている。
カディは構えた切っ先を僅かに下げ、フィルは額を押さえた。
「嫌です」
「何だ、カディと決着つけたいのか? それならそれで止めないけどな」
「そういう意味じゃなくて、足腰立たなくなるまで戦いたくはないって言ってるんですけど」
この人と二十本試合をしたのは、いつのことだったか。
正直、トラウマだ。
ルレンは思い当たったのか、「懐かしいな」と悪い笑みを浮かべる。
「だが、それでオレから一本取れたんだ。悪くない試合だったろ?」
「悪くない試合!? 一週間は寝込みましたよ!」
「追い詰められるまで、本気を出さなかったお前が悪い」
ルレンは模造刀の切っ先で、フィルを指す。
そしてカディを振り返った。
「て、こった。こいつは人間相手にそうそう本気を出さない。オレ相手でもそうだったんだ。お前を馬鹿にしてるわけじゃない」
「…………」
「お前と違って、フィルは事なかれ主義なんだよ」
カディは何故か不意を突かれたようにルレンを見返した。
無言のまま、ようやく構えを解く。
「戦い方が正反対なんだよな、お前らは。だからいろいろ気になるんだろうが」
「…気にしてません、別に」
「それならそれでいい。だが、こいつ相手にあんまり苛つくなよ? 人間十六でも事情を抱えてるんだ。他人にゃ言えない本音はあって当たり前だろ」
なあ、と同意を求められて、フィルは返答に窮する。
わかっているはずのルレンは特に気にした様子もない。
「オレとしちゃ、お前らが打ち解けてくれるとありがたいがな。全力出せる相手になってくれそうだ」
模造刀で肩を叩くルレンは、獲物を見定める獣の眼で哂う。
嫌な予感に眉を寄せたフィルに対して、カディは平然と「わかりました」と頷く。
「けれどその人とセットにされるのは納得行きません。一人でも、お相手を務められるように、なりますよ」
「おう、威勢が良いな。流石は、うちのエースだ」
嬉しそうに、答える。
ルレンにとって、彼はやはり期待を寄せる愛弟子なのだろう。
それはいつか、師匠が見せた眼差しと同じだ。
「よし。それじゃ、一戦と行くか! 良い勉強させてやるぞ?」
「だから、嫌ですって」
まとめてかかって来いとばかりに手招きをしたルレンを、フィルは間髪入れず拒否した。
拍子抜けな表情の彼に代わって、カディが「貴方は休んでいて構いませんよ」と優しい言葉を抑揚なくかけてくれる。
やる気のないフィルより、ルレンの方が戦い甲斐があるはずだ。
上を目指すなら、尚更。
ゆっくりと後退したフィルを一瞥して、ルレンは何かを企むように口元の笑みを深める。
「まあ、いい。カディ、いくぞ」
ふっと、剣先が砂を掠る。
突如1stと2ndの戦いになって、思い出したように盛り上がる観客。
その歓声も、一瞬だった。
ルレンが蹴ったはずの砂は、舞うことなく沈黙して。
木剣が、音もなく宙へ飛んだ。
速い。
理解が追いつかない強さだ。
武器を失ったカディは、目の前の獣相手にやはり退くことを選ばなかった。
「うわ、馬鹿」
思わず、カディの潔さを罵る。
無謀だ。
フィルの数歩後ろで、リーゼも微かに声を漏らす。
木剣を弾いた模造刀を辛うじて潜り抜け、カディはルレンの手首めがけて拳を振るう。
その拳を、ルレンはあっさり受け止めた。
背中で、彼が笑ったのがわかる。
まるで子どもをからかうように、ルレンはカディの腕を引き、足を払う。
軽々と、ルレンはカディを振り回して。
投げる。
吹き飛ばされたカディは、一度、二度、足を着いたが、砂煙を引くばかりで勢いは衰えない。
そのまま、真っ直ぐ。
「……最悪」
ああ、これが狙いか。
背後で一期生たちが悲鳴を上げる。
フィルさん、と確かに彼女が名まえを呼んだ。
避けたら、当たる。
衝突音は、衝撃の割に小さかった。
縺れあって、砂を転がる。
受け止め切れなかったカディの下敷きになって、フィルは打った額を押さえて呻いた。
巻き上がった砂に、一期生たちが咳き込む。
星が散りそうな視界を閉ざして、フィルは笑った。
「…最近、こんなんばっか、だな」
「自業、自得…ですよ」
覇気のない声で、カディが答える。
起き上がった彼は、顔を顰めて腕を擦った。
「…貴方、馬鹿なんですか?」
「は?」
「体格の差を考えたらどうなんです? 受け止められるわけないでしょう」
「だって、避けたら後ろに当たるだろ」
「だったら、さっきみたいに叡力銃で衝撃波を起こせば良かったんですよ」
フィルは額を押さえたまま、首を傾げた。
「まあ、そうだけど。あのスピード相殺したら、カディがつらいだろ。一応怪我人なんじゃねえの?」
「………」
不思議なものでも見るように、カディは目を丸くした。
駆け寄って来たリーゼが、フィルとカディの様子に安堵したように肩の力を抜いた。
来た時と同じようにのんびりした足取りで、ルレンが近付いて来る。
彼は実に楽しそうに、笑った。
「これが本当の、喧嘩両成敗ってな!」
そうですか。
やはり碌なことがなかった。
ルレンは一人満足したような表情で、「あんまり後輩に心配かけるような手合わせはするなよ」と付け加えた。
固まっていた一期生たちが、現金なことに同意と称賛の拍手を送る。
「…両成敗って、俺も?」
「一戦と言うより、最初からこうするつもりだったんですね」
ちらと視線を交わして、フィルとカディは溜息を吐いた。




