9、風吹く海
GDUが予報していた通り、翌日の砂海はやや強い風が吹いていた。
足元を埋める砂を払って、フィルは目を眇め隣のフロートの光を確かめる。
ゆらゆらと波打つ砂の間に、青い光が瞬く。
時折その光を弱めるのは、風で舞い上がる砂だ。
フードを深く被り直して、フィルは手元の時計と記録表に視線を落とした。
基礎体力向上訓練。
その名の通り、三つのフロート間を三人一組、計六組が間隔を空けて延々歩き続ける単純なトレーニングだ。
もっとも、出発ラッシュの頃から始めて、かれこれ六時間は経っている。
訓練が四時間を越した辺りから、体力の限界あるいは不調を訴え、すでに三組が離脱している。
折り返し地点でただ立っているだけのフィルはともかく、残りの三組の疲労は推し量るまでもない。
周回の記録も、随分と間が空いて来た。
「…昼までで終わりだろうな」
少しずつだが、風が強くなっている。
よくある天候とはいえ、今日は砂海を渡る案内人も少ない。
『…こちら2155、Eグループが離脱しました。すでに門へと退避しています』
カディからの通信に、フィルは「了解」と答える。
これでフロート間を歩いているのは二組のみ。
丁度中間地点のフロートから、人影が三人こちらに向かって来る。
身を寄せ合うように歩いて来たのは、リーゼたちだ。
カディの采配で、アルフと例のカディの追っかけ少女と組んでいる。
「Aグループです」
「おー、お疲れ。五分休憩な」
フィルは記録を書き込んで、休息を促した。
少女がしゃがみ込んで「あー…」と低い声を出す。
「…足ぱんぱんだよー。でもさ、私たち、頑張ってるよね?」
軽く咽喉を潤して、リーゼも「うん」と頷く。
「ちなみに今、AグループとDグループしか歩いてない。凄い頑張ってるじゃん」
フィルが褒めると、彼女はぱっと立ち上がって笑顔になった。
「ですよね! 私、挽回してますよね!」
「…げ、元気だな」
もちろんです、と彼女は胸を張った。
「頑張って、カディ先輩に『よくやりました』って言ってもらうんです!」
「そっか。まあ、無理ない程度にな」
昨日の自信のなさはどこへやら。
彼女は生き生きと頷く。
リーゼも彼女も、まだ余裕がありそうだ。
アルフは、とフィルは様子を窺う。
彼は水分を取ってから、身体を伸ばしていた。
フィルの視線に気付くと、逆に不安そうな表情になって「何ですか?」と聞く。
「いや、体調とかどうかなーって思って」
「…大丈夫です」
「頭痛いとかねえ?」
「ない…です」
「吐き気は?」
「特に…」
ぼうっとしているように見えたが。
フィルが首を傾げると、「自分、そんな頼りなさそうに見えるんですか?」と彼は自嘲気味に笑う。
「心配して下さらなくても、大丈夫です」
口調こそ柔らかかったが、はっきりとフィルを拒絶してアルフは目を逸らす。
きょとんとした少女が「どしたの?」と無邪気に問う。
リーゼもフィルと彼を交互に見て、「何か気になるんですか?」と心配そうな顔になる。
フィルはゆっくりと首を振った。
「…さて、そろそろ休憩終了だ。はい、各自装備確認!」
互いに不備がないかチェックをして、Aグループは再び中間地点のフロートを目指して歩き出す。
「あ、リーゼ」
「はい」
その出発際に、フィルは彼女を呼び止めた。
少し先で、少女とアルフが振り返ってリーゼを待つ。
「何かあったら、すぐ連絡な」
わざわざそう念を押した意図を、弟子はどう受け取るのだろうか。
リーゼは金色の瞳に、微かに緊張を走らせた。
案ずるまでもなかったことは、確かだ。
「今更ですが、わかりました。何かあったら、すぐに通信を入れます」
久しぶりのやや皮肉っぽい口調に、リーゼ自身が微笑む。
彼女がいれば、まあ大丈夫だろう。
カディの組み分けも、大したものだ。
リーゼたちが中間地点を過ぎて見えなくなった頃、Dグループが離脱したとカディから通信が入る。
「了解。今、Aグループが折り返して中間地点を過ぎた辺りだ。まだ、続けんの?」
『彼らの体調にもよりますが。戻って来たらこちらで確認をして判断します』
「…ま、色んな意味でそろそろ限界だと思うけど」
フィルは徐々に強くなって来た風に眉を顰めた。
風が運ぶ、匂い、気配、そして音。
薄黄色に煙っていた視界は、墨を落としたような灰色に変わりつつある。
嵐ほどではない。
導の青もまだ見えるが。
「だいぶ時化って来たな」
他の一期生たちが退避していて、助かったかもしれない。
ごお、と叩き付けるような風がフィルのフードを飛ばす。
右耳のタグが、イヤホンのフレームに当たって音を立てた。
『…こちら3524、リーゼです。アルフくんが突然気分が悪くなったようで、現在E02地点を過ぎたところで安全を確認しつつ休んでいます』
一瞬身構えたフィルは、リーゼの通信に息を吐きつつ「了解」と答える。
「カディ、俺が合流して引き揚げる。リーゼ、彼の具合は?」
『ちょっと、と言ったきりしゃがんでしまって。声をかけても返事をしてくれません。意識はあるようなんですが』
リーゼの戸惑ったような声に混じって、「大丈夫? 水、飲む?」と少女の優しい声がする。
フィルは砂を蹴って走りつつ、叡力銃をホルダーから抜いた。
手の中に用意したのは、閃光弾の叡力カートリッジ。
目眩ましだ。
「今にも死にそうじゃなければ、ちょっと離れた方がいいかもな」
『え? 何で―――……』
不自然に、言葉が途切れる。
その一瞬。
誰かの悲鳴を拾って、通信が切れた。




