8、一期生
賑わう食堂では、仕事を終えた案内人たちがのんびりと夕食を取っていた。
昼は緑も鮮やかだった中庭はオレンジ色の外灯に照らされ、庭園然と静まり返っている。
元々歴史のある建物。
どこぞのホテルのような光景は、ガーデニアニュースが特集を組みたくなるのも納得だ。
だがそれを気楽に楽しむには、気疲れし過ぎていた。
夕食を買って、フィルは変に凝った肩を解しつつ空いているテーブルを探す。
訓練ならまあ手助け出来るだろうと気軽に受けたお願いだが、よもや演技指導までされるとは思わなかった。
しかもカディが想定する状況は、どれもうんざりするほど現実的だ。
一期生たちも精神的に疲れただろう。
「フィルさん」
少し離れたテーブルで、リーゼが立ち上がった。
一期生で固まって食事をしているようで、なんとなく男子女子で分かれている辺りが微笑ましい。
彼らもフィルに気が付くと、どことなく気の抜けた様子で「お疲れ様です」と頭を下げる。
リーゼの前に座っていた子がわざわざ移動し、どうぞと席を勧めてくれた。
「何か悪いな」
リーゼの周りの女の子たちが「いいえー」と楽しげに答える。
「今日は、お疲れさまでした」
「いえいえ。そちらこそ」
リーゼに労われて、フィルは苦笑して首を振る。
「…フロート役、本物にしか見えなかったですよ」
「だろー。あれは自信あったんだよ。じゃなくて」
疲れた顔をした一期生たちが明るい笑い声を立てる。
リーゼの隣に座っていた少女が、テーブルに両肘をついてカップを持ったまま「いいな」とぼやいた。
想定訓練で一番手を務めた少女だ。
フィルは「あ」と自分の手を指しつつ、謝る。
「手、大丈夫だったか? ごめんな、軽く当てるだけのつもりだったんだけど」
「えっ?」
彼女はきょとんとして、それから身を乗り出すように椅子から僅かに腰を上げる。
「やっ」
や?
「やっさしぃーッ!」
ぎょっとしたフィルは思わず身体を引いた。
彼女はそんなことには構わず、隣のリーゼの腕をぐいぐいと引っ張る。
「リーゼちゃん、羨ましいよぅ! いいな、カディ先輩もこれくらい優しかったら…!」
また始まった、と少女たちが騒ぐ彼女を諌めた。
彼女は「だってー」と唇を尖らせ、上目遣いにフィルを見た。
「聞いて下さいよー。私、ガーデニアニュースでカディ先輩の特集を見ちゃって、もう一目惚れで。これはもう案内人になるしかないって思ったんです」
「お、おー」
周りは何度も聞いているのか、やや苦笑気味だ。
語る本人は必死なのか、熱が入った声はどんどん大きくなる。
他のテーブルには先輩たちのいるだろうに、いいのだろうか。
だが彼女は意に介した様子もなく、両手を握り込んでテーブルに置いた。
「頑張ったんですよー! それでデザートカンパニーに入れて、カディ先輩に会えて…、もう滅茶苦茶格好良いじゃないですか! あの人!」
「…う、うん。そーだな」
噂ではかの凪屋広報部が引き抜きにかかったというから、相当だ。
確かに整った顔立ちをしているし、見かけ倒しではない実力もある。
何より、案内人という仕事に対して、真摯だ。
「それなのに…、カディ先輩、厳しいんだもん」
「………は?」
しょんぼりと俯いた彼女の代わりに、フィルに席を譲った子が「カディ先輩、ずっとあんな感じなんです」と教えてくれる。
「全然誉めてくれないですし、ちょっと間違えただけですごく怒るし」
「だよね。他の先輩も厳しいけど、カディ先輩の訓練が一番キツイ」
「もうちょっと優しく言ってくれてもって思うよね?」
わっと彼女たちは不平を口にする。
少年たちも会話を聞いていたのか、隣のテーブルから同意の声を上げ頷く。
リーゼも流石に「ちょっと」と周囲を窺う。
火種の少女は「はー…」と長く息を吐いて、「私、向いてないのかな」とぽつりと呟いた。
「カディ先輩には呆れられてばっかだし、自分でも失敗ばっかだなって思うんです。先輩に辞めろって言われる前に、辞めた方が…いいのかな」
しん、とテーブルが静まる。
じわじわと視線が集まるのを感じて、答えを求められているのだとわかる。
さて、どうしたものか。
フィルはゆっくりと言葉を選ぶ。
「まあ、辞めた方がいいかなって思ったら辞めた方がいいかもな。命懸ける仕事だし、悩んでる内に砂海で死んだら死に切れないだろ?」
「………う。そーなんですけど!」
「…それで、『でも』って思うならもう少し頑張ってみればいい。辞めんの簡単だけど、ここに戻ってくんのは相当難しい。どっちにしたって、後悔してからじゃ遅いだろ。時間はあんだからゆっくり考えてみれば?」
訓練が進めば、自ずと砂海案内人の現実も突き付けられる。
命を懸ける。
その意味を知って、若い彼らはどこかで苦悩していたのかもしれない。
「それに、カディ口は悪いけど、別に変なことで怒ったりしないだろ? 怒る必要があるなら怒るだろうし、そうじゃなければ怒らない。そういう人間だと思うけどな」
目の敵にされて会うたび嫌味を言われるフィルは「まあ、人間だから色々あるだろうけど」と苦し紛れに付け加える。
それでも、理由はあるのだろうからある意味白黒はっきりした人物だ。
「案内人の訓練なら、厳しくすんのは親心だよ。まあいいよって優しくして、死ぬのはそいつだからな。相手を思ったら、怒る時は怒る人の方が、まともだ」
文句を言っていた一期生たちは、それぞれ思うところがあるのか、ゆっくりと頷く。
不満はあるが、カディについて行けないと思っていたわけではなさそうだ。
何だ、余計なお世話だったかもしれない。
「…大体、あれくらいだったら厳しいうちに入らねぇよ? 1st相手に二十本試合とかやった日には、本気で、殺されるって思ったしな」
師匠が妙に顔が広かったお陰で、『タグなし』時代にはフィルもあちこちで鍛えられた。
言葉が厳しい人より、笑顔で無理難題を突き付ける人の方が質が悪いことも知っている。
追憶を振り払って、フィルは「とにかく」と話を戻した。
「あの公開訓練を見ても、辞めようとは思わなかったんだろ? 向いてないって決めんのはまだ早いんじゃねえの?」
カディに連れられ、アルフと一緒に砂海見学をしていた少女たちは、ここにはいない。
残っているのは、一度選択を迫られ、それでも案内人を続けようと思った者だけだ。
カディに惚れ込んだという彼女は「だって」とむくれる。
「公開訓練、私たちを辞めさせるためにやったみたいじゃないですか! それでどうぞ辞めて下さいって言われて、はい辞めます、なんて悔しくて言えませんよ。絶対、頼まれても辞めてやらないよねって皆で言ってたんです!」
意外と肝が据わっている。
その言い草に、フィルも笑った。
まんまとルレンの思惑に嵌っているが、悪い流れでは、きっとない。
「そうそう、その意気。カディも、本気になれば出来る子たちだって言ってたし、口にしないだけで期待してんじゃねえかな」
「それ、ホントですか!」
テーブルに手をついて彼女は立ち上がった。
目をきらきらさせて、「カディ先輩、やっぱり格好良い!」と叫ぶ。
「…カディさんのこと苦手なんだと、思ってました」
喧騒に隠すようにこっそりと、リーゼが言った。
フィルはようやく夕食に手を付けながら答える。
「向こうが一方的に嫌ってるだけで、俺は別に苦手じゃないけどな」
「意外と、打ち解けたら良いコンビになるかもしれませんね。フィルさんとカディさん」
冗談でも笑えませんね。
絶対言いそうだ。
「…まあ、精々仲良く訓練を進めさせてもらいますよ」
投げやりなフィルの口調にリーゼはくすりと笑ってから、「明日は砂海に出るって言ってましたね」と一瞬で表情を引き締めた。
風が少し出そうなんだよな、と言いかけて、フィルはテーブルから立った少年を目で追う。
アルフだ。
隣の友人と一言二言交わして、軽く手を上げる。
彼は律儀にフィルにも目礼して、トレイを持ってゆっくりとした足取りで食堂を出て行く。
「フィルさん?」
「あ、うん。明日は風が出そうだから、今日はちゃんと飯食って早く寝ろよ? 万全じゃないと辛いぞ」
訓練の話になったとあって、無邪気に騒いでいた一期生たちは神妙な顔で「はい」と返事をした。
風が出ると、砂海は荒れる。
まだ歩き出したばかりの『タグなし』だ。
何かあれば、カディもフィルも、身体を張らなくてはならない。
ちゃんと飯食って寝なきゃいけないのは、フィルも同じだ。
冷めかけたスープを飲み干して、フィルは明日の訓練内容を思い返し、そっと溜息を吐いた。




