7、彼女の選択
「つ、疲れた…」
十七人目の訓練が終わると、フィルは砂場に座ったままがくっと頭を垂れた。
悪人に始まり、手負いの砂獣、野良、言うことを聞かない依頼人などなど。
挙句に嵐で吹っ飛んだフロート役だ。
しかも本気でやらないと監督から「真面目にやってください」と冷たい一言が飛んで来る。
だが回を追うごとに一期生たちの集中力は増したようで、最初の失笑はすでに聞こえない。
一回一回カディが鋭く指摘をして、見ている方もそれなりに緊張感を保っている。
フィルの小劇場も、無駄ではないのだろう。
「さて、次が最後ですね。リーゼ・スティラート。前へ」
「はい」
やはり、想定訓練の最後は彼女だ。
呼ばれたリーゼは、落ち着いた様子でフィルの向かいに立った。
フィルも気合いを入れ直して立ち上がる。
「それでは、訓練を始めます。GDUより怪我人の救助依頼があった場合です」
カディは一拍置いて、「GDU役はこちらがやります。貴方は怪我人役を」と最後の指示を出した。
投げやりな感じで手を上下させ、座れと合図する。
気合いを入れて立ったのに。
リーゼが微笑んで、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
同時に、カディが通信を入れる。
『…こちらGDU。R83地点にて救難信号を確認。付近の案内人は救助に向かって下さい』
『こちら認可番号3524、R83地点に救助に向かいます』
リーゼがすぐに応答すると、カディは一呼吸置いて更に状況を説明する。
「怪我人を発見。意識は辛うじてあるものの、腹部を砂獣に食われ出血多量」
地点を聞いた時から嫌な予感はしていたが、カディが付け加えた状況は、絶望的だった。
R83地点は『リィンレツィア』ルート上で最も「女王宮」に近く、海淵と呼ばれる巨大な裂け目があちこちで口を開ける難所。
言わずもがな、すぐに怪我人を運び込める街は付近には存在しない。
カディが言ったのは、要するに「助けられない人間を発見した場合」だ。
リーゼは大きな瞳を一度ゆっくり瞬く。
彼女のことだから、わかっているはず。
砂に膝をついて、リーゼはフィルの目を覗き込んで「大丈夫ですか」と静かに問う。
フィルは苦笑して、状況に倣い首を振る。
『こちら認可番号3524、R83地点にて怪我人を発見。意識はあるものの、出血が酷く腹部に重傷を負っています』
『…こちらGDU。安全を配慮し、規約に基づいた勧告をします。怪我人の救助を断念して下さい。繰り返します。怪我人の救助を断念して下さい』
血の匂いは砂獣を呼ぶ。
助からない人間を連れて砂海を歩くのは、自殺行為だ。
リーゼは自分の携帯通信端末から指を離し、フィルの首元に手を伸ばした。
それで良い。
連れて帰ることの出来ない人間を見つけた時、それが案内人ではなければ持ち物を、案内人ならば携帯通信端末を持って帰る。
確かにその人が、砂海で命を落とした証として。
「…………」
リーゼはフィルの携帯通信端末に触れ、それからそれを取ることなくふっと指先を落とした。
「馬鹿だな。それで良いんだよ」
連れて帰ってくれと泣きついて来る人もいる。
錯乱して人を道連れにしようとする人もいる。
けれど、多くは違う。
覚悟は、それを首に付けた時にしているから。
「生きて帰れ」
笑顔で言う。
彼女の金色の瞳に、強い感情が一瞬閃く。
白い指先が、ぱっと自分の端末に伸びる。
『こちら3524、これより怪我人を連れてイグに帰還します』
「…な」
「怪我人は黙って下さい」
リーゼは着ていた砂避けのローブを脱ぎ、それでフィルの腹部をきつく縛る。
呆気に取られていたカディが『3524、勧告に従って下さい』と通信を入れた。
『GDUの勧告に強制力はないはずです。念のため、リィンレツィアルートを移動中の案内人は警戒を』
見事に筋を通されて、カディがぽかんとする。
けれどすぐに、彼は仕方ないと笑った。
慌てたのは、フィルだ。
「いや、だって、途中で死ぬだろ!」
「まだ死んでないですよね。それに、死んでもらっちゃ、困ります」
開いた口が塞がらない。
その優しさは、砂海では命取りだ。
けれど。
リーゼはその小さな身体で、フィルを支え立とうとする。
「そこまで」
ぱん、とカディが手を叩いた。
息を飲むように見ていた一期生たちから、呻くような吐息が漏れる。
フィルの腕を掴んでいたリーゼの手からも、力が抜ける。
ミルクティー色の髪が、震える口元を隠した。
フィルと膝を突き合わせるように、彼女も砂場に座り込む。
「…まさか、そんな答えを出すとは思いませんでした。けれど、貴女が言ったようにGDUの勧告はあくまで『勧告』。責任を、命でとる覚悟があるのなら、とやかく言えることではありません」
「………はい」
先程までの勇ましさはどこへやら、リーゼは微かな声で返事をする。
「まあ、その人相手だからその選択をしたんでしょうが、大した度胸ですね」
珍しく誉め言葉を口にして、カディはリーゼが選ばなかった選択について一期生たちに説明を始める。
リーゼは、それも聞こえていない様子だ。
フィルはそっと、俯いたままの彼女の頭に手を置いた。
柔らかい髪を、宥めるように軽くぽんぽんと叩く。
「何で、撫でるんですかッ!」
「ひえッ、す、すみませんっ」
ぱっと手を引っ込めたフィルに、真っ赤な顔をしてリーゼは眉を吊り上げる。
「子どもじゃ、ないんですからっ」
「ご、ごめんて」
彼女は「まったく」と言いつつ、頬にかかっていた髪を耳にかける。
影はないが、どこか不安そうにすぐ言葉を継いだ。
「…そんな簡単に、やられたりはしませんよね?」
「一応十年3rdやってるしな」
砂海に「絶対」はないけれど。
フィルは腹に巻かれたローブを解いて、リーゼに渡す。
「リーゼが困るんだろ? 命を懸けて連れて帰ってもらったことだし、簡単に死ぬつもりはないって」
「……そうですか」
何故か恥ずかしそうに、彼女はそっぽを向いた。




