4、宣戦布告
「この部屋好きに使って良いからね。お風呂は共同のがあるから、夕ご飯食べたら連れてってあげる」
早速訓練の打ち合せをすると言うフィルたちと別れ、部屋を案内してくれたリンレットがさっと白いカーテンを開いた。
フィルの案内所より一回り大きい窓から、ガーデニアの街並みが見える。
リーゼはチェストに手荷物を置いて、部屋を見回した。
砂海科の寮より、遙かに居心地が良い。
広いとは言わないがゆったりと出来るだけのスペースがあり、何よりベッドが大きめだ。
窓の傍には古いがちゃんと机が用意されており、可愛らしいランプがぽつんと置かれていた。
ふっと、リンレットが笑う。
「一期生の子たちって、みんなそんな反応するよね。砂海科の寮、割ときつかったんだって?」
「…はい。一応新しくはありましたけど、二人部屋でしたし、ほとんど寝るためだけの部屋でした」
「その上、規則も厳しくて何より寮母さんが怖い!」
リンレットはリーゼの言いたかったことを先に言って、椅子にひょいと座った。
長い綺麗な髪を指で梳きながら、「でしょ?」と笑顔で首を傾げる。
可愛い人だ。
リーゼは固くなる表情を崩して笑い返した。
「良くご存じですね」
「もっちろん。一期生はみんな言ってるもん。そんなに怖かったの?」
「私はあまり怒られませんでしたけど…。厳しい方でしたから、怒鳴り声を聞かない日はほとんどなかったです」
ふぅん、とリンレットは椅子に寄りかかった。
「デザートカンパニーにも前は寮母さんいたんだよ。あの頃も父さん忙しかったから、小さかった私のために居てもらったみたいだったけど」
彼女はすっと窓の外に目をやる。
リーゼもつい、その視線を追った。
「でも私、あの頃は小さいながらも荒れててね」
「え?」
リンレットは可笑しそうに肩を竦めた。
「だってお母さんいなくて寂しいし、うちの案内人たちは年上ばっかで怖かったし。それなのに父さんは全然私のこと構ってくれないんだよ? だから寮母さんも徹底的に無視。父さんのこと、困らせたかったんだよね」
「………わかる、気がします」
リーゼも、実父をあの粛清で亡くしている。
その後母はリーゼを連れて再婚したが、思うところがなかったわけではない。
そして親子の間には「案内人になるならない」の問題が現在進行形で横たわっている。
リンレットはリーゼの事情を知らないはずだが、その言葉をただの慰めとは取らなかったようだ。
小さく、頷いた。
「我ながら、結構酷かったんだよ? 誰とも話さなかったり、ご飯食べなかったり」
「それは…、凄いですね」
「でしょ。父さんも辛かったと思うけど、でもね、私も、辛かった」
彼女は細い指先を頬に当て、そのままあの人がよくやるように自分のイヤホンに触れた。
曇りのない銀のタグには二本線。
それを、そっと握り込む。
「それである日耐えられなくなって、家出したの。って言っても、誰にも言わずに街に出ただけなんだけど。でも、トラムも使わずに滅茶苦茶に歩いてたら本当に迷子になっちゃって…」
流石に怖かったな、とリンレットは切ない表情をした。
ガーデニアは街自体が入り組んでいるし、元々案内人の街。
柄の悪い連中も少なくない。
首都の旧市街より治安は良いはずだが、幼い少女にはさぞ怖かっただろう。
リンレットはまるで独り言のように、静かに続ける。
「だから、細い路地のごみ箱の影に隠れてずっと泣いてたんだ。そしたら知らない男の子がいつの間にか傍に来て、手を引いてくれたの。同い年くらいに見えたし私も疲れてたから、そのままその子についてって、それで父さんと会えた」
彼女は椅子に座ったまま膝を抱え、「父さんたら」と楽しそうに肩を震わせる。
「私がいなくなったって寮母さんから連絡もらって、仕事全部放って飛んで来たんだって。1stなのにだよ? 何か、何やってたんだろって思ったな。でも、大切に想ってもらってるって、あれがなかったらきっとわからなかった」
「……そう、ですか」
「まあ、それで寮母さんは結局付き合い切れないって思ったのか辞めちゃったんだけど」
そこでリンレットは、すっと視線をリーゼに向けて微笑んだ。
それは、あの公開訓練で彼女の父が見せた底知れない笑みに似ている。
彼女の真意を悟って、リーゼは思わず奥歯を噛んだ。
「代わりに遊びに来てくれるようになったのが、その時助けてくれた男の子だったの。何でかもう会えないだろうって思ってたから、来た時はホントびっくりしたよ。でも聞いたらあの時も父さんから事情を聞いて、一緒に私を探してくれてたんだって。四つ上でもう『タグなし』だったけど、その子全然偉そうじゃなくて、一緒に遊ぶの凄く楽しかった。お兄ちゃんが出来たみたいで嬉しかったな」
「……」
リーゼはリンレットの視線を受け止めたまま、組んだ指先に力を入れた。
「……ねえ、リーゼちゃん。フィル、優しいでしょ」
「はい。とても、良くしてもらっています」
リンレットはふぅ、と息を吐いて、椅子に寄り掛かった。
「あーあ、もっかい家出して私もフィルに弟子入りしちゃおうかな」
「リンレットさんは…、もう弟子を取る側じゃないですか」
そうだけど、とリンレットは本気で残念そうに項垂れる。
しゅんと細い眉を下げると、年上に見えないほどだ。
迷子を相手していた時は、凛として戦う姿さえ綺麗だったのに。
リーゼは力を入れた指が冷たくなるのを感じた。
リンレットはぱっと顔を上げる。
ころっと変わった表情は、どこか清々しい。
「まあ、いいや。リーゼちゃんは、ちゃんとわかってるみたいだし、はっきり言うね」
「……はい」
笑みを浮かべたままの唇はふっくらとして赤い。
リーゼは背筋を伸ばした。
逃げたら、遠くない未来きっと後悔する。
「あの人はあんなだから、決戦はまだ先のことだろうけど」
優しい声のまま、リンレットは言った。
「私、世界中の誰にも、譲る気ないから」




