3、お願い
「…………」
「…何ですか」
自室のベッドに腰掛けて何かの資料を見ていたカディが、鋭くこちらを睨む。
その右足首には、真っ白い包帯が丁寧に巻かれていた。
案内してくれたリンレットが「カディってば」と、対応を諌める。
「せっかくOKしてくれたんだから、お礼くらい言わないと」
「別に頼んでませんけど」
「もう…」
フィルの後ろからカディの足を見たリーゼが「全然、元気そうですね」と、気の抜けた声を出した。
フィルも息を吐いて「そーだなぁ」と答える。
「何だ。砂海で怪我したのかと思って、結構心配したのにな」
「そうですよ。お昼抜きでここまで来たのに」
「……何か貴方がた残念そうに見えるんですが」
駆け付けたデザートカンパニーでリンレットに案内されて来て見れば、これだ。
「ごめんね」とリンレットが笑う。
「通信ではあんまり詳しく説明しなかったもんね。食堂に行こ? お願いのことも、カディを交えてちゃんと説明するから」
リンレットに促されて、渋々といった様子でカディが腰を上げる。
足に力を入れる瞬間、やはり痛みのためか微かに眉を寄せた。
「歩けんの?」
「………」
「あ、辛いかな。フィルに肩貸して貰ったら?」
「歩けます!」
何故かフィルに怒鳴って、カディは足を庇いつつ部屋を出て行った。
「………元気じゃないですか」
その背を見送って、ぽつりとリーゼが呟いた。
デザートカンパニーの食堂は昼時ということもあってかなり賑わっていた。
中庭に面したテーブルを選んで、リンレットが席を取る。
曇りのないガラスの向こうに、青々と緑が揺れていた。
天井もガラス張りになっており、惜しむことなく燦々と陽光が降ってくる。
「オムライス、美味しそうです」
「うーん、これでこの値段。デザートカンパニー恐るべし」
フィルとリーゼはトレイに載った料理を前に、しみじみと顔を見合わせた。
旧区のレストランも安くて美味しいが、この食堂はそれ以上だ。
営利目的ではないから、当たり前なのだろうが。
フィルとリーゼの向かいに座ったカディは腕を組んで眉を寄せていたが、二人の感動ぶりに呆れたように小さく首を振る。
「…行楽気分ですね」
「うん。まあ、否定はしないけどな」
「デザートカンパニーの食堂なんて、こういうことがないと入れないですしね」
カディの嫌味に、フィルとリーゼは悪びれることなくしれっと答えた。
あっさり言葉を返された彼は、不機嫌な顔のまま口を噤む。
「お待たせ! カディはホットコーヒーで良かったよね?」
「…はい。ありがとうございます」
湯気の立つカップを両手に持って来たリンレットが、片方をカディの前に置く。
そのまま、彼女はフィルの向かいに腰を下ろした。
「それじゃあ、改めてお願いの話! 今、うちの2ndは砂海科の一期生の訓練を持ち回りでしてるんだけどね、丁度明日から三日間、カディが担当だったの」
そこでリンレットは隣でコーヒーを飲むカディを見た。
「…カディは色々考えてくれて凄く充実した訓練内容になってるんだけど、砂海での実習とか戦闘訓練とか組み込んでるから、カディの怪我じゃ無理させられなくて」
「大したことないんですから、訓練くらい出来ますよ」
「だーめ! 父さんも言ってたでしょ? 無理して怪我が癖になったらどうするの。ただでさえ予約がたくさん入ってるのに」
砂海で命を張る案内人にとって、些細な怪我でも不安要素には違いない。
カディは不満そうだが、ルレンとリンレットが彼を想うが故の決定なのだろう。
それに、彼が気付いているかは微妙だが。
フィルは遅い昼食を味わいつつ、苦笑する。
気付いたリンレットが「それでね」と慌てて言葉を継ぐ。
「代理をって思ったんだけど、私明日から仕事だし、他のみんなも今はぎりぎりのスケジュールで動いてるから都合がなかなか付かなくって。それで、父さんと相談して、フィルにお願いしようって話になったんだ」
リンレットは身を乗り出して、「少ないけどお礼を出すし、部屋も用意出来るし」と付け加える。
恐ろしいほどに好条件なのだが。
「いや、それは良いんだけどさ。通信でも聞いたけど、俺で良いのか?」
幸か不幸か仕事の依頼は清々しいほどにない。
訊けば無論リーゼも一緒で良いと言うし、彼女の訓練にもなって尚且つお礼が出る旨い話だ。
だが。
本気でわからない顔をしたリンレットに、フィルは自分の右耳のタグに触れて見せた。
「何だ、そんなこと気にしないって。良いに決まってるよ! …フィルだったら、カディの訓練計画を変更しなくても大丈夫だし」
「ど、どんな訓練予定してんだ」
リンレットはにこっと笑って、「大丈夫、大丈夫」と良くわからない返答をする。
「リーゼちゃんも、良いでしょ?」
「はい。私も訓練を受けさせてもらえるっていうお話ですし、お部屋も借りられるなら至れり尽くせりです」
オムライスをつついていたリーゼがこくりと頷く。
先日の砂海での一件もある。
リンレットから通信があった時に、同期たちに混ざっての訓練は嫌ではないかと確認したのだが、案外それは嫌ではないと言う。
苦手な子もいるけれど、ちゃんと友だちもいますから。
だ、そうだ。
リンレットは、「良かった!」と手を打つ。
「打ち合わせもあるだろうから、今日から泊まってってよ。部屋、すぐ用意するから。じゃあ、改めてよろしくね。カディ、ほら」
笑顔のリンレットに言われて、カディは渋々こちらを見た。
突き放すように、「言っておきますが」と冷ややかな声を出す。
「簡単に出来る訓練を計画してはいません。貴方も…、覚悟しておいて下さいね」
「…だ、だからどんな訓練をするつもりなんだって」
怪我のせいか酷く不機嫌な彼はフィルの問いに答えず、ぐいとコーヒーを飲み干した。




