27、おまけ
「こんにちは、フィル・ラーティアさん。お届けものです」
ノックと同時に柔らかい声がする。
届いたのか、とデスクの間をすり抜け、フィルは扉を開けた。
にこりと微笑んで、小包を差し出したのは。
「…リーゼ」
ミルクティー色の髪が、ふわりと風で揺れる。
あの日と同じ、砂海科の制服のまま。
けれど金色の瞳に見慣れた鋭さはない。
「こちらにお受け取りのサインをお願いします」
薄桃色のペンを渡されて、フィルは促されるまま小包の上に乗せられた白い紙に受領のサインをする。
リーゼの足元には、初めて会った時も持っていた重そうな旅行鞄が置かれていた。
「…はい、確かに」
「って、リーゼ! 何でこんなとこに? 仕事は? ティントの届け物なんてしてる場合じゃねぇだろ!」
リーゼは澄ました顔で後ろ手に扉を閉めた。
それは彼女が、ただティントの手伝いでここに来たのではないことを示している。
動揺の余り眩暈がして来たフィルに対して、リーゼは落ち着いた様子で首を振った。
「辞めて来ました」
「辞めて来たのか。そっか。………って!」
まさか、と呟くフィルに、リーゼは躊躇いなく頷く。
「デザートカンパニーを辞めて来ました」
「嘘だろー………」
頭を抱えそうになるフィルに、リーゼは楽しそうに笑う。
「勤務先をすぐに変えると経歴に響くって言ってたろ…」
「私、そんなこと言いましたっけ?」
「言ってました! あー、もう、どうすんだよ…。何が嫌だったんだ? 一緒に行ってやるからルレンさんに謝って」
「そんな必要はないです。ルレンさんには、自分でちゃんと事情を説明しましたから」
彼女は足元の旅行鞄から、桃色の花がプリントされたファイルを取り出し、そこから一枚の紙を取り出す。
デザートカンパニーの判が押された書類、所謂辞職届だ。
当然、リーゼとルレンのサインがある。
それをGDUに提出すると、所属と師匠が必要な『タグなし』のリーゼは認可を取り消される。
「ここまで、来たんです。GDUに言われたから、はいそうですかって納得出来るはずありません」
「何言ってんだ。訳のわからない意地張って、『野良』にでもなるつもりか? 冗談よせよ」
「訳のわからない意地を張ってるのは、私じゃなくてフィルさんです」
ぎょっとしたフィルは、思わずリーゼの言葉を待った。
レイグにした「頼み事」がバレるはずは。
リーゼは拗ねたように、ふいと顔を背ける。
「大体フィルさんが求人依頼を出していてくれれば、こんな面倒なことにはならなかったんです」
「は?」
「…フィルさんに事情があるように、私にだって、事情があるんです。貴方の弟子を、辞めるわけにはいきません」
真っ直ぐ、挑むように彼女はフィルを見据えた。
「…や、辞めるわけにはいかないって。GDUから異動命令が出た時点で、俺との契約は切れてる。せっかくデザートカンパニーに入れるってのに…、何でわざわざ」
「………」
思わず視線を逸らしたフィルに、リーゼは小包の上の白い紙を手にして突き付けるように、広げた。
折りたたまれていたそれは、再雇用契約書。
やられた。
「砂海じゃなければ、私の方が一枚上手ですね」
「な、なんつう…、形振り構わないことを…」
リーゼは微笑んだまま、その契約書を何故かフィルに手渡した。
手放す一瞬、指先に力が籠って紙の端に僅かに皺が寄る。
これは文字通り、彼女の切り札のはずなのに。
受け取って呆けるフィルに、リーゼは笑みを消した。
「フィル・ラーティアさん。私を、弟子にして下さい」
隠しようもなく、震える声。
それは、痛いほどに真摯に響く。
目を逸らすことも出来ず、フィルはぐっと息を飲んだ。
「………俺が断ったら、どうすんだよ」
「断られたら、私の夢もここまでです。逃げ道を作っておいて、貴方のところに来たりはしません」
「リーゼ、結構良い性格してるよな…」
「はい。自分でも、吃驚してます。でも私、本気です」
どうして、とフィルは息を吐いた。
手の中にあるのは、リーゼが小さい頃から抱いて来た夢。
その邪魔をしたくなくて、彼女を遠ざけたのに。
「3rdの弟子って言われるぞ。もっと酷いこと言う奴だって、中にはいる」
「言いたい人には言わせておきましょう」
「給料だって、ちゃんとは出ねえ」
「お金が欲しくて案内人になりたいわけじゃないですから」
「…本当は俺、凄く悪い奴かも」
「私、人を見る目はあるつもりです」
言い切った彼女は、「他にあります?」と強張った顔に微かに笑みを作った。
フィルは受け取った契約書に視線を落とす。
「……後悔するぞ。憧れの人がいるんだろ? その人に、そんな奴の弟子になったのかって言われたら、どうすんだ?」
「それは絶対ないです。だから、後悔なんてしません」
何でこんな必死なんだか。
けれど初めて会った時と同じように、腹が立つと言うより良くここまでやるもんだと感心する。
いや、違うか。
フィルは答えを待つリーゼをただ見返す。
あの時とは違って、今、その気持ちを確かに嬉しいと思っている。
「いつか…、砂海で逢うんじゃ、駄目なのか?」
「はい。フィルさんと一緒に、行きたいんです」
フィルは右耳に触れた。
銀のタグは変わらず、そこにある。
それなのに。
「いいのか?」
「…はい!」
良いはずないと、フィルは知っていて。
けれど彼女を拒絶しきれなかった。
金色の瞳を輝かせて、リーゼは強く頷く。
思わず、フィルも笑う。
「あーあ、後で泣きごと言っても知らねえぞ」
「言いません。もう、諦めたらどうなんですか? 師匠」
師匠、か。
リーゼは受け取った契約書をそっと、大事そうにファイルに入れる。
ほっとしたようなため息に、彼女は呟きを混ぜた。
「そもそも、一緒に行こうって言ったのは…、フィルさんじゃないですか」
「―――え」
君は――――から、
俺と――。
微かに痛んだこめかみを押さえて、フィルは首を傾げた。
リーゼは「良いんです」とゆっくり頷く。
頷いて、それから我慢出来ないとばかりにフィルの手を引いた。
ぱあっと顔をほころばせて、
「フィルさん、ほら、今日はとっておきの『出発日和』ですよ」




