22、影落ち来て
吹き飛んだのは、誘導役の人間だった。
彼らは人形のように宙を舞って、砂の上に落ちる。
僅かに遅れて、観客から悲鳴のような声が上がった。
その混乱が収まる前に、それは長い尾を振り上げ舞台の壁を抉った。
轟音がして、客席が揺れる。
先程までのショーとは違う。
これは、襲撃だ。
風が吹き抜けるような威嚇音を立てて、それはまた尾で壁を打った。
意図しているのか、繰り返し抉られた壁が、がらりと崩れる。
「どうなってんだ!」
男が隣で叫ぶ。
けれどその声さえ遠く感じる。
悲鳴と、轟音。
『どうなってるんですか! 確実に仕留めたはずです』
『良く見て、カディ! あれ、違う砂獣だよ。さっきの迷子より大きいし、お腹! 白いもん!』
カディとリンレットの声が通信に入る。
確かに迷子は誘導口近くに横たわったままぴくりともしていない。
今、舞台を破壊し暴れているのは、誘導口からあの一瞬で入って来たもう一匹の迷子。
先程の迷子より明らかに一回り大きく、そして金の鱗に覆われていない箇所は、白い。
フィルたちが砂海で会った迷子だ。
『もう一匹いたってことですか!? 聞いてませんよ、そんなこと!』
カディの苛立ちもわからないでもない。
けれど討伐ショーという枠組みの中であればこそ、生じた油断だ。
番いか、或いは親子。
数多寄せられていた目撃例も、それが一因だったのだろう。
想定外の展開に、早くも逃げ出す者が入場口へと駆け出している。
満席に近かった客席には、この状況でも敢えて残ろうという案内人だけがばらばらと残っていた。
通信に、場違いなほど明るい笑い声が入る。
『やっと倒したと思ったら、もう一匹襲って来たなんてのは、砂海じゃ良くある話だな。面白くなってきたじゃないか。一期生の面倒はまとめてオレが見てやるよ』
一期生たちを守るようにその客席の前に立っているのは、ルレンだ。
彼はここまで見越していたのだろうか。
『さあ、根性見せてみろ。案内人』
鋭ささえ感じさせる声で、ルレンは言い放った。
フィルは息を飲む。
ガーデニアの案内業界が、割と末期なのは確かだ。
実力のない案内人が平気で2ndのタグを付けて砂海を歩いているし、認可を受けない『野良』が横行しトラブルや事故が多発している。
その現状を打開するのは、砂海科一期生ではなくて。
今、案内人として先に立つ者であって欲しいのだ。
『…カディ、二人の救助を! 撹乱するから、皆は援護して!』
舞台が動く。
リンレットの良く透る声が、緊張を孕んで高く響いた。
彼女は誘うように、暴れる迷子の鼻先へと飛び出していく。
反応した迷子は一気に砂に潜ると、リンレットに狙いを定めて泳ぎ出す。
その背に、客席から一斉に叡力弾が浴びせられた。
けれどそれはただ火花となって散り、傷どころか僅かな跡も残らない。
その間、リンレットの進行方向とは反対にカディが駆け出す。
吹き飛ばされた凪屋の二人は、誘導口近くの壁際に倒れたままだ。
フィルは上からカディを追うように、客席の間を走った。
「…お、おいっ! お嬢さんの方を援護した方が、いいんじゃねえのかっ?」
何故か後ろをついて来た男に、フィルは振り返らずに答える。
「皆、援護してるだろ? ましてリンレットが撹乱するって言ってんだ。心配要らない」
速さと間合いの見極めに関して、リンレットはずば抜けている。
多少の援護は必要だろうが、心配するほどでもない。
そうか、と答えた男はそのままフィルに付いて来る。
カディがようやく一人を助け起こした。
フィルもそこで立ち止まり、叡力銃を構えたまま舞台を見下ろす。
誘導口が近いせいか、周りに観客は一人もいない。
流石はリンレットと言ったところか。
救助に向かったカディから確実に迷子を引き離している。
けれどその巨体故に、時折砂を撒き散らして揮われる尾は、カディたちを狙える距離にある。
「親子、かな。そりゃあ、怒るか」
迷子は、壁に打ち付けた尾鰭から鱗が剥がれるのも構わない様子だ。
狂い様は、その怒りを嫌でも感じさせる。
時に人が驚くほどに砂獣は情を見せることがあるが、中でも親子のそれは別格だ。
子連れの砂獣と出逢ったら、案内人はまず逃げることを考える。
カディに頬を叩かれて、誘導役の男がのろのろと頭を振った。
生きている。
歩けますか、とカディが問うのが微かに聞こえた。
その間にリンレットを追っていた迷子が少し後退し、カディたちの近くの砂面を尾で薙いだ。
倒れたままのもう一人は、ここから僅かに離れている。
「カディ、その人連れて一旦引け」
『何言ってるんですか、すぐそこですよ!』
「見捨てろなんて言ってないだろ」
おい、と背後の男が切羽詰まった声を上げた。
彼が指すのは、カディたちのすぐ傍ら。
最初に一打を受け崩壊しかけた舞台の壁だ。
一度崩落したその石組みが、振動で再び崩れる。
灰色の塊が、既に舞台に落ちていた瓦礫にぶつかり、砕けた。
その音に、迷子は振り返るよう頭を振った。
しなやかに弧を描き、尾が高く振り上げられる。
振り下ろされる先にいるのは。
「カディ! 前へ!」
茫然とする男を同じ方向へ突き飛ばして、反対にフィルは後ろへ下がった。
ごう、と風を切る音と、影が降ってくる。
何やら良く判らない声が、幾つも通信に入った。
叡力カートリッジを嵌めて、フィルはそれを頭上へ向ける。
躊躇うことなく撃ち放った誘導弾が、その尾に当たった。
破裂音が頭上で炸裂し、影の狙いが僅かに逸れる。
すぐ目の前で、突き飛ばされた男が手を伸ばした。
彼には影が落ちていない。
ほんの、数メートル。
文字通り、明暗を分ける距離だ。
『…フィルさんッ!』




