20、誘いと切り札
ぱぁ――……ん
尾を引くような破裂音。
残響を待たずに、砂が盛り上がった。
音を喰らうように振り上がる頭。
金色に覆われていない、黒い鮫のような口。
カディが地を蹴った。
あんな重い物を持って、良く跳ねるものだ。
たん、と客席最前列のガラス板に着地し、目の前で空を噛んだ迷子に向かって飛ぶ。
鋭く、その首へ。
携帯通信端末が鈍い金属音を拾う。
砂上へと落ちた迷子は、舞い上がった砂に見えなくなる。
『カディ!』
リンレットの呼びかけに、『大丈夫です』とすぐに応答があった。
着地地点から即座に飛び退いたカディが、アックスを振る。
刃先に付いた金色の鱗が数枚、光を反射しながら落ちて行った。
迷子の巨体は、ずるりと砂の中に消えて行く。
緩慢な動作は、カディの一撃が致命傷ではないにしろかなりのダメージであったことを思わせる。
『仕留め損ないました。もう一度行けますか?』
「行けるけど、出てくるかどうかは微妙だぞ」
続けて誘導弾を使うと効果が薄い。
まして、相手が傷を負っているのなら尚更だ。
『構いません。エイダを離脱させます。誘導口正面、なるべく壁際を狙って撃って下さい』
「注文が多いことで」
吹っ飛ばした誘導弾のカートリッジを拾うと、フィルは一つ前の席に降りた。
カートリッジを入れ替えて、叡力銃を構える。
安全のためとはいえ、客席のガラスが非常に邪魔だ。
けれど先程と比べれば距離がある。
誘導音発生のタイミングを計るのは難しくない。
叡力は、その効能によって弾の速さが違う。
誘導弾は中でも最も遅く、反対に純粋な叡力弾は最も速い。
誘導弾を叡力弾で追い撃ちすると、叡力がぶつかった瞬間に誘導音がするのだ。
距離があれば、それも難しくはない。
尤も、エネルギーを撃ち出す叡力銃だから出来る芸当で、実弾タイプのものではフィルも自信はない。
『……今です!』
合図に遅れることなく引き金を引く。
叡力を入れ替えて、追い撃ち。
またも弾き飛ばされて落ちる誘導弾のカートリッジを、隣に座っていた男がキャッチした。
ぱん、と今度は発砲音に近い誘導音の炸裂。
カディのリクエスト通り、誘導口の壁際で叡力がぶつかる。
ゆるゆると砂を泳いでいた迷子が、身をくねらせた。
黒い腹が見え、尾鰭が誘導口の辺りを薙ぐ。
それを軽く躱して、カディが尾を断つようにアックスを振った。
ぎ、ぎ、とまた鈍い音がして鱗が飛ぶ。
深い踏み込みではない。
カディはとん、とん、とステップを踏むように後退し、もう一度強く踏み込む。
彷徨うようにゆらりと揺れる尾に、僅かに見える黒い表皮。
鱗の飛んだそこに、刃先が食い込む。
振り切る銀のアックスに、ぱっと鮮血が飛んだ。
わっと、歓声が響く。
『さっすが、カディ!』
離脱の援護を終えたリンレットが一声入れて、カディと入れ替わるように砂に潜ろうとする尾鰭に斬りかかった。
今度は、ちりり、と鈴を鳴らすような音がして、削がれるように鱗が剥がれる。
『撃って!』
幾つもの返答が、通信に入る。
リンレットとカディが後退すると、赤く染まった尾に火花が咲く。
黒く見えていた表皮は叡力で抉られ、悶えるように撓った迷子の身体が砂に潜る。
盛り上がった砂が蛇行しながら、逃げ場を求めるように舞台を移動していく。
『もっかい、行ける?』
「やってもいいけど、効き目は期待できないかな」
リンレットに返事をして、フィルは神妙な顔をしている男からカートリッジを受け取った。
「……あんた、本当に3rdか? 普通あんな風に誘導弾、撃てねえぞ」
「正真正銘3rdですよ。だから小細工は得意なんです」
客観的に判断しても、フィルはカディほどの体力はないし、ましてルレンのように化け物みたいな戦闘センスがある訳でもない。
だからこそ、叡力銃を活用してより有利に立ち回れる戦い方を選んだ。
「一応やろうか。さっきと同じとこ狙うから、退避を」
『了解、お願いね!』
答えたリンレットに続くように、舞台の案内人が迷子を避けて散る。
恐らくは反応しないだろう。
フィルは先程と同じように、誘導弾を撃った。
ぱぁん、と誘導口の壁際で音が響く。
迷子は音に苛立ったように一瞬身を捩ったが、その金色が砂から出てくることはなかった。
『……厄介ですね』
『このまま潜ってられたら困るね』
カディとリンレットの声が入って、通信が沈黙した。
窺うような案内人たちに対して、迷子は砂に模様を描きながら一向に姿を見せない。
砂海であれば、こんな膠着状態は発生しない。
この時点で、案内人は砂獣討伐を諦めて上手く離脱することを考える。
しかしここは遺構の中。
迷子は舞台に閉じ込められ、案内人たちはそれの討伐を目的にしているのだ。
「…………」
フィルは一瞬迷い、けれど叡力銃を下ろした。
砂に潜った砂獣をおびき出すよう叡力弾を撃つことも、勿論可能だ。
ここが砂海であれば、フィルは効くか判らない通常の誘導弾を撃つより先にその方法を取っただろう。
だが先程の発音調整と違い、その方法は周りにどこまで影響が出るか判らない。
少なくとも、このような特異な状況で撃ったことはない。
舞台にあれだけの人がいることを考えると、危険性も充分にある。
『何か、良い手はないんですか?』
どこか上からな口調で、カディが問いかける。
『そりゃ、こっちが聞きたいぜ』
『こうなったら一度退避したら? 公開訓練ってことなら引き際も見極めないと』
『同感』
ばらばらと観客から返答があるが、良いアドバイスはない。
いや、一度退けというのが最良の選択だろう。
『……そっか。ね、もう一回だけ、誘導弾撃ってくれない? もしかしたら出てくるかもしれないし』
「もう誘導弾は使いたくないな。いくらあの誘導口が頑丈だからって、もう一匹入って来たら堪んねぇよ? リンレットたちが全員舞台の外に退避出来るなら、方法はなくもないけど」
『え! 方法があるなら試してよ!』
「そうそう、退避してって、え?」
普通に考えて、一期生に見せるなら引き際も弁えた砂獣との駆け引きのはずだ。
「……いや」
『何で? 一回全員で退避するからやってみて。別にいいでしょ? 皆で協力して良いって父さんも言ってるんだし』
『誘導弾の奴か! 今度は何見せてくれるんだ?』
『手だてがあるのなら惜しむべきではないと思いますけど』
『……というか何を躊躇っているんです?』
すでに先程から誘導弾を撃っているのがフィルだと気付いている近くの観客が、無遠慮に視線を寄越した。
期待と疑惑。
本当にどうにか出来るのか見てやろう、という顔だ。
いらんことに、「あいつが撃つらしい」と近くの案内人同士が周知の輪を広げている。
「にいさん、どした? デザートカンパニーの奴ら、引っ込んじまったぞ。やるんなら早くしねえと」
本当だ。
フィルが不毛なことで躊躇っている間に、リンレットたちは早々に退避口へと逃げたらしい。
引くに引けない。
こうなれば、騒ぎが大きくなる前に終わらせよう。
意を決したフィルは、叡力銃のカートリッジを閃光弾に替える。
「カディ」
『……何ですか? 今更出来ないとか言うつもりじゃないですよね』
「違ぇって。とどめ、任せた。必ず砂から引き摺り出してやるから、確実に仕留めろよ」
『言いましたね。良いでしょう。デザートカンパニーの2ndのタグに懸けて、必ず仕留めて見せますよ』
フィルは思わず笑う。
通信端末にリンレットの不服そうな声が微かに混じった。
彼女の実力を侮る訳ではないが、相手との相性を考えると留めはカディが最も適している。
砂海でいつも吹く風は、高い壁に遮られここには届かない。
すっと銃口を下ろす。
淀むように沈黙したままの、砂の舞台。
ただ迷子の印す砂紋だけが、息をするように刻まれて行く。
その行く先。
引き金を、引く。
閃光弾のカートリッジを、叡力弾に替えて、もう一度。
迷子の鼻先の砂が叡力を撃ちこまれて、跳ねた。




