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ロストクラウン  作者: 柿の木
第七章
175/175

28、いつかその時が来たら




『ねー、ねー、ちゃんと聴いてる?』


 リーゼがふっと首を傾げて、椅子を近付けた。

 通信相手が誰か、微かに漏れる声でわかったのだろう。

 口だけで、「ご機嫌斜めですね、ティントさん」と言う。

 その間も、ティントの文句は止まらない。

 調子の良い情報端末の電源を落として、通信に入らないよう溜息を吐いた。

 新しく支給された携帯通信端末。

 今のところ、ティントの愚痴にしか役立ってない。

 案内所の本棚に挟まれた小さな窓から、心地良い風が入って来た。 

 旧式の電話のディスプレイが、正午を知らせる。

 本格的に、暑い。

 

「聞こえてるって」


『あのねー、そんなのんびりで良いの? 明らかにね、フィーくん、君、超貧乏くじ引いてるよ!』

 

 すぐ隣で、リーゼが小さく笑った。

 そんなこと言われても。


『フィーくん、ちょっとは抵抗しなよー。良いように利用されてさー、損してるの君だけじゃんか』


「まあ、否定はしねぇけどさ」


『あのおじさん、自分は引退してもやることやるつもりだよ? そのためにわざわざ口噤んだんでしょ。王室に恩売ってさー、えげつないこと考えるよ。僕に言わせれば、GDUも同罪だけどね』


 引退説が囁かれるアルカーナ議長は、真相を「事故」と偽って表舞台を去るらしい。

 あの暗殺未遂事件の裏で起きたことは、王室にとっては絶対に隠し通したい汚点。

 彼は目的のために、敢えて沈黙を選んだのだろう。

 今後、王室が彼の政策を支援するであろうことは、フィルにも何となく理解が出来る。

 それは、恐らくGDUも一緒だ。

 第七王子の罪を追及しない代わりに、GDU独立のための助力を乞うつもりだろう。

 何とも、強かな話だ。


『感心してる場合?』


「……一応、GDUから治療費も休業手当も出てるし。俺がごたごた言っても、仕方ねぇかなって」

 

 そもそも。

 こうして今生きているだけで、フィルも一つ利益を得ているのだけれど。

 リーゼが何か言いたげな眼をする。

 わかってる。

 貧乏くじを引いたのは、間違いない。



 イグに帰ってから。

 問答無用で拘束されて尋問、裁判を覚悟していたのに、待っていたのは強制入院と検査だった。

 それは、先に救助されたクラウスも同じだったらしい。

 もっともフィルは殆ど意識のないまま徹底的に検査を受け、気付いたらすでに怪我のための入院に切り替わっていた。

 そして病院のベッドで事情を訊かれ、GDUとしての判断を聞くことになる。


 大丈夫だとは思いますが、『女王』の影響がこれから出る可能性も、完全には否定出来ません。

 貴方が今後人を喰うようなら、1stが貴方を処分します。

 けれどそうでなければ、今回の一件は不問とします。


 そう宣告したのは、やはりレイグだ。

 何だ、それ。

 レイグは言葉少なに、GDUにも事情があるのですよ、とだけ言った。

 死にたいわけではないのでしょう、と訊かれれば、フィルも頷くしかない。

 図らずもクラウンの身代りとして案内をさせられたこと、そしてGDU独立の布石となったこと。

 嫌な事情だが、その辺りが本音だろうか。

 それは、クラウスの処遇にも影響したようだ。

 彼もまた、女王宮立ち入りに関しては罪を問われないことになったと言う。

 監視としてイリアが付き添い、怪我がある程度回復した時点で秘密裏に離宮に護送されたそうだ。

 仮にも第七王子。

 その他の罪も、そう深くは追及されないだろう。

 直接的に被害を被った議長さんはどうやらそれで良いようだし、フィルとしても、最早どうでも良いことだ。


 あそこまでして、彼が救いたかった人。

 彼が生きて、その人の傍に帰ることが出来たのなら、それで良い。


 

『フィーくん、僕はね、怒ってるんだよ』


「あ、はい」


 けれどティントは、やはり納得いかないようだ。

 心配をかけた手前大人しく聞くのが筋だろうが、日に何度も通信を入れて来なくても。


『――――だからね、君は、僕に、ご飯を、奢ってくれても良いと思うんだ!』


「……え、飯? いつから、んな話になった?」


『今』


 ティントは即答する。

 ここまで会話をぶっ飛ばしておいて、堂々としたものだ。

 

『お腹空いたんだよー。フィーくんだって退院したけど、まだ仕事復帰は出来ないでしょ。じゃあ、暇してるよね? 超暇人だよね? 丁度良いじゃんかー!』


 フィルは右耳を押さえるようにしてデスクに肘をついた。

 相変らずだ、ホント。

 

『フィーくん、僕はね、お腹が空いたんだよ』


「お前、怒ってんのか腹減ってんのか、どっちなんだよ!」


『やだなー。どっちもに決まってるでしょーが』


 じゃあ旧区のお店で待ち合わせね、と勝手に取り決めて、ティントは通信を切る。

 リーゼが首を傾げて、「ご飯、行くんですか?」と少し嬉しそうな顔をした。

 フィルは肩を竦める。

 

「奢れってさ。ま、良いけど」


「ティントさん、まだ心配なんですよ。フィルさんがちゃんと元気だって、確かめたいんだと思います」


「……んな健気な感じじゃなかった」


 リーゼは「そうですか?」と笑って、ひょいと立ち上がると風が通る窓を閉めた。

 そしてくるりと振り返ると、金色の瞳を悪戯っぽく細める。


「ね、フィルさん。私も、凄く心配したんですけど」


 咄嗟に、返す言葉がない。

 フィルが負った傷は、やはり軽くはなかった。

 うっかり生死の境を彷徨って、またこの子を泣かせた自覚はある。

 こうして何とか病院を出て来られたが、しばらくは自宅療養。

 仕事復帰には、まだ少し時間がかかりそうだ。

 

「ごめんって。もちろん、奢らせて頂きます」

 

 フィルが答えると、リーゼは、にこっと笑った。

 帰って来たんだな、と思う。

 あの時とは、違う結末だ。

 まだ『女王』の手から逃れたと言い切れないけれど、現時点で、フィルに「人を喰おう」という衝動はない。

 女王宮からどうやって帰って来たのかわからないけれど、それはもう確かめようのないことだ。

 砂海案内人を続けていれば、もしかしたら。

 いつか、真実を知ることが出来るかもしれないけれど。

 

「フィルさん」


「……ん、何?」


 目の前に立ったリーゼは、一度落とした視線をゆっくりとフィルに向けた。


「私、ご飯じゃなくても、良いですか?」


「?」


「お詫び」


 ああ、とフィルは頷く。

 椅子から立ち上がると、リーゼは何故か緊張したように表情を強張らせる。


「何でも良いけど、欲しいもんでもあんの?」

 

 叡力銃とか。

 今回GDUから支給された休業手当を回せば、そこそこ良いものが買えそうだ。

 でもそれは前から約束しているし、別のものとか。

 自然と計算を始めるフィルに、リーゼは不機嫌そうに眉を寄せる。

 何だか、懐かしい表情だ。

 リーゼはふいに手を伸ばして、フィルの首筋に触れた。

 少し背伸びをして、彼女はそのままフィルのタグを握る。


「私が3rdに上がったら、これ、私に、下さい」


 声は、微かに震えていた。

 けれどフィルを見上げる瞳は、穏やかに凪いでいる。

 

「これって、タグ? 昇格したら、こんな傷だらけのじゃなくて綺麗なの貰えんのに?」


「これが、良いんです。……これが、欲しいんです」


 不思議なもの欲しがるな。

 女の子って良くわからない。


「こんなんで良いなら――」


 言いかけたフィルの口を、リーゼが指先で止めた。

 あたたかい、指先の感触。

 流石に驚いて身体を引く。

 握っていたタグを放した彼女は、指先を組んで口元を少し隠した。

 そして、微笑む。

 

「3rdに上がったら、もう一回改めて、お願いしますね」


「……良い、けど。別に勿体ぶるほど貴重なもんじゃねぇし」

 

 あげるよ、と言うと、リーゼは少し考え込んだ。

 けれどすぐに頷く。


「じゃあ……、その時が来たら、私に、下さい。絶対ですよ? 約束、ですからね」


「うん。わかったって」


 何でそんな必死なんだろ。

 フィルが思わず笑うと、リーゼはぱっと顔を逸らした。

 ミルクティー色の髪が、横顔を隠す。

 彼女はそのまま、フィルの手を掴んで引っ張った。


「行きましょう、フィルさん。ティントさん、待たせると泣いちゃうかもしれません」


「いやいや。泣かないだろ、あいつ」


 泣いているのは、リーゼだ。

 頬を伝って落ちたものに、気が付かない振りをする。

 その涙が哀しいものでないのなら、良い。

 少しだけ、理由を訊きたい気もしたけれど。


「フィルさん?」


「ん、じゃ、行くか」


 それはいつか、機会があったらで良いか。

 どうせしばらくは、こんな日々が続くのだろうから。


 リーゼが開け放った扉の先、夏の陽は白くガーデニアを照らしていた。





 

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