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ロストクラウン  作者: 柿の木
第七章
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26、帰るべき場所




 砂粒が、はらはらと頬に当たった。

 

 風が、強いのだろう。

 これから、少し荒れるかもしれない。

 

 取り留めもなくそう思って、また感覚が遠ざかる。

 それを遮るように、唐突に首筋に何かが触れた。

 震える指先。

 冷たい。

 怯えたような息遣いに、意識が浮上した。


「…………ぁ」


 飛び込んで来た色彩は、見慣れた金色。

 見開かれたその瞳が、ゆっくりと瞬く。

 長い睫毛が、溢れた涙をそっと落とした。

 熱い。


「……―ゼ」


 音を出すことを拒むように、咽喉が悲鳴を上げる。

 咳き込もうとしたら、今度は肺が痛い。

 辛い。

 彼女は小さく息を飲んで、ふっと倒れ込むように身体を寄せた。

 表情まで、はっきりとは見えなかった。

 肩に額を押し付けて、彼女は砂避けのローブを強く掴む。


「フィルさん」


 彼女の肩越しに、空が見えた。

 陽射しを弱める薄い雲が、風で流れて行く。

 どうも、夢でも幻でもなさそうだ。


「……リーゼ」


 のろのろと持ち上げた手で、リーゼの背に触れた。

 華奢な身体が、小さく、跳ねる。

 それが限界だったかのように、彼女はしゃくり上げた。

 額を擦り付けるようにして、声を上げて泣く。


 泣かなくて、良いのに。


 恐る恐る、震える背中を撫でた。

 何故か、切ない。

 彼女が少し落ち着いたのを見計らって、身体を起こそうと力を入れた。

 誰かが、手を引いてくれる。

 リーゼではない。


「フィル」

 

 顔を覗き込んだのは、リンレットだった。

 長い髪はフードの中に隠れている。

 白い顔をして、彼女は唇を震わせた。


「……とんでもないですね、貴方」


 その隣に立っていたのは、カディだ。

 やっと、理解が追いついて来た。

 彼らが、助けてくれたのだろうか。

 フィルはリーゼの腕をそっと押さえて、首を巡らせた。

 数歩先で、海溝が口を開けている。

 流れ落ちる砂が、時折吹き付ける風で煙のように漂う。

 砂海。

 深淵は、信じられないほど遠い。


「その身体で、……良くここまで帰って来られましたね」


 皮肉でも何でもなく、カディが静かに言った。

 事情は知っていそうな口振りだ。

 フィルはぼんやりと彼を見上げて、咽喉を押さえる。

 携帯通信端末の本体は、そこにはない。


「……――助けて、くれたんじゃ、ねぇの?」


 何言ってるんですか、と彼は眉を顰めた。


「いいえ。二人がどうしてもと言うので、海溝に沿って捜索を続けていただけです。女王宮の中に入るような馬鹿な真似はしませんよ」


「…………」


 カディは答えながら、屈み込んでフィルの傷を確かめる。

 わざわざ聴こえるように舌打ちをして、てきぱきと処置を始めた。

 リーゼが袖口で目元を押さえ、すっと身体を離す。

 助けてもらって、いない?


「……フィル、さん?」


 リーゼが首を傾げた。

 強い風で、柔らかい色の髪が暴れる。

 自分で帰って来たとは思えないし、思いたくない。

 それは、人として『普通』ではない。

 けれどそうじゃないのなら、何が。

 誰が、助けてくれた?


「……――」


 疲れ切った脳が、答えを出すことを拒んだ。

 リンレットが心配そうに、手を握る。


「フィル。ね……、あのね、ちょっと大変だけど、このまま北へ抜けよ?」


 手当てを終えたカディが手についた血を拭いながら、頷く。


「出来れば、それが良いでしょうね」


「イグには、父さんもだけど案内人がたくさん集まってるの。私たちも招集されて来たんだけど、GDUの関係者も来てるみたい。だから、帰ったら……、駄目だよ」


「ルレンさん辺りにはバレそうですが、まあ、それくらいなら問題ないでしょう」


 ユニオンの誓約。

 そこにどんな理由があったとしても、女王宮に踏み込んだのは事実だ。

 レイグに念を押されたのは、いつだっただろうか。

 二度目は、ない。

 逃げろと、言っているのだ。

 リーゼはまだぴんと来ていないらしい。

 きょとんと、二人を見る。

 フィルは、首を振った。


「や、良い。多分、そこまで持たない」


「……フィル、でも」


 リンレットは俯く。

 良いよ、と笑うと、カディはあっさりと「わかりました」と答える。

 手当てをしてくれたのは彼だ。

 持たないと言うのも、あながち嘘ではないとわかるのだろう。

 乱暴にフィルのローブを剥いで、砂に放った。

 血だらけだからもう仕方ないけれど、そんなゴミみたいに捨てなくても。

 肩を貸してくれた彼は、時間が惜しいとばかりにさっさと歩き出す。


「カディ、あのさ」


 もしも、あの時の師匠と同じようになっていたら。 

 躊躇いなく斬ってくれそうな彼がいるのは、幸運だったかもしれない。


「海溝に投げ捨てられたくなかったら、黙って下さい」


「…………」


 割と本気で返されて、思わず黙り込んだ。

 カディはフィルを睨む。


「本っ当に、腹が立つ人ですね、貴方は。大人しく助けられてれば良いんですよ」


「……そう、じゃなくて」


「は? だったら尚更黙って下さい。どうしても体力使いたいんだったら、もっと有効な使い方したらどうなんです?」


 促されて、フィルは呻いた。

 腕を支えてくれたリーゼと目が合う。

 そりゃあ怒っているだろうと思ったのに、彼女は不安そうな表情のままフィルを見つめる。


「……一緒に、帰れるんですよね? 大丈夫、ですよね?」


 この有り様を見れば、不安にもなるか。

 フィルはゆっくりと頷いた。

 

「……ありがとな。迎えに、来てくれて」

 

 先行したリンレットが手を振る。

 リーゼは、ふっと息を吐いた。


「一緒に、帰ろう」


 師匠が口にしなかった言葉を、選んだ。

 クラウンは、二度もその罪を許しはしないだろう。

 師匠と同じ道を辿る危険性も、充分に理解している。

 でも、今だけは。


「はい。一緒に、帰りましょう。フィルさん」


 リーゼはやっと、微笑んだ。

 それで全部が、報われた気がした。






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