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ロストクラウン  作者: 柿の木
第七章
172/175

25、師匠




『馬鹿だな、フィー。何で、来た?』




 ゆっくりと立ち上がって、その人は振り返る。

 師匠。

 良かった。

 やっぱり、生きていた。

 呻くように、息を吐く。

 

 何でって、助けに来たに、決まってる。


 師匠は困ったような、笑い損ねたような、変な顔をした。

 砂海の深淵で、何を呑気な。

 相変わらずの余裕ぶりが、腹立たしい。

 師匠はその苛立ちを察したように、先手を打って「悪い」と謝った。

 悪いと思ってんのかよ、本当に。 

 音もなく砂を踏んで、師匠は少しだけ近付いて来る。

 

「ああ、そうだよな。悪い、心配……、かけたな」


 全くこの人は、どうしようもないな。

 師匠はじっとこちらを見て、それから首を振った。

 微かな動きに合わせて、砂避けのローブが揺れる。

 砂の匂いとは、違う。

 纏っているのは、血の匂いだ。

 怪我をしているようには見えないのに。 


「……帰れない。ごめんな」


 それだけ言って、視線を誘うよう振り返る。

 彼の背後。

 確かめるまでもない。

 師匠を除いた、十人の行方不明者。

 砂に散っているのは、その骸だ。

 そして、師匠は静かに自分の手に視線を落とす。

 理解しろ、と暗に言われた気がした。

 黒く汚れた袖口に、ローブの裾。

 何故、「帰れない」?

 師匠は、何も言わなかった。

 そうだ。

 いつもそうやって、大事なことほど答えをくれない。

 けれど。

 師匠がやったのだと、わからないはずが、ない。

 彼は笑った。


「お前はさ、時々、恐ろしく優秀だよなぁ」

 

 あまりに、それは常と変わらない口調だった。

 ここは、女王宮。

 思い浮かんだことが真実だとしたら、起こったことは惨劇以外の何物でもない。

 それなのに。

 師匠はふいに一歩踏み出した。

 手が届くほどの、距離。

 自然と伸ばされたその手を見て、咄嗟に。


 咄嗟に、剣を抜いた。


 師匠は一瞬哀しげに眉を寄せ、すぐに軽く笑む。

 剣を抜いた手が、震えた。

 この人を、助けに来たのに。

 何故。


「怖いか?」


 暗がりに泣く子をからかうように、師匠は肩を竦める。

 そんなことはないと、強がることも出来なかった。

 彼の背後、斃れたものがちらつく。

 

 本当に、師匠?


 目の前にいるのは、本当に、師匠だろうか。

 その皮を被った、得体の知れない何かじゃ、ないのだろうか。

 師匠は息を吐いて、「フィー」と言った。

 

「フィー。それで、良い。その判断は、正しい」


 砂海案内人として間違っていない、と師匠は頷く。

 逃げたい気持ちを、押し殺した。

 師匠はゆっくりとした挙動で、抜き身の剣を掴む。

 背中を、駆け上がる何か。

 指くらい落ちても不思議ではないほど、力が籠っている。

 勢い良く、剣を引かれた。

 慌てて、手を放す。

 師匠は苦く笑って、奪い取ったそれを砂に落とした。

 その手に、傷は一つもない。

 もう帰れない、と師匠は言う。

 

「お前と話している俺が、本当に『俺』か、わからない。確かなのは、取り返しのつかないことになったってことだけだ」


 取り返しがつかない。

 連れては、帰れない。


「もう、帰れ。お前まで、手にかけたくない」


 じゃあ、師匠は、どうすんの?


「さあ、どうするかな。随分と頑丈な作りになっちまったし、でもまあ、自分のことくらい、自分で責任取るさ」


 良いから、行け。

 そう急かされて、立ち竦む。

 もう師匠は、人と呼べるものじゃない。

 自らの意思ではないとしても、一緒に砂に呑まれた人を、喰らった。

 姿がどうであれ、それは砂獣と変わらない。

 そして師匠なら、その在り方を受け入れて生き抜くことを、考えはしないだろう。

 師匠が、『師匠』のままなら。

 強く、首を振った。

 このまま、逃げたくない。

 この人を、助けに来たのだ。

 何もかも捨てる覚悟を、一応は、してきたのだから。


「フィー」


 師匠は、優しく名を呼んだ。

 彼がくれて、彼が勝手に省略した呼び名だ。

 今度は、手は震えなかった。

 ホルダーから抜いた叡力銃を、真っ直ぐに師匠に向けた。


「……フィー、良いのか?」


 どこかほっとしたように、師匠は言った。

 その選択が間違っていないことに、ただ安堵する。

 生きていて欲しかった。

 だから、こんなところまで来た。

 けれどそれが無理ならば、せめて。


「撃てるのか?」


 撃ちたくはない。

 けど、撃てる。


 師匠は、「お前らしい」と笑った。

 笑って、それから深く息を吐く。


「なあ、フィー。ここから出たら、全部忘れちまえ。全員死んでた。間に合わなかった。それで、良い。頼むから、抱え込むな」

 

 可笑しくなるくらい必死に、師匠はそう説いた。

 それが出来るかどうかわからなかったが、反射的に頷く。

 少しでも躊躇えば、きっと師匠は頼ってはくれないだろうから。

 

「…………助かる。ごめんな、フィー。頼む」


 他に、どうしようもなかった。

 でも。

 何で、この人を撃たなきゃいけないんだろう。

 何で、一緒に帰れないんだろう。


「ちゃんと、生きて帰れ。そこそこの大人になって、好きな娘と家庭を持って、適当に爺になれ。フィー、だから、砂海で、死ぬなよ?」


 うん。

 努力は、する。


 彼は安心したように、酷く優しく、笑った。

 



『生きて、帰れ。フィー』






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