24、女王の庭
誰かに、呼ばれた気がした。
その声があまりに必死に聴こえたので、仕方なく、重い瞼を持ち上げる。
何も映らないと思ったのに、ちゃんと、そこに風景はあった。
一面、仄かに明るい。
凪いだ砂面を照らし出すのは、水の色をした、幾千の光。
風に靡くように、それはさざめく。
落ちて、きっと流されて来たのだろう。
死んだのだと思わなかったのは、やけにはっきりと砂の匂いがしたからだ。
馬鹿だな、もう一度目を覚ましてどうするんだか。
横たわったまま、フィルはぼんやりと瞬いた。
光の一つが、目の前を横切る。
あの虫だ。
『…………さん。――――ます、よね?』
脳が許容出来ないのだろう。
有難いことに、痛みは霞んでいた。
あれほど苦しかった呼吸も、今はしているのかすら、怪しい。
聴こえるのは、どこからか流れ落ちて来る砂の音。
そして、彼女の声。
『ね……、フィルさん』
リーゼ。
その声に、返事はしない。
ここに、来させてはいけない。
そのためには、僅かでも、希望があってはいけないから。
『私、今からそこまで、行きますから。絶対、貴方を、連れて帰りますから。だから……、返事、して下さい』
良いよ、来なくて。
こんなとこに、来なくて良い。
『フィルさん。だって、貴方が、一緒に……、行こうって』
リーゼの嗚咽が、鼓膜を震わせる。
そう、だっけ?
不機嫌な顔で押しかけて来て、挙句自分の夢を賭けてまで弟子にしてくれと迫って来たのは、彼女の方だ。
お陰であれから、騒がしくて目まぐるしくて。
まあ、悪くはなかったけれど。
フィルは痺れた手を持ち上げて、咽喉に爪を立てた。
携帯通信端末。
やっと外れた端末の本体を、砂の上に置いた。
健気に機能し続けるそれは、外へ繋がる唯一のもの。
物珍しいのか。
蛇行しながら、虫が一匹寄って来る。
端末の周りをくるくると回る燐火を、そっと追い払った。
『フィルさん……、私だって、諦めませんから。貴方が……、そうしてくれたみたいに、絶対、貴方を、見つけてみせますから』
柔らかい色が、一瞬瞼の裏に蘇った。
それは少女ではなく、幼い子どもの姿をしている。
粛清。
あの日、抱きかかえて帰った、子ども。
『私あの日から、貴方が、憧れで。だから……、だから』
右手で支えるように、叡力銃を構えた。
カートリッジの中の叡力は、もう殆ど残っていなかった。
一発、撃てれば良い。
『勝手に、いなくなっちゃ、いやです。ねえ、フィルさん。まだ、だって、何も』
引き金は、酷く重かった。
それでも、後悔はしない。
叡力銃を撃った。
『フィルさん――、』
彼女の声は、ふつりと途絶える。
砂の上。
撃ち抜かれた携帯通信端末が、弾け飛んだ。
ざわ、と光が揺らめく。
叡力銃を握ったままの手が、砂に落ちた。
ほっとした。
あの時。
あの子を助けることが出来て、良かった。
他にしてあげられたことは、あまりないけれど。
彼女なら、きっと、大丈夫だろう。
どこかで笑って、生きていてくれるなら、それで良い。
「…………」
ふわりと水色が、道を作る。
音なく、砂を踏む何か。
近付いて、来る。
抗うことなく目を閉じる瞬間。
そっと包み込むように降って来るもの。
血塗れのローブ。
オルフマン。
それは酷く優しい顔をして、笑った。




