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ロストクラウン  作者: 柿の木
第一章
17/175

16、粛清




 あの日。

 陽の沈みかけた午後五時二十一分。

 砂海に面した門と工業区が何の前触れもなく、砂獣たちに襲撃された。

 死者、三六二名。

 粛清。

 ガーデニア史上、最悪の犠牲者を記録した砂獣襲撃事件だ。

 

 その当時、ガーデニア市議会は国王の要請を受ける形で砂海開発に力を入れていた。

 フィリランセスの中央に広がる砂海はかつて天然の要塞として国防上重要な役割を担っていたが、周辺国との同盟が成立してからは物流を遮る障害となっていたのである。

 GDUの前身であるユニオンは、その筆頭である「クラウン」のもと砂海開発に反対の意向を示していたが、1161年冬、本格的に砂獣掃討作戦が開始された。

 砂海開発のメイン事業として注目されていた、「鉄路延長計画」のためだ。

 首都とガーデニアを結ぶフィリランセス中央鉄道を砂海まで延ばし各都市への連結を図ったその計画は、長く続いた案内業界を揺るがすものではあったが、一般には広く期待され、開通を待ち望む声はガーデニアでも多く聞かれた。

 砂獣掃討作戦は、当時最先端であった叡力兵器を導入して本格的に行われ、ユニオンの記録でも砂獣の目撃例、遭遇例は劇的に減少したと言う。


 明けて1162年、春。

 冬の嵐の終わりと共に、一時中断されていた掃討作戦が再開された矢先、悲劇は起こった。

 その襲撃を「粛清」と呼ぶのは、掃討作戦が砂海の主と伝えられる「女王」の逆鱗に触れたからと人々が語るからだ。

 襲撃より約六時間後、急遽集められた襲撃事件の対応組織が被害の状況を明らかにした。

 その時点で、死者は三五一名。行方不明者は十一名。

 行方不明者に案内人が含まれていたことから、ユニオンがその携帯通信端末の電波を探知。

 砂海北部で生体反応が確認され、事態は大きく動いた。

 砂海の北部は、ユニオンの誓約において立ち入りを禁忌と定めた「女王宮」と呼ばれる地である。

 行方不明者たちは恐らく砂獣と共になだれ込んで来た砂に呑まれ、砂海北部まで運ばれたのだろうと推測された。

 携帯通信端末の機能によって少なくとも一名の生存が確認されたことによって、ガーデニア市議会はユニオンに協力を要請。

 行方不明者の捜索、救助を正式に依頼した。

 その日のうちに、ユニオンではクラウンが1st全員を招集して緊急会合が開かれた。

 その詳細は明らかにされなかったが、救助に向かうべきと進言する1stたちに対して、クラウンはユニオンの誓約を理由に行方不明者の救助に向かうことを禁じた。


 襲撃より五日後。

 ガーデニア市議会とユニオンは、行方不明者十一名の死亡を発表。

 これにより、ユニオンは十一名を見殺しにしたとガーデニアのみならずフィリランセス国内から批判が殺到。

 その後ガーデニア市議会主導のもと解体され、GDUとして再編されることとなる。


 これが、粛清の全てだ。




「ユニオンの緊急招集で現場に飛んでったら、もう、終わってた。砂海に帰り損ねた砂獣を片付けて、後は砂とか瓦礫に埋もれた人を助けるだけ。それも殆ど助からなかったけどな」

  

 フィルだけではない。

 あの日、駆け付けた案内人が出来たことは、本当に少なかった。

 襲撃は、それほどに一瞬だった。

 その惨状に絶望する間もなく、それでも何か出来ないかと瓦礫を退かし砂を掻き分けて生存者を捜した。

 けれど見つかるのは遺体ばかり。

 中には息のある人もいたが、その場で力尽きてしまうことも多かった。

 本当に救うことが出来たのは、僅か数名。

 片腕を砂獣に喰われてなお、息子がいるんだと砂を掘っていた女性。

 息絶えた父親に抱かれていた子ども。

 茫然と砂の上に座っていた青年。

 職業柄凄惨な場面には慣れているはずの案内人ですら言葉を失う、圧倒的な「死」がそこには降り積もっていた。

 

「……挙句、十一人を見殺しにした」


 背後で少女が息を飲む。

 フィルは砂海に視線を遣ったまま、嘲笑う。

 何かしたかった。

 何か出来ると思った。

 けれど、どうだ。

 あの日何もかもが、手から滑り落ちていった。


「…………ユニオンのクラウンが救助を禁じて、でも、たくさんの案内人がそれに反対したって聞いてます。それに、本当に『女王宮』まで行った案内人も、いたって」


 リーゼは自分が責められているかのように、微かに声を震わせて反論する。

 フィルは強く首を振った。


「『女王宮』まで行った案内人? そんなの、嘘に決まってるだろ。証拠に誰も助かってない」


「…………」


「何も出来なかったんだよ」


 俺は。

 そう声なく続けて、フィルは口を閉じた。

 それ以上の追憶を拒むように、こめかみが微かに痛む。

 わかりました、と掠れた声が答えた。


「……わかりました。でも、私は、やっぱりそうは思いません」


「…………あのな、」


 それはわかったって言わないぞ、と言おうとして、振り返ったフィルは言葉に詰まった。

 真っ直ぐにフィルを見つめるリーゼの頬は、いつからか、濡れている。

 瞬く刹那に零れる涙を、彼女は拭おうともしない。

 何で、この子は。

 

「砂海科でも、粛清時のユニオンと案内人の対応は批判の対象でした。私も、全部が正しい選択だったとは思いません。でも、あの日、来てくれた案内人たちが、どんなに必死だったか、私知っています」


「……」


「……あなたが来てくれなければ、助からなかった命だって、あるんですよ。何も出来なかったなんて、言わないで下さい」


 懇願するように、少女は静かに言った。

 けれど優しいその言葉を受け入れるには、フィルは多くを知り過ぎていた。

 今までそうして来たように、フィルは笑みを作って誤魔化す。

 隠したはずの拒絶を、リーゼはあっさりと見透かして瞳を伏せた。

 

「何で、そんなに……、フィルさんが背負い込むんですか。何でそんなに、後悔してるんですか。もう、八年も経ったんですよ」


「そうだな。……全部、終わったことだ」

 

 答えたフィルに、リーゼは唇を噛んだ。

 ぐっと強く目元を拭った彼女は、鋭く叫ぶ。


「っ! フィルさんの後悔は、幻想です! あの日亡くなった人にも、助かった人にも、失礼です。全部全部、自分のせいみたいな顔して、実力とは違い過ぎるタグを付けて……、それで一体、何になるんですか!」


 凛とした声が、頬を打つ。

 あのティントですら、ここまでは言わなかった。

 それを、ついこの間会ったばかりのリーゼに言われるとは。

 いや、言わせたのか。

 フィルは目の前の少女を見つめ返した。

 十六歳。

 まだタグも付いていない半人前だ。


「随分はっきり言ってくれるなぁ」


 情けなさに苦笑したフィルに、リーゼは我に返ったようにびくりと肩を震わせた。

 右耳のイヤホンに触れて、フィルは一瞬視線を落とす。

 

「……ごめんな、リーゼ」


 彼女が重ねた痛いほど真っ直ぐな言葉の全てが、一体誰のために紡がれたものか。

 それがわからないほど、フィルも馬鹿ではない。

 気が付かないうちに手酷く傷付けていたことを、まずは謝りたかった。 

 けれどその謝罪を、彼女はどう受け取ったのか。

 血の気の引いた顔で、リーゼは口元を押さえた。

 

「ごめんなさい。違うんです。私、そんなことが、言いたかったんじゃ……、なくて」


「リーゼ」


 違う、別にいいんだ。わかってる。

 そう続けようとしたフィルに、リーゼは怯えた表情で弱々しく首を振った。

 逃げるように、彼女は一歩後ろに下がる。

 砂海から吹く風が、少女の髪を乱した。


「……ごめんなさい。私、どうかしてました。今日は、もう、帰ります」


 最後は聞き取れないほど微かに呟いて、踵を返したリーゼは一気に走り出した。

 砂避けのローブの裾が、あっという間に階下に消える。

 それをただ見送ってしまってから、フィルは額を押さえた。

 最低だ。

 

「謝んなきゃいけないのはこっちだって」


 弁解は彼女に届くはずもなく、吹き付ける風に溶けて消えた。






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