12、人喰いの系譜
「私は、セルディア・オル・フィリランセス。クラウスの、母です」
彼女はそう言って、許しを乞うように再び頭を下げる。
セルディア。
確かに聞き覚えのある名。
第四貴妃だ。
「……セルディア、様」
クラウスの母、と聞いて、痛みに似た苛立ちが咽喉の奥を締めつけた。
この人は、敵じゃない。
ティントとリーゼを、そして彼を助けるために、動いてくれたのだから。
リーゼは強く首を振った。
苛立ちを感じたちっぽけな自分が、悲しい。
「どうか、お顔を」
「……いいえ、いいえ」
セルディアは振り絞るように声を出す。
「こんなことでは……、償い切れません」
ずっと人形のようだったレイが、堪え切れないのか彼女に寄り添う。
相変わらず表情はないが、その仕草は微かに親愛を感じさせる。
そこに襲撃者の面影は、なかった。
「GDUにもついさっき連絡を入れてくれて、おまけにガーデニアまで車を出してくれるって。助けてくれたのは確かだし、僕としてはそれで充分かな。それ以上、何も期待はしないし」
ティントがひやりとするような台詞を口にする。
セルディアは俯いて、「私が、もっと早くに」と色の失せた唇を震わせた。
「ま、想定してたんでしょ。フィーくんの携帯通信端末は持ってったらしいけど、そっちの物騒な彼と連絡取る気は最初からなかったんじゃないかなー? こっちで何かあってもフィーくんは知りようがないもんね」
状況を覆すのは、きっと自分の母親。
そう思っていたのなら、彼女に悟られぬようクラウスは手を尽くしたに違いない。
腹立つなー、とティントはさらっと言った。
無事なんだと伝えることが出来なければ、状況は変わらない。
「申し訳、ありません。全て、私が……」
セルディアは胸元を押さえて、言葉を区切った。
その背をレイが遠慮がちに撫でる。
全て私が悪いのです、と彼女は掠れた声でようやく続けた。
「あの人は……、殿下は、セルディア様のために?」
もう、時間がない。
クラウスが口にした言葉。
セルディアの薄い肩が呼吸の度、上下する。
そこに行けば助かるかもしれない命。
それは、やはりこの人のことだろうか。
リーゼの問いかけに、彼女は「ああ」と嘆くような吐息を漏らした。
「そう、私の病を『女王』によって治したい。それが、あの子の望みなのでしょう。そしてそれは、愚かな父と母に対する、復讐でもあるのです。だからこそ、ここまでのことを、平気で……」
「……――え」
興味がなさそうだったティントも、眉を寄せた。
確かに異国より来た妃の子として、クラウスは複雑な立場に置かれているように見えた。
けれど、母親を助けることが復讐?
セルディアは何故かレイを見て、その手をそっと撫でた。
「……私の故郷エルランスに伝わる、『女王』が齎す不死の話は、ガーデニアで語られるそれと、少し違います」
彼女は懐かしむように、重く首を巡らせて日覆いを見上げた。
「『女王』の生贄となり、けれど生きて帰って来たその男は、人を喰うようになっていました。そしてその身体は刃でも傷がつかず、老いることもなかった」
それを話してくれたのは、ゲルドだ。
面白半分、それが『女王』の血肉を食うと不死を得られる噂の元だと。
けれど。
「………死んだ人を、食べてたって」
「いいえ。そうでは、ないのです」
肌が粟立つ。
セルディアは苦しそうに息を吐いた。
「男は、生きている人間を自ら狩ったと、言われています」
それじゃあ、まるで。
人喰い。
「不死を得ることが出来たとして、それは果たして『人』と呼べるものでしょうか。あの子は、それを知っていて、それでも『女王』に賭けようとしているのです」
『女王』は、人を救ったりしない。
フィルも、知っていたのだろうか。
息苦しさのまま、リーゼは咽喉に手をやった。
知ってはならないものの重さに、窒息しそうだ。
開け放ったままの扉を、白服の男が遠慮がちに叩いた。
「……お車の、用意が」
セルディアはゆっくりと振り返って頷いた。
それ以上、事情を語ろうとはしない。
遠慮がちに彼女は手を伸ばした。
その手はリーゼの指先を一瞬だけ、握った。
「………貴方がたの、大事な人を巻き込んで、言えたことではありません。それでも……、それでも、どうか、あの子も……」
「……セルディア様」
彼女はすっと手を引いた。
それは、ただ母として願ったことを取り消すようにも、見えた。
レイに支えられ、道を開ける。
「どうか、行って……、下さい」
セルディアは片手で口元を覆った。
その身体に残っていた全てを使い果たしたように、よろめく。
手を伸ばし、その人を労わるのはリーゼの役目ではないけれど。
これでは、あまりに。
「………」
「リーゼ、僕は行くけどさー、どうするの?」
その沈黙を躊躇いだと思ったのか、すでに一歩踏み出していたティントが問いかける。
「今回はさ、軽く追っかけちゃえば?って言えないかな。フィーくんに怒られそーだし」
「私は」
「まー、そんな深刻な顔しなくていいけどさー。君はその手で出来ることだけ、したいことだけ考えれば良いよ。フィーくんだって、結局そうしたんだし」
ティントはいつもと同じ調子でそう言って、歩き出した。
答えなんて、最初から決まっている。
リーゼは、振り返らないその背を追った。




