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ロストクラウン  作者: 柿の木
第七章
158/175

11、枯槁の妃




 朝焼けだと思った光は、日覆いに滲んで翳って行った。

 それを頬で感じて、リーゼはようやく顔を上げる。

 眠っていたのだろうか。

 閉じ込められた部屋を力なく見渡して、ぼんやりと突っ伏していたベッドに視線を落とす。

 現実だ。

 少し痺れた腕を擦ったら、感情が一気に目を覚まして。

 視界が滲んだ。


 泣いたって、仕方ない。


 体力を使うだけだし、水分だって奪われる。

 そんなことはわかっている。

 でも、だって、どうしたら良いんだろう。

 幾つも拾い上げてしまう悔恨が、胸を切り裂く。

 あの人に言われた通り、あの夜ちゃんとガーデニアまで逃げていれば良かったんだ。

 そうしたら、ティントを傷付けることもなかったし、彼の枷になることもなかった。

 もっと、もっと始めから。


 弟子入りを、しなかったら?


 あの人はきっと表舞台に立つことを避けて、静かに案内人を続けていただろう。

 ウェルトットでの白焔絡みの騒動も、大会での暗殺騒ぎも、違う形になっていたかもしれない。

 あの人に女王宮に行くなんて選択を、させずに済んだかもしれない。

 今更、後悔しても遅いのに。

 

「………後悔」

 

 思考は、そこで止まった。

 リーゼはゆっくりと瞬く。

 滲んでいた視界が、少しだけはっきりとする。

 そこにイヤホンはないけれど、彼がするようにそっと耳を押さえた。 


 後悔するぞ

 

 弟子にして欲しいと頼んだリーゼに、彼はそう言った。

 自分を遠ざけようとしていることは何となく知ってはいたけれど。

 砂海案内人になりたい。 

 そしてその夢を彼の傍で叶えることが出来たら、なんて幸せなんだろう。

 そう思った。


「――後悔なんて、しません」

 

 じわりと、身体の芯があたたかい。

 そう、そう答えたはずだ。

 あの時の言葉を、嘘にはしたくない。

 あの人がユニオンの誓約を破っていたとしても、リーゼが弟子入りをしたことでこんなことになっているのだとしても。

 

 絶対に、後悔だけはしない。

 

 痺れた指先で、ようやく、なぞるように涙を拭った。

 すぐには立ち上がれなかったが、閉まったままの扉を見て、それから日覆いのされた窓を見る。

 ゆっくりと立ち上がると、少しだけ頭が重かった。

 リーゼはこめかみを擦ってから、部屋の中をもう一度見渡す。


「…………」

 

 手の届かないことは、考えない。

 でもきっと、出来ることはある。

 考えは纏まらないが、とりあえず扉に近付いた。

 ここを、出なくちゃ。

 気配を殺して、見張りを探る。


「―――っ」


 唐突に、見計らったようなタイミングで扉がノックされた。

 軽妙な音に、一瞬で全身が痺れる。

 銀閃を手に、襲いかかって来たレイの姿が蘇る。

 飛び退く間も、ましてそれに返事をする間もなかった。

 何の躊躇いもなく開く扉に、リーゼは息を飲んだ。



「やっほー! あ、良かった。無事だね、リーゼ。元気そう、じゃーないけど」



「…………………」


「えっ、聞いてる? 聞いてる? 何で固まってんの?」


 どうでも良いことを並べ立てながら、彼はリーゼの目の前でひらひらと手を振った。

 袖の下、腕に厚く巻かれた包帯。

 それはリーゼを守ろうとしてついた傷。

 ティントだ。

 吸い込んだ空気が、熱い。


「……ティント、さん」

 

 ティントはけろっとした顔をして、手を白衣のポケットに突っ込んだ。

 痛々しく見えていた包帯は一瞬で見えなくなる。

 

「ういうい」


「……え、何で、だって」


 理解が追い付かない。

 ティントはリーゼが落ち着くのを待つように、一呼吸置いた。

 そして部屋の照明を付けると、ポケットから携帯通信端末を取り出して、リーゼの手に置いた。

 タグの付いていない、まだ新しいそれは、確かにリーゼのものだ。

 茫然としながらもそれを受け取って、ティントを見上げる。


「いや、ホント、予想外のことばっか起こるよねー。でもまあ、無事で何よりだよー。ここまでもいろいろと」


「どうやったのかわかりませんけど、今なら、一緒に逃げられますよね? 早く、フィルさんを、止めないと……っ!」

 

 ティントの言葉を遮って、リーゼは身を乗り出した。

 彼はいつもと同じ表情で、けれど少し低い声で「そーだね」と言った。


「うん、わかってる。フィーくん、女王宮に行ったんでしょ?」


「そうですっ! 早く……、私たちが無事ならフィルさんは――、」


 リーゼははっと言葉を飲んだ。

 ティントに続くように、部屋に入って来たのは女性だった。

 濃紺のゆったりとしたドレスを着ているが、それでもその人が酷く痩せてしまっていることがわかる。

 一人では立っていられないその人を支えていたのは。

 レイ。

 咄嗟にティントを背に追いやろうとしたが、彼はのんびりと「大丈夫」と言った。


「あの人が助けてくれたんだよー」


「……助けて、くれた?」


 信じられなくて、リーゼはもう一度その人を見た。

 どこかで見たような茶褐色の長い髪は、白く混じるものを隠すようにゆるりと編まれている。

 まだ老婦人と形容するほどの歳には見えない。

 ただ、あまりに衰弱している。

 その人はレイを一歩下がらせると、ゆっくりと頭を垂れた。

 そして哀しげな瞳を、真っ直ぐにリーゼに向ける。


「私は……、セルディア・オル・フィリランセス。クラウスの、母です」


 消えてしまいそうな儚い声で、その人は言った。

 





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