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ロストクラウン  作者: 柿の木
第七章
152/175

5、枷




 その距離は、僅か。

 

 二歩。

 

 茫然とする白服の男の腕を、手の拘束具で素早く打つ。

 男が持っていた台が、衝撃で宙を舞った。

 使い慣れた装備が台から落ちて行く。

 砂避けのローブが、振り返る勢いで翻る。

 床すれすれでナイフの一つを握り、僅かに跳ねた剣を左足で蹴って。

 爪先に力を入れた。

 レイと、視線が合う。

 彼が手にしている叡力銃は、やはり、真っ直ぐにフィルに向けられていた。

 良かった。

 フィルは笑う。

 

「やめて……っ」


 掠れた声で、リーゼが叫ぶ。

 彼女はレイの腕を押さえようと、手を伸ばす。

 それより速く、フィルが投げたナイフが叡力銃を弾き飛ばした。

 感情の見えなかったレイの瞳に、微かに驚愕の色。

 

 遅い。

 

 床を滑った剣の鞘を軽く踏む。

 そのまま、柄を握って振り抜いた。

 音は、しない。

 鈍く光を帯びる剣を、クラウスの咽喉元に突き付ける。

 彼はソファに座ったまま、フィルを見上げた。


「動くな」


 殺せる。

 フィルの一言に、レイは構えかけていた銀のナイフを下ろした。

 この人とまともにやりあったら面倒だ。

 瞬間の判断だったが、まあ外しはしなかったらしい。 

 怯えたように後ずさった白服も、ぴたりと動きを止めた。

 

「…………、フィルさん」


 リーゼは伸ばしかけた手をゆっくりと戻して、泣きそうな顔をした。

 目立って怪我はなさそうだが、白く見える頬は少しやつれて見える。 

 有り得ると思っていた形とは違うけれど、結局、彼女をフィルの事情に巻き込んだ。

 ティントまで。

 フィルは剣の柄を静かに握り直した。

 束の間の静寂を破ったのは、クラウスの微笑だった。


「良かった。やはり貴方を選んで、正解でした」


 彼は迷うことなく、手を伸ばしてフィルの手枷に触れる。

 咽喉元の剣先など、まるで見ていない。 


「とは言え、レイの反応を上回るとは思いませんでした。多少覚悟はしていたのですが、危うく首を取られるところでしたね」


「……まだ取らないとは言ってない」


「わかっています。貴方は必要だと判断したら、迷うことなく人を殺せる人間だ。けれど殺さない方が良いと判断したら、感情がどれだけ命じても手を下さない」


 違いますか、と言いたげな瞳を睨んだ。

 知ったようなことを。

 フィルの嫌悪を見透かすように、クラウスはただ哀しげに微笑む。


「大丈夫。ディナル先生は、生きていますよ」


「…………」


「こればかりはこちらの手違いです。お二人を傷付ける意図はなかったのですが、彼女を助けようと咄嗟に飛び出して来て、レイのナイフが先生の腕を掠めてしまったそうです。治療も済んでいますし、あの時のように毒の類を使ったりはしていませんから」


 安堵の反面、その周到さにひやりとした。


「……だから『大丈夫』? リーゼもティントも人質にしておいて、良く、んなこと言えるな」


 リーゼが銃口を逃れても動けないのは、ティントが囚われているからか。

 反吐が出そうなほど、巧妙な罠。

 これは、計り違えた。

 彼は困ったように眉を下げて、「すみません」と謝る。

 そしてようやく、突き付けられたものを見た。


「貴方は、獣だ。言うことを聞かせようと思ったら、その手を奪い、足を奪い、首を押さえないといけない。幾重にも、枷が必要だとわかっていました」


「……」


「私をここで殺しても、私の目的はレイが引き継いでくれます。どうでしょう。ここでリーゼさんを守れても、どこに囚われているかわからないディナル先生を助けることは、まず不可能です」


 どこからかわからないほど前から、この人は何かのために動いていたのだろう。

 全てが、彼の手の中で。


「まずは、剣を下ろして下さい。私が本気だと言うことを、お弟子さんの死で確かめたくはないでしょう?」


 クラウスは目線をリーゼに向ける。

 フィルに斬られる可能性まで織り込んで、動いている計画か。

 自分が死んだら、レイが引き継ぐ。

 虚言ではないだろう。

 

「だめ……、だめです……っ!」


 鋭く、リーゼが叫んだ。

 フィルが出す答えを拒むように、強く首を振る。

 

「言うことなんて、聞いちゃ……、だめですっ」


 レイが言葉を止めるように彼女の肩を掴む。

 やはり疲弊しているのか。

 リーゼはそれだけで少し体勢を崩し、ふらつく足元に視線を落とした。

 悔しそうに、唇を噛む。


「リーゼ」


「私たち……、平気です。ティントさんだって、絶対、そう言います。だから……、だから」


 泣かなくて、良いのに。

 リーゼは、何も悪くない。

 瞳を伏せたクラウスが、重く息を吸い込む。


「選んで下さい。貴方一人なら、ここから逃げることも出来るでしょう。けれどその自由は、お二人の命と引き替えです」


 クラウスも、フィルの答えがわかっているのだろう。

 手枷を掴んだ指先に、力が籠る。

 フィルは静かに身体を引いた。

 剣を捨てると、リーゼが微かに声を上げる。

 すみません、と何度目かわからない謝罪の言葉。

 クラウスはゆっくりと立ち上がった。

 フィルを捉える暗い瞳に、躊躇いはない。

 咎人、と彼は言った。

 全てを知っていて、その上でフィルを「選んだ」のならば。

 


「フィルさん。私を、女王宮まで案内して下さい」

 






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