14、天才は一日にして成らず
『やっほー! フィーくん、フィーくん。こんばんみー!』
「…………」
「? フィルさん?」
『フィーくん? 聞こえてるー?』
怪訝な顔のリーゼに、「何でもない」と答える。
ようやく座学を再開出来たところだ。
あまり中断ばかりしていては申し訳ない。
『フィーくんっ? フィーくんてばーっ!』
しかしこれは無視すると面倒臭そうだ、とフィルは眉を寄せた。
あのティントが、「あ、今取り込み中だなー」と気を利かせるとは、到底思えない。
でもテンションの高い時のティントに関わると、碌なことがないのだけれど。
『……も、もしかして、たった一日連絡しなかったからって親友である僕の声を忘れちゃったとか? それは酷い! それは酷いよね?』
「……少なくとも朝八時に、『こんばんみ』って挨拶する知り合いはいないな」
『僕的に、こんばんみ! この三日ほぼ完徹だもんー。明けない夜に取り残されてる気分だよ』
「まだ論文書き終わってないんかい。俺に通信する前に、やることあんじゃねぇか」
リーゼに「ごめん、通信」と断ると、彼女は構いませんと首を振った。
「他の記録を見て来ても良いですか?」
「ああ、うん。気ぃ遣わせてごめんな」
別段聞かれて困る通信ではないが、そこはリーゼの育ちの良さからだろう。
彼女はファイルを手にして立ち上がると、軽く頭を下げて案内所に向かった。
『だってもう煮詰まって煮詰まって……、あることないこと書いちゃいそうなんだもん!』
「ないこと書いちゃ駄目だろー。研究者として終わるぞ」
『いっそ終わってくれた方が楽なんじゃないかって思ってる』
これは、相当にきてる。
笑ってはいるが、半分本気だ。
うん、そうだ。いっそ研究者辞めるよ! といつ口走ってもおかしくはない。
フィルは「で、何の用?」と話題を変える。
『え? やだ、フィーくん。僕と君の仲じゃないか。用がなかったら通信入れちゃいけないなんてこと……、ないよね?』
「別に気分転換ならそれで構わないけど、用、あんだろ?」
ティントは、「えっへへぇ」と妙にオヤジ臭く笑った。
『やっぱフィーくんは僕の親友だねぇ。実は論文がらみなんだけど、簡易叡力分離システムの反発係数と抵抗、短縮時間の事例がもうちょっと欲しくてさー。協力してくれない?』
「……今、何語喋った?」
『君の叡力銃に特殊なカートリッジを装填して使ってみてくれないかってこと』
端的に説明されて、フィルは一人頷く。
「なるほど。でも嫌だ」
『えッ!? 何で!』
「何でって、お前の試作カートリッジで痛い思いしたの、一度や二度じゃねぇんだもん」
『えー……、別に打身くらい怪我の内に入らないでしょ? 流石案内人! オトコマエー』
二ヵ月くらい前だったか。
その時もティントは論文に追われていて、用例が足りないんだとフィルに泣き付いて来た。
試作品は、確か叡力の威力を上げるために作られたものだった気がする。
砂獣相手に使ってくれと煩く言われ、仕方なく砂海で戦い慣れた砂獣を探して試作品を撃った。
が。
威力の上がった叡力はフィルの銃で発射し切れず、とんでもない反動となって返って来た。
結果、撃ったフィルは後方へ吹っ飛び、叡力銃は破損。
おまけに無傷の砂獣に追われるという始末だ。
まあ、何とか逃げ延びて打身程度で済んだのだが。
「絶ッ対、嫌」
ティントの頼みを断固拒否する理由くらいにはなるだろう。
『大丈夫だって! 今度のは分離システムだから、失敗してても何も起こらないだけだからさ』
「砂獣相手に使って何も起こらなかったら、それは大丈夫な話じゃねぇよ?」
自信満々に言うことじゃねぇし。
『えへっ☆』
「じゃ、またな」
『あーッ、ちょっと待ってよ! いいじゃん。今回は絶対砂獣相手に使ってくれとは言わないよ。普通にどっかで撃ってみてくれれば、システムに付けたメモリに情報が全部記録されるからさー。僕が砂海まで行って撃つ訳にもいかないでしょ? ね、ね! 今度奢るからー!』
「……変なもんじゃねぇだろーなー?」
『うん! とりあえず連射してみて。やって欲しいのはそれだけ。人に向けては撃たないでね』
「撃つかよ」
何だかんだで、今回もティントに協力することになりそうだ。
腐っても、ガーデニア随一の天才。
失敗があっても彼の着想はいつも飛び抜けているし、叡力機工学を専門としている彼には案内人としてかなり世話になっていることも確かだ。
『ありがと、フィーくん! それじゃ明後日くらいにはデータ送ってね。送ってくれないと、自動で爆発するから』
「はぁっ!?」
『僕が』
そうかい。
どっと疲れて、フィルは肩を落とした。
丁度案内所に来客があったのか、リーゼが対応している声がする。
客では、なさそうだけれど。
『届いたみたい? 装填の仕方とかは全く変わらないから、ちゃちゃっとセットしてデータ取ってね!』
「え? あ、おい」
『じゃね、フィーくん。おやすみー』
おやすみって。
「……フィルさん。あの、何か荷物が届いたんですけど」
案内所からひょこっと顔を出したリーゼは、小さな箱を抱えていた。
「宅配の方ではなくて、でも渡してもらえばわかると思いますって言ってたんですけど」
「あー……、うん」
リーゼから箱を受け取る。
茶色い箱には所謂伝票もなければ、差し出し人の名前もない。
ティントから寸前で通信を貰っていなければ、確実に不審物だ。
テープを剥がして開封すると、適当に詰め込まれた緩衝材に埋もれるように、叡力カートリッジが一つ入っていた。
携帯通信端末の本体より一回り大きい、長方形のカートリッジ。
銃に装填する際の接触部分だけが銀色で、例のメモリとやらが取り付けられている。
後は特殊なガラスで出来ており、カートリッジ内の叡力がまるで液体のように見える。
「……綺麗ですね。でも、あまり見たことない色ですけど」
「まー、試作品だからな」
カートリッジ内の叡力は圧縮されており、その効能ごとに色が違う。
通常の叡力エネルギーは赤。
誘導弾なら薄い緑。
閃光弾なら青。
けれどフィルが手にしたそれは、見たことのない透き通った紫色をしている。
効能を確かめろと言われたわけではないが、やはり気になる。
ちらりとベッドサイドの時計に眼をやると、八時半を回ったところだった。
「……試しに行くんですか?」
「え」
「行くなら行きましょう。もう出発ラッシュも終わっている頃です」
リーゼはもう決まったとばかりに、フィルの返事を待たず砂避けのローブを羽織る。
フィルはカートリッジを手に持ったまま、慌てた。
「いや、行くけど別に今行かなきゃいけないわけじゃねぇし。まだ、話途中だったろ」
リンレットたちの訪問に加えて、ティントからの通信。
リーゼの研修は、かれこれ一時間以上中断している。
彼女は細い眉を一瞬、辛そうに顰めた。
「……私、確かにフィルさんの弟子ですけど、フィルさんが選んで弟子にしてくれたわけじゃない。だからフィルさんは、フィルさんの都合を優先して良いんですよ」
「まだ気にしてたのか? 俺がいろいろ落ち着くまでは面倒見るって決めたんだから、リーゼは堂々としてろって」
リンレットが来た時の会話を気にしているのだろう。
意外と思い詰めやすい彼女にフィルは軽く言った。
リーゼはふっと俯く。
「……フィルさんは、そのお人好しなんとかしないと、そのうち痛い目見ると思います」




