表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロストクラウン  作者: 柿の木
第六章
145/175

20、やがて因果は廻り




 彼が囮になったのだから、いざという時は身体を張って、ティントとルニアをガーデニアまで逃がそうと思っていた。

 けれど。

 トラムはゆっくりと速度を落とした。

 抑揚のない、折り返しのアナウンス。

 終点だ。

 黙り込んでいたティントが、「着いたねー」とぽつり呟く。


「…はい」


 夜の闇に浮かびあがる駅舎。

 ガーデニアに、帰るんだ。

 リーゼはぎゅっと拳を握った。


 彼が出て行った後。

 旧市街は、怖くなるほど静かになった。

 実際、トラムの停車場も張り込まれていなかったし、運行も通常通り。

 まるで、何事もなかったかのように。

 それを「良かった」と思えるはずがない。

 大丈夫。

 彼の言葉を反芻するのは、何度目かわからない。

 トラムを降りると、通りはぱたりと人気がなかった。

 街路樹の枝で、街灯が揺れている。


「…行きましょう」


 ルニアに声をかけられて、立ち止まっていたことに気付いた。

 念のためリーゼが先行して踏み込んだ駅舎は、時間が時間だからだろう。

 全く、人がいない。

 がらんとした構内は静謐で、どこか虚ろだ。

 壁の優しい白も床で美しい模様を描くタイルも、今朝と何も変わらないはずなのに。


「私、乗車券を買って来ます。目立たないところで、待っていて下さい」


 ルニアがそう言って、辺りを窺いながら駆けて行く。


「…………」


 リーゼは視線を上げて、溜息を堪えた。

 金で装飾された太い柱に支えられ、緩やかに弧を描く天井。

 こうして見ると、まるで王宮のようだ。


「リーゼ」


 ティントが小さく警告して、すっと壁沿いに寄った。

 その視線の先、駅舎に慌ただしく入って来た人影。

 彼では、ない。

 思わず身構えたリーゼは、すぐに緊張を解いた。


「……サナさん」


 相変らず、落ち着いて登場は出来ないらしい。

 彼は必死に視線を巡らせ、リーゼを見つけると凄い勢いで駆け寄って来た。

 焦げ茶色の髪が、汗で額に張り付いている。

 それを拭おうともせず、


「…おじょうさんっ、にいさんは?」


 息を切らせて、問う。


「フィルさんは、まだ」


「まだ? 一緒じゃ、ねぇのか?」


「は、はい」


 サナはふっと目元を押さえると、唐突に「くそッ」と怒鳴った。 

 床のタイルを、忌々しげに踏み付ける。

 あまりの剣幕に、リーゼは痺れたように立ち尽くす。


「知り合いー?」


 リーゼの半歩前に出て、ティントが怪訝な顔をした。

 サナはティントを見て、「ああ」と呻く。


「…ディナル博士か。オレ、ガーデニアニュースのサナ・ジークってもんだ。こんなことになってなきゃ、訊きてぇことが山ほどあんだけどよー…」


 こんなことになってなきゃ。

 リーゼは思わず、胸元を押さえた。

 サナは彼らしくもない、険しい表情を見せる。

 落ち着いて聞けよ。

 そう言って、リーゼの肩を軽く叩いた。


「バッシュ・アルカーナ議長が、狙撃された」


 狙撃された。

 真っ白になりかけた頭に、すとんと落ちて来た言葉。

 上手く理解が出来ない。


「研究機関で、関係者たちと会見の打ち合せをしていた最中だと。叡力銃で狙撃されて、直撃は免れたそうだが、右肩を叡力弾が掠めて…。出血が酷く、意識も戻ってねぇらしい」


「それ、確か?」


 ティントが聞いたことのない声で、確認する。

 サナは、「オレもな」と乱暴に頭を掻いた。


「議長が自棄んなって事件でっちあげて、おたくら捕まえようとしてんのかと思ったんだけどよ。どうやら、ガチの事件らしい」


 叡力銃で、狙撃。

 議長が、意識不明。

 

 んで本当に、兄さんやってないんだなー?

 

 まどろみの中で聞いた声が、唐突に蘇る。


「待って下さい。じゃあ……」


「フィーくんが、犯人だと思われてるってわけだね」


 リーゼが言えなかった事を、ティントが代わりに口にした。

 サナはまるで自分が責められているかのように、居た堪れない表情をする。

 そんなこと。

 リーゼは強く首を振った。


「あるはずないですっ! だって、だって」


「それ、僕らが逃げてからの話でしょ? フィーくんがおじさんを撃つ理由はないよね。それに、本当にフィーくんがやったなら、おじさんは間違いなく即死してると思うけど」


 彼が、本気で殺そうと思ったなら。 

 ティントの言葉に、リーゼは息を吸った。


「そうです! 大体、私たち、ずっと一緒にいたんですよ!」


「わかってる! わかってるっつの!」


 サナは何度も頷いた。


「オレだってなあッ、あのにいさんが議長を撃ったなんて、思ってねぇよ!」


 押し殺し切れない、掠れた声。

 ただあまりに状況が悪い、とサナは食い縛る。

 指先が、爪先が、冷たい。

 リーゼは、縋るようにイヤホンに触れた。


「どっからかわかんねぇが、情報が一気に流れてる。にいさんの名まえも、旧市街に隠れてるっつう話も。異常な速さだ。普通じゃねえ」


「…誰かが、フィーくんの情報を公安に流してるってこと?」


「そこまでは、わかんねぇよ。その場にいた研究者連中が、それっぽい人影を見たとか言ってるらしいけどなぁ」


 サナの声がすぅっと遠くなる。

 本当にやってないんだな、と彼は訊かれていた。

 つまりそれは。


「フィルさん、知ってたんだ」


 公安の目的が自分だと、知っていた。

 知っていて、「撹乱するから」とリーゼたちだけガーデニアに帰そうとしたのか。

 リーゼの呟きに、二人は沈黙する。

 全く、と呆れたのはティントだ。


「やっぱりねー。何か怪しいと思ったんだー」


「いや…、こうなったら、にいさんの判断はむしろ不幸中の幸いだぜ」


 サナは、ちらと駅舎の入口を振り返ってから、声を顰める。


「拘束されてもすぐにどうにかされちまう訳じゃない。おたくらが上手いこと状況を説明すりゃあ、にいさんの疑いは晴れるだろ。でもな、さっきも言ったように今回の件、ちと普通じゃねぇ」


 首都じゃ、駄目だ。

 サナは「帰れ」と言う。


「ガーデニアに帰って、そこでにいさんの弁護に動いた方が良い。今、首都の公安に訴え出ても握り潰されちまうどころか、一緒に捕まりかねないぞ」


「………何で」


「…んな事件、滅多にねぇからな。公安の上層部がパニクってんだとは思うけど」


 軽い足音を立てて、ルニアが戻って来る。

 彼女はサナに気付き、それからリーゼたちの表情を見て、顔を曇らせた。


「……何かあったんですか?」


「おう…、いや、詳しいことは列車ん中でおじょうさんたちに」


 言いかけて、気付いたサナが慌ててこちらに手を伸ばす。

 その手を掻い潜って、リーゼは走り出していた。

 良くわからない。

 ただ、夢中だった。


「リーゼ!」


 ティントの声にも、足を止められない。 

 駅舎を飛び出すと、通りをひたすら駆けた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ