18、ささやかな進歩
一瞬で、暗闇に落ちた実験室。
入口を突破するのは、難しくはなかった。
議長さんは高齢だし若干悪いかなと思ったが、遠慮なく、警備員諸共蹴り飛ばす。
加減はした。
向こうは銃を向けたのだから、これくらいは仕方がないだろう。
乱暴にティントを引き摺って、脱出。
その間も、ずっと。
ティントは、けらけら笑っていた。
脱出方法があるとは思いも寄らなかったのだろう。
正門と周囲の柵に警備が集まる中、搬入口に逃げ込んで、ティントを木箱に押し込む。
その時も、笑っていた。
迎えに来てくれた開発部長さんが、途中注意を促すように木箱の天井を叩いたほどだ。
笑いすぎ。
「お前なー、全然反省してねぇだろ」
「や、うん。反省したよー」
ティントは、お嬢さん方に強かに殴られた所を擦った。
狭いホテルの一室。
開けたままの窓から、風が入って来る。
無事アースト社まで連れて帰ってもらい、一応こそこそとここまで逃げて来た。
あのやる気のない店員は、興味のなさそうな顔でにやっとしただけ。
旧市街にホテルを取ったのは、正解だったのかもしれない。
「本当ですか? アースト社まで巻き込んで…、大変だったんですから」
ふい、とリーゼはそっぽを向く。
アースト社利用しようって言い出したのは、リーゼだけどね。
まあ、何事もなく済んだためか。
あれだけ渋っていた開発部長さんも、最後は「今後ともご贔屓に」と笑顔を見せてくれた。
本当に、一件落着だ。
「全くです。本当に、いい迷惑です。ディナルさんのせいで、私、溜めていた有休使う羽目になったんです。せっかく、イグへの小旅行計画していたのに」
ルニアは、腹立たしいとばかりに形の悪い枕を、ぼす、と殴りつけた。
なかなかの迫力だ。
ティントはベッドに腰掛けたまま、その剣幕に身体を引く。
リーゼが、「でも」と少し不安そうに窓を見遣った。
「…大丈夫、ですよね?」
議長がしぶとく追っては来ないだろうか、と彼女は顔を曇らせる。
「ま、不法侵入はしてっけど、向こうだって大事には出来ないだろ。下手したら、会見のために集まってる記者連中に追及されるだろうし」
さっさとガーデニアに帰りたいのは山々なのだが、次のガーデニア行きの特急は今夜十二時発。
フィルがティントと脱出すると伝えた時点で、ルニアが調べてくれたらしい。
そのため、ホテルで一時待機。
今のところ、外は騒ぎにもなっておらず、無論追手もない。
「そーだよねー。どっちかって言えば、おじさんたちの方がヤバいことしてるし。銃まで持ち出してさー、脅しとはいえ撃っちゃうんだから」
「…………何ですか、それ」
あー、余計なことを。
ティントはまだぴんと来ないらしく、平気な顔で「あのねー」と詳細を語る。
リーゼは話を最後まで聞いて、それからフィルを冷たい眼で見た。
「随分と、危ないことになってたんですね」
「……いや、議長さん、当てる気はなかったみたいだし。って、何で俺が責められんの?」
納得行かない。
リーゼは、「少し自重して下さい」と心底呆れた顔をした。
「今度は、一緒に行きますから」
「…今度って」
「良いですよね?」
「あ、はい」
そんなドスの効いた声を出さなくても。
ティントがまた笑い出す。
「フィーくんてば、怒られてるー」
「ディナルさんは少し反省しましょうか、ねえ?」
ルニアさんが、怖い。
彼女はふーっと長く息を吐く。
「…少し、休みましょうか。呑気なディナルさんはともかく、私たちは午前二時からの強行軍ですし」
やっと安心出来て、疲れを思い出したのだろう。
リーゼもこくんと頷く。
確かに、疲れた。
「あー、そうだ。あのさ」
それなら、とティントは片手を挙げた。
首を傾げる面々に、にこーっと無邪気に笑う。
「フィーくんに、リーゼ、ルニアさんも。今回は本当に、ありがとねー」
ホント、こいつは。
フィルとリーゼは思わず顔を見合わせた。
素直にお礼が言えるようになったのは、進歩なのか。
唐突に名まえを呼ばれたルニアはといえば、泣き出しそうな笑い出しそうな、変な表情をして。
さっき殴った枕を掴んで、物凄い勢いでティントの顔面を打った。




