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ロストクラウン  作者: 柿の木
第六章
138/175

13、平行線




 懇切丁寧にご案内されたのは、そう広くもない研究室だった。

 メインの大きなデスクに、一回り小さなデスクが少し離れて置かれている。

 壁際の本棚はすでにキャパオーバー。

 資料やら本やら、良く判らない装置の成れの果てが、所構わず散乱していた。

 間違いなく、ティントが使っているのだろう。

 椅子の上に絶妙なバランスで積まれた本を床に置いて、フィルは腰を下ろした。

 薄いカーテンの引かれた窓辺には、何故かぽつんとティーポットが置かれている。

 何あれ、インテリア?

 指の痕がついた手首を擦りながら、フィルは溜息を吐いた。


「ディナル博士は今回の政策の要。あの発想や着眼点は凄まじいの一言に尽きるな」


 確かにこれは凄まじい。

 じゃなくて。


「…議長さん、討論はいいわけ?」


 入口の扉を背に、アルカーナ議長は立ったままフィルを見下ろした。

 やや右側に引き攣った表情は、底知れないというより感情が抜け落ちたように見える。


「あのレベルになると、流石に私もついて行けなくてな。政策提唱者として顔は出したが、いなくても彼らは困りもしないだろう」


 そう言って、微妙に足の置き場がない護衛を「外で待っていなさい」と追い出す。

 護衛はフィルを一瞥して、指示に従った。


「………」


「それより、君の事情を聞く方が重要だろうと思ってね」 


 私に用だろう、と議長はフィルのすぐ脇に立つ。

 フィルは黙って、彼を見上げた。

 漠角の集団が西ランス港に押し寄せた異常事態。

 あれが、砂海再開発に連なる実験の一端。

 誰の発案だか知らないが、この人が指揮を執っていたことは確かだろう。

 呼び寄せても害の少ない漠角をわざわざ選んで、実験を繰り返していたというわけか。

 腹が立つ。


「アンタに用があって来た訳じゃなかったんだけど」


「おや、GDUに命じられて来たのだろう?」


「んなこと言った覚えねぇな。それとも、案内人に乗り込まれる心当たり、あんの?」

 

 心当たりは充分にあるだろう。

 GDUが事態を把握していたら、1stを派遣していてもおかしくはない。

 議長は笑みを作ったまま、何も言わなかった。

 会場にいた研究者たちとは違い、その瞳に罪悪は見て取れない。

 フィルは議長を睨んだ。


「…漠角の誘導実験、ね。派手にやってくれんじゃん」


「そうだな…。素晴らしい成果だろう」


「成果? GDUに事前説明もせずに、あの様で? 責任取れんのかよ」

 

 本気で言っているのだろうか。

 あれだけの事態。

 何が起こっても、不思議ではなかったのに。


「アンタに用があってここまで来たわけじゃねぇけど、砂海案内人として聞かなかったふりは出来ない。GDUに、報告はさせてもらう」


 返って来たのは、呆れたような吐息だった。

 議長は腰の辺りで腕を組み、なかなかの足捌きで窓辺へと向かった。

 爪先に当たった本の山が、微かに音を立てて崩れる。


「GDUに報告、か。だが、それで何が出来ると言うのだね」


「…は?」


「そもそも、GDUはガーデニアの統治機関の一部。一体、何の権限がある? 誰かもわからないクラウンに、何の力があると言うのだ」


 議長は振り返る。

 どこか侮蔑を孕んだ優しい声で、「クラウンは、ガーデニアの王ではないのだよ」と諭すよう言う。

 今更。

 そんなことは、言われなくてもわかっている。


「……砂海案内人(きみたち)にはわからないだろうがね、砂海(あんなもの)を抱え続ければ、この国はいずれ他国に後れを取る。国内を網羅する鉄路を整備出来ていないなど、後進国だと触れ回っているようなものだ」


 我々は、もっと早くに動き出すべきだった。

 そう深い悔恨を滲ませて、彼は呟く。


「全ては、フィリランセスが、他国に侵されない強国であるために。君とは、残念ながら背負っているものが違う」

 

 背負っているもの。

 そう、砂海案内人が背負っているものは依頼人の命だけ。

 それだけだ。


「それで?」


 フィルの素っ気ない返答に、議長は呆気に取られたように眼を剥いた。

 仰る通り。

 フィルは、ただの砂海案内人。

 師匠と同じように、あの砂海で生きて、いつかあそこで死ぬ。

 ただそれだけの人間に、ご大層な大義は正直理解出来ない。

 

「GDUに権限がないとか、砂海を抱えてっと不利益だとか、そーいう話は議会でやれよ」


「…君は何もわかっていないな」


「わかってない? わかってないのは、アンタの方だろ」


 フィルは笑った。


「権限のある無しじゃない。どんなに落ちぶれても、砂海に関わることはGDUが一番情報を持ってる。砂海(あそこ)に手を出すのに、GDUを利用しないのはただの馬鹿だろ」


「…………」


 わかっていないのだろう。

 砂海が、どんなところなのか。


「…砂海じゃ、一匹砂獣を殺してキャラバンが全滅したなんて話、ざらにある。あれだけの数の漠角を誘い出して、西ランス港が壊滅するかもしれないって、考えなかったのか?」


「漠角という砂獣は人を滅多に襲わない。実際、あの実験で死傷者は出なかったのだよ」


 何を、偉そうに。

 フィルは息を吐いた。

 そうしないと、思わず手が出そうだ。


「違う。偶然、死傷者を出さずに済んだ。それだけだ」


 漠角とて、砂獣。

 子を守るため、自らの命を守るため、人に牙を剥くこともある。

 そして彼らがそうしなくても、人が彼らを傷つけ、その血が惨劇の引き金になることもあるのだ。


「もう一度、同じことを繰り返したいのか? 砂海で人間の常識は通用しない。そんなこともう思い知ってるだろ?」


 あの粛清で。

 生半可な方法では、ただ死が積み重なるだけだと。


「知っているとも」


 重く、彼は答える。

 それだけは痛みを堪えるように、酷く顔を歪めた。

 フィルは座ったまま、手足を少し伸ばした。

 知ってた?

 問い返した声は、自分でも驚くほど鋭利に響く。


「…今の時期、漠角たちが子を連れていると? 万が一の時、西ランス港の人々が逃げようもないことを? ああ、そう。知ってたのか」

 

 知っていたのなら、誘導実験など出来る筈がない。

 議長は、無言のままフィルに歩み寄る。

 どん、とデスクについた手は、小刻みに震えていた。


「…私に、GDUに頭を下げろとでも言うつもりか? 頭を下げて、協力を乞えと?」


「必要ならそうすべきだ。それをしなかったのは、ただの怠慢だろ。その程度の覚悟で、砂海に手を出すつもりだったのか? 笑わせんな」


 ぐっと胸倉を掴まれた。

 思いがけない強い力で、椅子から腰が浮く。

 それでも、フィルは抵抗をしなかった。

 怖いおじさんには慣れっこだ。

 それに恐怖を覚える可愛げは、フィルにはない。

 

 この程度か。


 ただ、淡々とそう思った。


「何してんの?」


 咎める一声。

 視線を上げた議長の顔面に、物凄い勢いで本が当たった。

 





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