12、暗事集いて
彼は資料を渡そうとした格好のまま、止まった。
たっぷり、数秒。
サナが不穏なものを感じて、僅かに腰を上げる。
やはり。
西ランス港の砂海案内人、ウォンに仕事を依頼していた、首都の研究者。
漠角の誘導実験をしていたのか。
関わりが印象的だったせいだろう。
変装も全く意味がなく、彼は明らかにフィルに気付く。
見開かれた瞳に、驚愕の色がはっきりと浮かんだ。
「貴方……、何で。砂海案内人ですよね!?」
裏返った声で、叫ぶ。
あーあ、バレた。
声の波が、一気に広がる。
警備を呼べ、と怒号が飛んだ。
サナが焦った表情で、何か言いかける。
フィルは立ち上がり様に、サナの椅子を軽く蹴った。
彼は言葉を飲んで、フィルを見上げる。
何も仲良く一緒に捕まることもない。
ティントが一緒でないなら、正門から堂々と外に出られる可能性も充分ある。
フィルの意図を理解して、サナは苦しげに頭を垂れた。
『………これはこれは、面白いお客人だ』
いつの間にかマイクを握っていた議長が笑みを作る。
ティントは立ち上がり損ねた微妙な体勢のまま、ぽかんとこちらを見ていた。
なかなかの間抜け面だ。
ざまあ。
「どうも。呼ばれてないのに申し訳ないけど、ちょっと用があってさ」
フィルはのんびりと答えた。
いっそ手っ取り早い、と開き直る。
出張って来ても公安程度。
砂獣が集まって来て、喰い殺される訳でもない。
議長は一瞬だけ眉を潜め、それから哄笑した。
『それは、さぞ大事な用なのだろう。しかし、許可なく侵入と言うのは褒められたことではないな。砂海案内人というのは、なかなか、常識に囚われない質らしい』
「常識で計れないのはお互いさまだろ?」
実験の資料を持ったままの男が、フィルから視線を逸らしてほんの僅か、俯く。
一応、罪悪感はあるのだろう。
『…面白い青年だ。だが、今君が口にすべきは反論ではなく謝罪だと思うのだがね』
「謝罪ねー。しても良いけど」
フィルはさっと講堂を見渡した。
まともに視線を返す人はいない。
何だ、ほとんどの奴が「知られたらマズイことやっている」ってわかってんじゃん。
フィルは苦笑する。
丁度良いタイミングで、講堂に数人の警備員が駆け込んで来た。
この暑い中、長袖に強化ベスト。
フル装備、お疲れ様。
不審者が、と遠巻きに見ていた研究者たちが一斉にフィルを指差す。
騒動の中、サナがするすると講堂の出口に向かうのが見えた。
彼はそこでフィルを振り返る。
必ず、助ける。
口だけでそう言って、ぱっと駆け出した。
いやいや、芋蔓式に皆捕まっちゃうだろ。
事態だけリーゼたちに伝え、記者らしく真相暴露して助けて欲しい。
まあ、気持ちはありがたいけれど。
サナをそれとなく見送って、フィルは軽く両手を挙げた。
抵抗はしないと意思表示しているのに、駆け寄って来た警備員たちは警棒を抜いて、フィルの咽喉元に突き付けた。
背後に回った一人が、乱暴にフィルの手を捻り、背中を突き飛ばす。
痛いんですけど。
『…待った! ちょっと待ったっ!』
きぃんとマイクが悲鳴を上げた。
講堂にいた全員が、一斉に壇上に視線を向ける。
議長のマイクを奪い取ったティントが、叫んだ。
『彼は、僕の友人だ。手荒なことは許さない』
随分と格好良いこと言ってくれるが、誰のせいでこんなことになってんだよ。
もちろん、文句が言える状況ではない。
静まり返る会場に、どこか拍子抜けしたような笑いが微かに響く。
「…ディナル博士のお知り合いでしたか。それはそれは。私はてっきり――…」
マイク越しではない、議長の声。
聴き取れなかった語尾に、ティントが酷く不愉快そうに瞳を細めた。
議長は笑い皺を更に深めて、その鋭い視線を往なす。
「討論会はまだ終わっていません。彼には、別室で待っていてもらいましょう」
議長は、丁重にな、と言いながら指先で連れて行くよう指示する。
フィルの背後の警備員が、捻り上げたままの手首をぐいと引っ張った。
それは丁重とは言わない。
ティントはマイクを放って、
「フィーくん、ごめんね」
やけに軽い口調で、そう言った。




