23、渦中の隠れ事
「…今日、帰りたくないです」
リーゼは座学のために引っ張り出した資料を片付けながら、ぽつりと言った。
フィルは案内所の小さな窓から夕焼けを窺って、「じゃ、泊まってく?」と仕方なく答える。
「良いんですか? 迷惑じゃないですか?」
「割とこっちの台詞だけどなー。事情が事情だし、リーゼが嫌じゃなきゃ別に良いよ」
「嫌なわけ、ないです」
ああ、こりゃパパさんが卒倒しそうな話だ。
他意がないとは言え、今度は言い逃れも出来ない。
文句は、是非ティントに言って欲しいものだが。
「…とんでもねぇことになってんのにな」
本人は、どうしているのやら。
その報道があったのは、西ランス港から戻って来てすぐだった。
あのティントが、砂海再開発に協力すると言う。
寝耳に水だが、記事になったと言うことはそれなりに裏が取れているのだろう。
良くも悪くも知名度のあるティント。
すっかりガーデニア市民、注目の的だ。
ガーデニアニュースの連中だけでなく、首都の記者もティント本人に話が訊きたいと研究機関、挙句家にまで押しかけて来たらしい。
そのどちらにもティントはいなかったわけだが、当然、同居している「妹」であるリーゼはしつこく問い詰められた。
砂海科を卒業して案内人の修行をしているとは言え、彼女はまだ十六。
顔や名が報道されることはなかったが、昼夜問わず家の周りに張り込まれて、気にするなというのは無理な話だ。
酷く調子の悪そうな顔で「帰りたくない」と言われたら、もう仕方がない。
「ありがとうございますっ」
ここ数日見せなかった笑顔で、彼女は礼を言う。
「ティントさん、帰って来る気配もないですし…。待ってるのも、何か」
言葉を濁したが、「辛い」と眼で訴える。
僕、今首都。
西ランス港の通信で、ティントはそう言っていた。
それから、ガーデニアには帰って来ていないようだ。
研究の切りが悪いから、とか。
論文書けって脅されてるから、とか。
諸々の理由で、研究室に籠って帰って来ないことが珍しくないティントだが、流石にこの大騒ぎの中、通信の一本も寄越さないのは疑問ではある。
血が繋がっていないとはいえ、リーゼは妹で、しかも今は部屋を貸しているのだ。
いくらティントが非常識人であっても、連絡はあって当然だと思うのだが。
「…フィルさんにも何も言ってないんですよね?」
「俺? まあ、政策に関わるような話だしな」
「…………、多分、ティントさんは『家族』に言うべきことも、真っ先にフィルさんに話しちゃうと思いますけど」
リーゼは資料を片付け終えると、椅子に腰かけた。
帰らなくて良い安心感からだろうか。
細い足をふらりと揺らして、少し悪戯っぽい瞳をして。
「フィーくん、フィーくん! 僕、ちょっとこれからおっきな仕事することになっちゃってさー、しばらく通信出来ないかも。寂しい思いさせてごめんねー」
唐突に、ティントの真似をする。
「うあ、似てる」
本当に血、繋がってねぇの?
リーゼはころころ笑ってから、「絶対こんな通信して来ると思いません?」と首を傾げた。
確かに。
「通信入れてみたり、しました?」
「二、三度な。全く繋がんなかったけど」
「…そう、ですか」
何だかんだ、結局心配なのだろう。
爪先に視線を落としたリーゼの頭を撫でようとして、思い留まる。
子ども扱いすると、きっと怒るだろう。
案内所の戸締りをしながら、フィルは何てことない口調で言う。
「あんなだけど、ティントだって良い大人だ。自分で蒔いた種くらい自分でどうにかするさ」
リーゼはフィルを見上げて、「ちょっと友だち甲斐ないですよ」と文句を付けた。
フィルは笑う。
「付き合い長いからな。自分でどうにか出来ないことなら、ティントはどんな手段使っても訴えて来るから、大丈夫だよ」
何故か弟子は驚いたように瞳を大きくして、それから大人びた表情で微笑んだ。
「ちょっと、羨ましいです」
「何が」
リーゼはそれには答えずに、「これからしばらく、お世話になります」と頭を下げた。




