20、情けの天秤
「これが、最後だぜ。どけよ、3rd」
「…………」
フィルは漠角を振り返った。
漠角は必死の威嚇姿勢のまま、こちらをじっと見ている。
「んな顔しなくても、ちゃんと砂海まで帰すって」
フィルは静かに笑って、漠角に言った。
漠角は振り上げた口先を、微かに揺らす。
「ッ、いい加減に、しろよ!」
風を切る、重い音。
ウォンが振り被った剣が、銀の尾を引く。
「フィルさんっ!」
リーゼの警告と同時に、フィルはウォンの懐に踏み込む。
目を見開いた彼の手を、手刀で打った。
やけにあっさりと、剣が宙を舞う。
「あ」
声を上げたウォンの足を払ったら、もう終わりだ。
地面に仰向けになった彼は茫然としていたが、我に返ると「なんだよ」と掠れた声で言った。
「おかしいだろ…、オレ、間違ってないだろ?」
「さあ、案内人の考えって結構差があるからな」
フィルは肩を竦めた。
「…情けをかけるなら、ここで殺すよ」
一瞬、それが自分に対しての言葉かと思ったのだろう。
ウォンは青い顔をして、慌てて起き上がる。
フィルは背後の漠角を、視線で示す。
「足怪我してるし、まだ親離れの時期でもない子どもだ。可哀想だって理由で行動するなら、ここで殺してる」
砂海から吹く風が、砂避けのローブを揺らす。
鬱陶しい髪を払って、フィルはウォンを真っ直ぐ見た。
「街道で死んでもらっちゃ、不都合だ。だから砂海に帰す」
街道を血で汚せば、その臭いは砂獣を呼ぶ。
ましてここは、砂海との境界。
せっかく成功しかけた誘導作戦を、無駄には出来ない。
ウォンは弱々しく首を振った。
「…そういう風に考えろって、誰も教えてくんなかったぜ?」
「そ。まあ、俺はそういう考え方叩き込まれただけだから。何が正しいかは、自分で考えろよ」
「………」
砂海で生き残るなら、徹底して損得で動けと師匠は言った。
必要があるなら、それが砂獣でなくとも殺す。
けれど。
「必要性がないなら、相手が何であっても殺さない方が楽だって、俺は思うけどな」
ウォンは沈黙したまま、視線を落とす。
フィルはゆっくりと振り返った。
漠角はいつの間にか振り上げた口先を下ろしている。
酷い話だ。
この漠角が親とはぐれたのも、怪我をしたのも、結局は誘導作戦のせい。
それを、死ぬなら砂海で死んでくれと追い立てるつもりなのだから、相当だ。
「ごめんな」
漠角はふらふらと口先を揺らす。
そして徐に、ぎりぎりまで伸ばした口先でフィルの腕に触れた。
何かを確かめるように、何度も。
「…フィルさん」
何故か辛そうな顔をしたリーゼに、下がるよう指示する。
彼女は頷いて、項垂れたままのウォンを引き摺るように輸送車の近くまで逃げる。
ゲルドが、「大丈夫」と低い声で言った。
「…きっと親が迎えに来てくれるわよ」
そうだと、良いけれど。
フィルは漠角の口先を軽く叩いて、砂海を指した。
「一発しか撃たないから、迷うなよ?」
叡力銃を、宙に構える。
漠角はのろのろとフィルに並んだ。
僅かに頭を垂れて、フィルの顔を覗き込む。
もう、怯えた眼はしていない。
祈ったりはしない。
ただ、なるようになるだろう。
フィルは引き金を引いた。
音はしない。
空で弾けた光が、夜の砂海を幻影のように切り出す。
「ほら」
フィルはそっと促した。
漠角は空を仰いで、足を庇いながらゆっくりと歩き出す。
一度、二度、こちらを振り返り、そのまま砂海へと消えて行く。
「…行くか。閃光弾なんて撃ったから、早々に退散した方が良いだろ」
輸送車の乗降口で膝を抱えていたウォンが、ゲルドに首根っこを掴まれ席に強制移動させられる。
それを追いかけるように座席に腰を下ろすと、リーゼがぽつりと「大丈夫でしょうか」と呟いた。
ゲルドが振り返らず「出すわよ」と言って、アクセルを踏む。
嫌に静かに、走り出す。
「………生き残れると思いますか? あの子」
「さあ」
可能性が低いことは確かだ。
「生き残れたら、良いですよね。そう思うことは、いけないことじゃないですよね?」
「思うのは自由だろ」
「…フィルさんも、そう、思います?」
暗闇の中、リーゼの金色の瞳が何かを訴えるように光る。
「漠角って悪さする砂獣じゃないしな。敢えて、どうにかなっちまえとは思わねぇって」
「…………」
何故かそこで、ゲルドが含み笑いをした。
リーゼが、肩を落として息を吐く。
「フィルさんって、嘘吐きじゃないような顔して、嘘吐きですよね」
「?」
理解が追いつかなくて、首を傾げた。
リーゼは「良いんです」と呆れたような、満足したような、不思議な表情で微笑んだ。




