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ロストクラウン  作者: 柿の木
第五章
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14、異海より来るもの




 本日二度目の海運は、随分と様子が違っていた。

 港へと出入りしていた関係者が、全くいない。

 もう夕方。

 仕事が終わったと考えることも出来るが、出港を明日に控えているはずだ。

 それは砂海で時折感じる、「あ、今日は当たりそうだな」なんて軽い予感に似ていた。

 フィルは数歩先を行く弟子を、止めた。


「…出直すか」


 唐突にそう言われて、リーゼは当然驚く。

 きょとんと金色の瞳を丸くして、「ここまで来たのに、ですか?」と疑問符を浮かべる。


「明日はガーデニアに帰るんですよね? さっさと報告しちゃった方が良いですよ」


「まあ、そうなんだけど」


 フィルは海運の澄ました看板を睨む。

 いや止めておこう、言いかけて、諦めて首を振る。

 硝子の向こうに、ミントグリーンが翻った。


「フィル」


 このパターン。

 自然と顔を顰めたフィルに、海運から出て来たゲルドはあまり見せない固い表情で「良かった」と息を吐いた。


「中から見えたから、急いで出て来たのよ。もう話は聞いた?」


「聞いて来たけど」


「そう。取締も動くみたい。これは明日の出港も怪しいわ」


「そんなに?」


 そんな大事か。

 確かに砂獣の目撃談が増えているのに、調査をする気もないというのは案内所としてどうかとも思うけれど。

 よもやあのとんでもないババアは、海運を挙げてエラ・ディーネ案内所を潰しにかかるつもりとか。 

 ない、とも言い切れない。


「一応私も取締についてくつもりよ。もしものことがあっても後ろは海。逃げようもないんだもの」


「そ、そんな覚悟なんですか」


「旅廻りなんてしてるとね、お世話になった人とか街とか、逆に大切でしょうがないのよ。西ランス港(ここ)は、じいさんのお気に入りのお店もあるしね」


 ゲルドは感情が滲む声で、リーゼに答える。

 フィルはようやく、首を傾げた。


「…俺、まだ報告してないよな?」


 ゲルドが同じ方向へ、首を折る。


「あら、何の話?」


「調査の話だよ。おたくらが結託して押しつけた話だろ」


 ゲルドは「ああ」とか「ううん」とか、何とも言えない声を出して、激しく首を振った。


「違う、違うのよ」


「何が」


 ゲルドはさっと、砂海の方角を指差す。

 フィルとリーゼは、自然とその指先を追った。

 すうっと首筋を、海風が撫でて行く。

 ふつ、と携帯通信端末が沈黙を破った。



『…―こちらはガーデニア砂海案内組合、ラテ・リナイトラスです。全ての認可案内人に通達します。西ランス港の街道に、漠角の大群が集結しているとの情報が入りました。『ユレン・コート』ルートを西ランス港方向に移動中の案内人は、これよりGDUが指示を出します。また、砂海の回線は通信機能が一部制限されます。砂海を渡る際は充分に注意して下さい』



 繰り返します、とラテの澄んだ声がイヤホンから流れる。


「…GDUからの連絡ね? 事態は飲み込めたかしら」


 想像以上の、大事だった。





 思ったほどの混乱ではないな、というのが素直な感想だった。

 他の街に比べ低い外壁。

 街の人間全員を海へと避難させるのは、海運主導でもかなり時間がかかるだろう。

 そうでなくても、砂獣の群が街の入口まで来ているなんて状況は、パニックが起きても不思議ではなかった。

 けれど。


「わかった。私が指示を出す」


 駆け付けたラスカの一言で、最悪の事態は避けられたようだ。

 西ランス港の支配者たる采配。

 外壁に詰めていた者たちは、住民たちへの説明や避難誘導に奔走している。

 閉ざされた通行所の門を固めるのは、やはり案内人たちだ。

 西ランス港を訪れていた者から、この街で案内人をしている者。

 けれどそう多くはない。

 出来る限り灯りを落とし息を潜めているのは、多少なりとも漠角たちを刺激する要因を減らそうとしているのだろう。

 案内人たちの中には、ウォンの姿もあった。

 ああ、帰って来れたのかと単純に安堵する。

 連れていたという客は、もう避難したのだろう。

 強張った顔で、通行所の扉を睨んでいる。

 静かだ。


「…………漠角って、ここ、突破出来るでしょうか」


「まあ、滅多なことじゃ突破されねぇよ」


 状況が長く続けば、その滅多なことも起こり得るが。

 すでに悲愴な顔をしているリーゼに、追い打ちをかけるようなことは言い難い。


「…にしても、静かだな」


 フィルは門を固める案内人たちの背を見ながら、呟く。

 砂獣の襲撃なんてものは、喧々囂々。

 大声を張り上げても、指示が通らないような事態になるのが常だ。

 けれど漠角の鳴き声も、防壁を攻撃するような音も、今のところ聞こえて来ない。


「そういえば、そうかもしれませんね」


 リーゼは力の入り過ぎた肩を、僅かに落とした。

 当たり前の夕暮れが、がらんとした道に落ちる。

 一瞬で様相を変えた街を見渡して、どうしようもないとばかりに彼女は微かに笑む。


「こういう非常事態の時って、どうするのが一番なんでしょうか?」


「そーだな。まずは落ち着くことかな」


「…それは、一応出来ていると思います」


「じゃ、後はいつもと同じ。生き残ることだけ考えてりゃ良いよ」


「そんなものですか?」


「そんなものです」


 リーゼはしんとした瞳で、真っ直ぐにフィルを見た。

 どんなに有望でも、まだ彼女は『タグなし』。

 自分の命最優先で、良い。

 何か言いかけた弟子は、徐に、フィルの左手に自分の手の甲を軽く当てた。

 あたたかさを感じるまでもない、ほんの一瞬。

 何、と首を傾げると、リーゼはそれには答えずに「わかりました」と素直に頷いた。


 




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