13、飾り札と世間話
「まさか、あの3rdの主さんに会えるとは思ってもいませんでしたよ。いや、やはりお若いですねぇ」
天井で、意味があるのかわからないほどゆっくりファンが回っている。
リーゼが少し荒っぽい所作で居住まいを正した。
フィルは「まあ、そうでもないですけど」と適当に話を流す。
「当時は凄い騒ぎになりましたよね。ん、十年前? もうずっと3rdですか! いやぁ、とっくに辞められたのかと思ってました」
「……………」
話し続ける男に、リーゼがうんざりとした視線をフィルに向ける。
そんな顔されても。
何せ話が止まらない。
「わかります、わかります。私も何てったってもうこれですから。タグなんてのは最早飾りですよね」
彼は自分のせり出した腹を叩いて、「はははっ」と気持ち良く笑った。
楽しそうなのは大変結構だが、うちのお嬢さんが切れそうだ。
フィルは「それで、ちょっとお尋ねしたいことが」と強引にその笑いを遮った。
海運でゲルドと別れ、エラ・ディーネ案内所まで足を運んだのは、遅めの昼食を取ってから。
広い通りに面した二階建ての案内所は、海運と同じように金字の看板をさり気なく掲げていた。
対応に出て来た男は幸運にも、案内所のお偉いさん。
暇を持て余していたのだろう。
来訪者が案内人だとわかると用件も後回し、中に通してくれた。
そして、愉快な世間話へと突入したわけだ。
2ndのタグを付けているが、もう一線を退いているのだろう。
恰幅の良いおじさんといった風貌だ。
彼はフィルの話を最後まで聞いて、「ふぅむ」と妙に深刻ぶって唸る。
「海運の連中に言われて…。そうですか、それはご苦労さまなことで」
「いえ、突然お邪魔してしまって、こちらこそ申し訳ありません」
彼は、やれやれと額を掻いた。
「砂海のことを知らない連中は、これだから困りますよねぇ。ちょっと見かけない砂獣がいたからって大騒ぎするほどじゃないんですけど」
「見かけない砂獣、ですか?」
「ああ、連中にとっては、ですよ。漠角、知ってますか? ここんとこ、『ユレン・コート』ルートをうろついているみたいで、うちの案内人も何度も目撃してます」
害はないんですよ、と彼は呆れたように首を振った。
「高名なセイレス海運もその程度ですよ。偉ぶっている割に、随分と臆病で。貴方がガーデニアの案内人だっていうので、これ幸いと利用したんでしょう」
貧乏くじでしたね、と彼はにこにこと言う。
それは決して否定はしない。
「じゃあ、調査等はする予定もなく?」
「ええ、勿論。そんなことで一々人を呼んでいたら、大変ですよ。うちだって、慈善事業じゃありませんからね。必要もないのに、利益の出ないことをやったりしません」
金にならない調査より、実のある仕事を優先する。
確かに、案内人というものが「商売」である以上は仕方がないことだ。
リーゼが、ふっと首を傾げた。
「ウォン…さんと一緒にいたお客さんは、その調査をされていたんじゃなかったんですね…」
「そういえば、昨日お会いになったそうで。あの方、首都の研究者さんだそうで、二週間くらい前から西ランス港にお泊りになって、いろいろ調べているみたいですよ」
男は、「良いお客さんなんです」と笑みを深めた。
揉み手でもしそうな勢いだ。
少し砂海に出て、データ採取に付き合う。
それで、なかなか良い報酬を出してくれるらしい。
ティントじゃそうはいかない。
羨まし、じゃなくて。
「…ありがとうございました。一応海運に報告させて頂きますが、構いませんか?」
「はい、どうぞどうぞ。寧ろありがたいくらいですよ。あ、ウォンの奴なら今日もあのお客さん連れて砂海に出てますよ。そろそろ、帰って来ますかねぇ。お顔を見れば喜ぶと思いますが」
リーゼが良い笑顔で「お暇しましょう」と言い切る。
「…せっかくですが。よろしくお伝え下さい」
フィルとリーゼが立ち上がると、男も「よっこいせ」と腰を上げた。
「そうですか…。救援に駆け付けてくれて嬉しかったと言っていたので、また是非あいつに会いに来て下さい」
昨日は酷くご立腹だったリーゼが、少し申し訳なさそうな顔で会釈をした。
彼はうんうんと感心したように頷いて、
「戦いは苦手なのに助けに来て下さんですってねぇ。護衛対象が増えて大変だったとか言ってましたけど、ウォンにとっては良い経験になったと思いますよ」
フィルとリーゼは同じようにぽかんとして、それから互いの顔を見た。
うん?
彼は腕組みをして、唐突に案内人の顔をする。
「まあ、あまり口出しすべきことではないでしょうけど、砂獣を斃したらすぐにその場を離れるべきですよ。貴方は3rdだから知らないかもしれませんが…。年下でも、2ndの言うことを少し聞かれた方が良いかもしれませんね」
彼は薄い髪を撫でつけて、「すみません」と謝った。
「つい、現役時代のくせで。おじさんの小言だと思って下さい。ただ…、貴方は悪い方には見えないので、お心に留めて頂ければ」
真実を知った上での、嫌味ではないだろう。
あくまで、善意。
リーゼが何か言いかけるのを、その腕をそっと取って止めた。
「…ご忠告、感謝します」
にこやかな彼に見送られて、案内所を出た。
「……っんですか!? あれ!」
手頃なものがあったら、蹴り飛ばしそうな勢いでリーゼが叫んだ。
フィルはもう笑うしかない。
救援要請を出したこと自体は誤魔化しようがないが、仔細をありのまま上司に報告するのは憚られたのだろう。
脚色が凄いが。
「まー、見え張りたい年頃なんだろ。2ndに上がって、そう経ってなさそうだったし」
「理由になりません!」
リーゼは観光客用に道端に置かれたベンチに、どかっと座った。
陽が傾きだして風が涼しいが、少女の頬に差した赤は冷める様子がない。
どこにぶつけて良いのかわからないのかもしれない。
彼女は組んだ手を上下に振って、唸った。
何と言うか、微笑ましい。
「何で笑ってるんですか!? フィルさん、馬鹿にされたんですよ!」
悔しくないんですか、と掠れそうな声で、呟く。
「そりゃ、全く腹が立たないわけじゃねぇけど、リーゼがそんだけ怒ってると俺が怒る必要もねぇかなーって」
「何ですか、その理屈! 私、怒り損ですっ」
「損じゃないって。怒ってくれて、ありがとな」
「っ………うー」
リーゼは組んだままの手を、額に押し当てた。
ミルクティー色の髪が、はらはらと海風で踊る。
「んじゃ、状況もわかったし、海運に顔出すかー」
「……はい」
ぱしっと自分の頬を叩いて、リーゼは立ち上がった。
「何か…、いろいろありますね」
「ですねー」
ふっと、砂の匂いが風に混じった。
砂海からも、風が吹いている。
きん、と痛みと錯覚しそうな耳鳴り。
フィルは外壁を見上げる。
「フィルさん?」
「あ、悪い。行こうか」
確かに聞こえたと思った異音は、あっという間に潮騒に呑まれていった。




