11、海運の主
融通が効くという言葉は、本当だったようだ。
エントランスに設けられた受付で、ゲルドは一言二言説明するとにこにこして戻って来た。
「邪魔しなきゃ良いって。さ、リーゼちゃん、しっかり見てってね」
吹き抜けの天井にはシャンデリアが、幅のある階段には深紅の絨毯が敷かれている。
そう広い建物ではないはずだが、最早城だ。
「じゃ、まずはここの主に会いに行かなきゃ」
「取締さんですか? でも、お忙しいんじゃ…」
「ちょこっと挨拶するくらい平気よぉ」
まるで自分の家のような顔で、ゲルドは階段を上がる。
海運関係者も特に気にした様子もなく、すれ違いざま軽く頭を垂れる。
「セイレス海運って全体が女系なの。ほら、女の子しかいないでしょ? 一応、男の子もいるみたいだけど、相当少ないんじゃないかしら」
「力仕事とか、男性がいた方が良いような気もしますけど」
「あら、女だって力を合わせれば大抵の物は運べるわよ」
「そう、ですけど。偏りがあるのって、不自然じゃないですか?」
案内人も、多少は偏りがある。
けれど、海運のそれは病的だ。
水色の制服を着た海運の人間は、今のところ女性のみ。
「『男は愚鈍で盲目、自分たちが女より優れていると勘違いしている生き物だ』っていうのが、取締の主張なのよ」
「……は、はぁ」
その通りですね、とか言われなくて良かった。
リーゼは納得し切れない表情で、「凄い持論ですね」と呟く。
「心当たりない?」
「いえ、幸運なことに」
「リーゼちゃんたら、断言したわね。良かったじゃない? フィル」
そりゃあ、安心したけれど。
「……てか、その持論の持ち主に会いに行くわけ?」
「そうよ?」
「……………じゃ、俺、外で待ってるわ」
ゲルドは扉が並ぶ長い廊下の途中で立ち止まると、「大丈夫よ」と良く判らない保証をする。
「アタシ、乙女だし」
「おたくのことは心配してねぇよ」
「あら、リーゼちゃんのこと? 尚更心配いらないわ。毛嫌いしてる案内人でも、頑張ってる女の子は応援してくれる人だもの」
わかってやってんな、こいつ。
ゲルドは「それに」とカーディガンを靡かせて、ふわりと手を揚げた。
そのまま、目の前の扉を軽くノックする。
金色の装飾が入った扉の向こうから、良く透る返答。
「こんにちは、ラスカさん。ゲルドです」
勉強に来たんでしょ?
ゲルドは悪気のない笑みを作って、あっさりと扉を開けた。
陽射しが入る飾り窓を背に、その人は手にしていた資料を机の上に置いた。
かけていた眼鏡を外すと、音も立てずに立ち上がる。
雪白の髪は清々しく短く、化粧気のない肌は浅黒い。
ルレンより遥かに年上に見えるが、立ち振る舞いは戸惑うほど壮健だ。
海運の女性たちと同じ、水色のパンツスタイルが恐ろしいほど似合う。
美しい人、なるほど否定は出来ない。
「どうした、客か?」
視線を向けられて、フィルとリーゼは頭を下げた。
この人にかかれば、「男は愚鈍」もあながち否定しきれないような雰囲気がある。
セイレス海運の取締。
隣国の領海をでかい顔して渡って見せる度量だ。
「お客というか、アタシの知り合いなんです。西ランス港のお勉強中で、ぜひ取締にお会いしたいっていうから」
フィルと、こっちがリーゼちゃん。
ゲルドがさっさと紹介を済ませる。
「そうか。ようこそ、私がセイレス海運の取締、ラスカ・コートだ」
意外にもにこやかに、彼女は握手を求める。
「あ、ありがとうございます」
緊張した様子のリーゼに笑みを深め、取締はリーゼの手を優しく握る。
無視をされることもなく、ラスカはそのままフィルにも手を伸ばした。
「初めまして。お会い出来て、光栄です」
握った手は、あちこち節くれ立って固い。
歳のせいだけでは、ないだろう。
彼女は強くフィルの手を握って、居心地が悪くなるほど真っ直ぐに眼を見つめて来た。
鋭い、気配。
速かった。
握った手を思い切り強く引かれる。
反射的に、爪先から力を抜いた。
伸ばされた左手が視界の端を掠める。
フィルは身体を捻って、その手を払う。
そのまま、握ったままの右手で相手を押した。
ふ、と鼻から漏れるような微かな笑い。
フィル自身驚くほど手加減なく突き飛ばしたが、ラスカは平気な顔で軽くステップを踏んで後退した。
「なるほど、ゲルドが連れて来ただけはある」
茫然とするリーゼの隣で、ゲルドがやけに嬉しそうに「でしょ?」とはしゃぐ。
でしょ、じゃねえよ。
とんでもねぇババアだ、と思ったが、流石に口には出せない。
「随分と、個性的な挨拶で」
一応嫌味を返すが、取締は涼しい顔で「仕方がない」と答えた。
「私は男も案内人も嫌いだからな」
「…男で案内人ですが、お会いするのは初めてですよね。初対面の相手にすることとは、思えませんが」
「か弱い老人を遠慮なく突き飛ばしておいて、言ってくれる」
どこが、か弱い?
彼女は哄笑して、「まあ、いいだろ」と一人納得する。
「本当なら叩き出すところだが、少しくらいは時間をやろう。聞きたいだろ? 色々と」
ラスカは机の上の通信機を取ると、「客人だ。適当な飲み物を頼む」と指示して、フィルたちにソファを勧めた。
リーゼが神妙な面持ちで、「私も、砂海案内人なんですが」と断わりを入れる。
彼女は「ああ」と頷いて、
「案内人は嫌いだが、低レベルな男社会で頑張っている子は嫌いじゃない。安心しな」
酷い差別発言を、爽やかに言ってのけた。




