10、白き海辺
ソーダみたいな波です。
そう言って、リーゼは海風で乱れる髪を耳にかけた。
隠し切れない興奮で、金の瞳がちらちらと光る。
砂海の夜明けを見せた時と同じ表情だ。
意外と、顔に出る。
こっそりと笑ったのに、リーゼは目敏くフィルを振り返って、「何ですか」と少し憤慨して見せた。
「何でも。楽しそうで、何より」
今日の西ランス港は朝から気持ちの良い晴天で、ぐるりと巡った街中も商売人だけでなく多くの観光客で賑わっていた。
真っ白く塗られた家の壁に、カラフルな屋根。
とにかく明るいこの街は、砂海の近さを忘れさせるほど緊張感がない。
通りのカフェでティータイムをしている老夫婦。
お土産を買い込む家族連れ。
着飾った少女たちが、アイスティー片手に港のベンチでお喋りをしている。
「平和ですね」
「そーだな。イグ並みに、治安は良いんじゃねぇかな」
帆船が集まる港の一角。
眩しいほど白い建物を、フィルは「あれ」と指差す。
ここからでも、見えるガラス張りのエントランス。
掲げられた金字の社名は、「セイレス海運」。
「西ランス港は基本あそこが牛耳ってんだよな」
リーゼはとことこ寄って来てフィルの隣に立つと、背伸びをして海運の建物を眺めた。
人の出入りが激しいのは、ゲルドが言っていたように翌日に出港を控えているからだろう。
流石に近辺は、観光客の姿もない。
「随分力があるとは聞きましたけど、そんなに、ですか?」
「国の管理局みたいなのも頭が上がんないって話。まあ、俺もあんま詳しくは知らねぇけど」
イグの自警団と違って、どうも海運は案内人に興味がないようだ。
西ランス港にも案内所が一つあるはずだが、仲良くやっているというめでたい話は聞いたことがない。
「ガーデニアは案内人の街で、イグは自警団。で、西ランス港は海運の街ってことですね」
「そうそう。自警団はともかく、ここじゃ馬鹿なことすっと容赦なく海運に捕まるからな?」
近くまで行ってみるか、と誘うと、リーゼは素直に頷いた。
海を眺める人々の合間を縫って、海運の建物に近付く。
水色の制服を着た女性たちが、帆船に荷を運び込んでいる。
彼女たちはちらとフィルたちを一瞥したが、相当に忙しいのか、邪魔さえしなければとばかりに無視を決め込む。
リーゼは居心地悪そうに、ゆっくりと彼女たちを見回した。
視線が合った相手は一人もいなかったようだ。
溜息を吐く。
「案内人、嫌われてます?」
「良くは思われてねぇなって印象はあるけど」
「この辺ふらふらしてて、捕まったりしません?」
「それ、治安良いって言わねぇよ」
そんな横暴をする組織ではないが、延々仕事ぶりを眺めていたら文句の一つでも飛んで来るかも知れない。
「とりあえず、これで一通り回ったかな」
「ウェルトットよりは憶えやすいですけど、色々、ありますね」
「ですね」
行きますか、と海運に背を向けた瞬間。
「あら! フィル、リーゼちゃん!」
呼び止められて、振り返る。
案の定、テンションの高いゲルドだ。
今日はミントグリーンのひらひらしたカーディガンを羽織っている。
益々、性別不明。
「やだ、どうしたの? セイレスに用事? あ、もしかして見送りに来てくれたの!?」
盛り上がっているところ申し訳ないが、フィルはあっさりと首を振って否定する。
「一応勉強中なんだよ。西ランス港つったらここ見ねぇとだろ」
「あら、意外にちゃんと『師匠』してるじゃない」
「意外って」
心外だ。
「ご出発は、明日ですよね?」
帆船を振り返ったリーゼに、ゲルドは「そうよ」とのんびり答える。
出港に間に合って、安心したのだろう。
ひたすら、明るい。
「ね、せっかくだから、中も見て行ったら?」
「中って、え、良いんですか?」
「だーいじょうぶ! アタシ、こう見えてここも常連さんだから、多少融通効かせてもらえるの。セイレス海運の中なんて、なかなか見れないわよぉ」
リーゼがぱっとフィルを見た。
捕まる云々の心配はどこに行ったのか。
好奇心旺盛なことだ。
まあ、許可が貰えるなら別に敬遠することでもない。
「行きましょ、行きましょ。海運の取締、アタシが言うのも何だけど、美人よ」
見応えあるわ、と意味深にウインクをして、ゲルドは手招きをした。




