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ロストクラウン  作者: 柿の木
第一章
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10、弟子の権利 師匠の義務




 門で後から来る同僚たちを待つと言うカディたちと別れて、フィルとリーゼはガーデニア旧区に戻った。

 結果として、初めての砂海で自分たちが砂獣をおびき寄せたことが相当にショックだったのだろう。

リーゼ以外の新人から謝罪の言葉はなく、呆れた顔でカディが「今日のことはまた改めて」と軽く頭を下げた。

 ということは、改めて謝罪に来るつもりなのだろうか。

 良いのに、と言いかけて止めたのは、デザートカンパニーの新人育成の方針に配慮してのことだ。


「…………あの」


 姿勢良く椅子に座っていたリーゼは、納得の行かない顔をしている。

 フィルは「ああ」と見ていたメニュー表を彼女に手渡した。

 案内所の近くにあるこのレストランは、フィルがタグなしの頃から通っている店だ。

 旧区に唯一ある広場に面しており、この地区の例に漏れず店内が狭いため広場に広いテラス席を設けている。

 料理に多少砂のスパイスが加わるが、旧区に住む人間はそんなことは気にしない。


「祝砂海デビューってことで奢ってやるよ? ここ何でも美味いから好きなもん頼め」


「いえ、あの、そうではなくて」


「食欲ない?」


 受け取ったメニュー表をまるで見ようとしないリーゼに、フィルは思わず顔を顰めた。

 初めての砂海だ。

 ガーデニアに戻って来ているとはいえ、体調の変化は見過ごせない。


「……なくはないです。正直、お腹は空いています」


「そか、なら良かった。じゃ、気にせずどんと頼めよ。あ、それくらいは金あるからな?」


「………………」


 リーゼはメニュー表に視線を落とした。

 けれどそれは何を頼むか決めるためではなく、純粋にフィルから視線を逸らしたからだ。

 メニューなんて見ていないのは、すぐに判る。

 フィルは仕方ないと小さく息を吐いた。

 手を上げると、テラス席を片づけていた店員が笑顔で寄ってくる。


「ミックスサンドプレート一つと特製ポトフ、レモンスカッシュを二つずつ、よろしく」


 店員はメモも取らずに「はい。少々お待ち下さいね」と店内に引っ込む。

 もう、九時近い。

 砂海で見た朝日は薄い雲に呑まれ、テラス席のパラソルには弱い光しか落ちて来ない。

 朝の客が引き、ピーク時には人で埋まる席も今は閑散としていた。


「初めての砂海であんなのと会ったから疲れたろ。これ食ったら家帰ってさっさと寝ろよ?」


「……いくら何でも寝るには早すぎる時間だと思いますけど」


 いつもの調子ではないが、憎まれ口が返って来たことに安堵する。

 けれど痛いほどに真っ直ぐな視線は、ずっと鳴りを潜めている。

 存外、思いつめる質だ。


「とか言ってても身体はかなり負担かかってるから、ベッドに横んなったらすぐだぞ。ま、砂海に慣れるまでは文字通り泥のように寝れるからな」


「…………」


 リーゼの髪が、風でふわりと揺れた。

 柔らかそうな髪が、白い頬に影を作る。

 それを振り払うように、リーゼは顔を上げた。


「フィルさん」


「ん?」


 聞き返したところに、店員が料理を運んで来た。

 小さなテーブルにてきぱきと料理を並べて、「ごゆっくりー」と言って去って行く。

 勢いを削がれたリーゼが、長く溜息を吐いた。


「あー、ほら、とにかく食お? な?」


「………はい」


 白い大きなプレートにはやや小さめにカットされたサンドイッチが盛られている。

 ミックスと謳うだけあって、卵サンドもあれば白身魚のソテーを挟んだ独特なものまで多種多様。

 パンの山の周りには、「まあいいや」みたいな乱雑さでフライドポテトとトマトが敷き詰められている。

 ポトフのスープ皿もレモンスカッシュのグラスも、店主のこだわりなのかどことなく洗練されたおしゃれなもので、ポトフの盛り付けを見ても油断が無い。

 なのに、このプレートだけはいつだってこうだ。

 リーゼは盛られたサンドイッチにぽかんとして、それからしみじみとそれを上から下まで見る。


「……くっ」


 堪えた笑いを聞きつけて、リーゼは眉を寄せた。


「何で笑うんですか?」


「いや、何か、もう顔芸だな」


「顔芸!?」


 そう。それくらいの調子でいてくれないと、困る。

 フィルの安心もつかの間、いきり立ったはずのリーゼは肩を落とした。

 駄目か。

 フィルは「いただきます」と手を合わせて、サンドイッチを取る。

 釣られたようにリーゼも小さく「いただきます」と言って、スープ皿を手前に寄せた。

 そして、そのまま止まる。


「リーゼ」


「……どうして、怒らないんですか?」


 静かな声で、どこか諦めたように彼女は言った。


「怒られたいのかー?」


 からかうようにフィルが答えると、「怒られたいです」とあっさり切り返される。

 スープ皿に落とされたままの視線。

 ゆっくりと瞬く瞳に浮かぶのは後悔というより、痛切な悲しみだ。


「怒られるようなことを、したのか?」


「しました! 砂海がどんなところか知っていたはずなのに、呑気に他人に武具を見せたりしてっ! 理解していなかったんです。武具を手放すなんて、馬鹿なことをした結果、あの場にいた皆の命を危険に晒して……」


 リーゼは首を振った。

 そっと彼女はイヤホンを押さえる。


「いいえ、砂海にいた全ての人に、迷惑をかけました。私が、大丈夫だろうって判断を誤ったからです」


「そっか」


 フィルは頷く。

 そこまで思い詰める必要はないが、リーゼが言ったことは概ね正しい。

 確かにあの銃を撃ったのはリーゼの同期生。

 けれど、あの事態を引き起こした一因に、リーゼの油断があったことは事実だ。


「そこまで判ってんなら、俺が怒るまでもないだろ? ミスしたけど、結果的に全員生きてガーデニアに帰って来た。次はそーいうことはないようにしよう。それでいいじゃんか」


「……そんな簡単な話じゃ、ないと思います。命に、関わることですよ? 怒るのか面倒だから怒らないんですか? 私が、本当の、弟子じゃないから……、そのうちどこか別の会社に行くからいいだろうって思ってるんですか?」


「はぁ?」


 リーゼはぱっと顔を上げて、「だって」と泣きそうな声を上げた。


「あのなー、怒るのが面倒って……。俺、お前が通信端末取った時ちゃんと怒ったぞ。あれはリーゼがやったことに対して反省してなかったから怒った。でも今は違うだろ? 自分がどういうことをしてその結果こうなったってちゃんと理解して、反省してる。改めてとやかく言うことじゃないのは判るだろ」


「…………」


 彼女の目元は、微かに赤らんでいる。

 けれどそれは失敗に対するものなのか、フィルが怒らないことに対するものなのか。


「あー、もう。こんな程度の失敗なんてこれから山ほどすんだぞ? 失敗して成長すんだから、いちいち気にしてんなよ。ちゃんと反省したら、美味いもん食いながら笑い話にしちまえって」


「私のこと、どうでもいいから怒らなかったんじゃ、ないんですか?」


「違うって。どーでも良かったら飯なんて奢らないし、そもそも案内所から叩き出してるっつの」


「そう……、ですか?」


「そうですよ!」


 何が可笑しいのか、リーゼは微かに笑って「良かった」と胸元をぎゅっと押さえた。

 とにかく気は晴れたらしく、すっかり汗をかいたグラスを取って口を付ける。

 からからと、氷が気持ちの良い音を立てた。


「まったく、新人には失敗する権利があんだからもっと堂々としてろよ。タグが付いたらなかなか馬鹿なことは出来ないんだから、今のうちに失敗は買ってでもしとかねぇと」


「意外と、寛容なんですね……。もっと厳しい世界だと思ってました」


「ん、そりゃ人によって違うだろうけどなー。俺も結構やらかした口だし、どんなに経験を積んでも人間だから間違いもあるし、多少はやっぱ仕方ない」


 少々気恥ずかしそうではあるが、リーゼは完全に持ち直したようだ。

 人間だから、完璧は難しい。

 それを素直に受け入れるには彼女はまだ幼いけれど、タグが付く頃には一つのミスもない旅路が幻想だと判るだろう。

 安心したら咽喉が渇いていると自覚したらしい。

 リーゼは一気にグラスの半分を飲み干した。


「……フィルさんも、『やらかした』ことあるんですね」


「勿論。タグなしの頃は、それこそ師匠が一緒じゃなかったら死ぬようなミスしたこともあるぞ」


 今なら笑い話ですむが、「ああ、死んだな」と思ったことは数知れず。

 師匠はそういう大事なことに限って、怒らない人だった。

 あるいはフィルがリーゼの判断ミスを責められなかったのは、師匠のやり方を自然と模倣したからかもしれない。


「ミスとか、する人だったんですね」


「えっ、俺、そんな凄い人に見える?」


「いいえ」


 いいえって、何も即答しなくても良いと思う。


「でも、砂海で砂獣と対した時のフィルさんは……、違う人みたいでしたから」


 彼女が微笑んでそう言ったところを見ると、悪い意味ではないらしい。

 しかし自覚のないフィルは首を傾げる。


「そっか? んなこと言われたの、」


 フィーは、砂海に出ると人が変わる。

 

 懐かしい声が、一瞬脳裡を過ぎり、溶けるように消えた。

 フィルは誤魔化すように笑う。


「昔、言われたことあるかも。砂海だと別人格だって」


「私、別にそこまで言ってません」


 リーゼはふるふると首を振った。


「街中ではお人好しで情けなく見えますけど、砂海では傍にいると安心出来るって意味です」


「……何か、え? 喜ぶべきなのか?」


「喜んで下さい。誉めたんですから」


 女の子らしい、軽やかな声でリーゼが笑う。

 どこが誉めているのか、全く判らない。


「フィルさん」


「ん?」


「……ありがとうございます」


 リーゼは照れたように頬を染めた。

 それを隠すように、少し慌ただしい手つきでサンドイッチを取って食べる。

 言葉を返すには、呆気に取られ過ぎていた。

 フィルは諦めて、彼女を同じようにパンを取った。

 弟子、か。

 一生、縁がないと思っていたことは確かだ。

 取るつもりもないし、取れないだろうと。

 けれど。

 

「フィルさん?」


 リーゼが首を傾げる。

 機嫌の良くなった弟子に、フィルは何でもないと首を振る。


「ま、うちにいる間くらいは精一杯フォローしてやるから、今の内に失敗しとけ」


「私、そんな失敗ばっかりするつもり、ありませんから」


 素っ気なくそういったリーゼは、そっぽを向く。

 別に嫌われている訳でもなく、どうやらこれが彼女の通常運転らしい。

 そう長くは置いておけないが、この小生意気な新人がせめて砂海にある程度慣れるまでは手伝いをしてやりたいものだ。

 それはきっと、ほんの少しの時間になるだろうけれど。

 その発想自体が、すでに『うちの子贔屓』か。

 フィルは自嘲気味に、けれどそう悪い気分でもないと笑った。




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