6、漠角
「あーあ、馬鹿だな。漠角なんて、どーやったらあんな怒んだよ」
フィルは構えた叡力銃を、下ろした。
Y48の手前、『ユレン・コート』ルート上をやや西に外れた地点。
規則正しく描かれた砂紋を乱して、立ち回る男が見える。
「バクって、『漠角』!?」
そう、とフィルは眼を輝かせるゲルドに答える。
「え、でも…」
リーゼも、その名を知っているのだろう。
漠角は砂獣の中でも穏やかな気性で、群を作らず、主食の昆虫を探して砂海を悠々旅する個体が殆どだ。
図体は馬なんかより遥かに大きいが、好んで人を襲ったりはしない。
寧ろ、砂海で遭難した旅人を街の近くまで連れて行ったなんて話が、珍しくないくらいだ。
彼らは聴覚に優れ、いざとなれば砂狼より速く走ることが出来る。
知能指数も高いと言われているし、砂海に古くから棲みついていることからも、他の被食者と比べて割とのんびり砂海で暮らしていくことが可能なのだろう。
それが、彼らの人に対する態度にも表れているのかもしれない。
案内人も、砂獣らしからぬ漠角を別格に扱っている節がある。
帯のように長く垂れた口先を砂に埋めて、とろとろ歩いている漠角にちょっかいをかける案内人は、殆どいない。
「雄の成体っぽいんだけどな」
フィルはうんざりと首を振って、仕方なく叡力銃を構え直した。
今の時期、雌の漠角は子を伴っていることもある。
或いは母親の元を離れたばかりの漠角は、興味本位で攻撃とも取れるような行動に出ることもある。
それなら、この状況も多少は理解出来よう。
けれど。
怒り狂った漠角が口先を振り上げて、吼える。
その名の由来でもある両耳脇の突き出した角を、男に向けた。
対していた彼は、慌ただしく剣を振る。
少し離れたここからも、銀のタグが光るのが見える。
彼が案内人で、その背後、荷物を抱きかかえてぼうっと立っている細身の男性が彼の客だろう。
「ちょっと、叡力銃なんて使ったら、商品になんないわよ?」
咎めるゲルドに、フィルは溜息を吐いた。
「どっちにしたって、あれじゃ仕分けてる余裕もねぇよ」
剣を抜いたリーゼが、「血だらけです」とぽつり呟く。
何時砂獣が集りに来てもおかしくない。
恐らくは、あの案内人に何度も斬りつけられたのだろう。
やるのなら、一撃で仕留めてやればいいものを。
茶色っぽい表皮は抉れ、血の固まりが辺りの砂に飛び散っている。
夕焼けでわかりにくいが、かなりの傷だ。
「…もう誘導も、意味ねぇだろーな」
「………フィルさん」
「リーゼ、一応ゲルドよろしく」
リーゼは素直に頷き、ゲルドは口惜しそうに「漠角なんて滅多に狩れないのに」と文句を言った。
男が転びそうな勢いで後退する。
闇雲に揮う剣先が、漠角の口先を裂く。
フィルは叡力銃の引き金を引いた。
悲鳴に似た鳴き声が、ぶつりと途切れる。
ゆっくりと傾いだ巨体が、どお、と砂煙を上げて斃れ込んだ。
何故か、案内人の男が腰を抜かしたようにへたり込む。
「…………」
「んもう、漠角なんてなかなか会えないのに」
「流石、ですね」
ゲルドはともかく、労うリーゼの声は心なしか暗い。
フィルは通信で砂獣の討伐を報告し、『ユレン・コート』ルートを歩く者に注意を促す。
ルート上からややずれていたのは幸いかもしれない。
「…たす、助かりました」
近付くと、案内人はのろのろと立ち上がって、唇を震わせながら何とか笑みを作った。
まだ少年と青年の間くらいだろうか、短く刈り込んである髪は生え際に焦げ茶が混じる金髪。
銀のタグには二本線、2ndだ。
「いつもなら、あんなに苦戦しないんすけど。今日は、客もいたし、急に襲いかかって来て」
「お客さん、良いの?」
言葉を遮ったフィルに、彼は「ああ」と振り返って、
「大丈夫っすかーッ!?」
大声で、訊いた。
リーゼは小さく肩を跳ねさせ、ゲルドは口元に手をやって浮かんだ表情を隠す。
怖いもの見たさなのか。
彼の客は、息絶えた漠角をかなりの至近距離で眺めていたが、呼びかけに軽く手を挙げて応える。
「大丈夫みたいっす。オレ、ちゃんとあの人が怪我しないよう戦いましたし。マジ、喰われるとこだったけど」
「そう」
喰わないから。
殺される可能性は否定しないが、漠角は人間を喰わない。
割と常識のはずだが、彼は気付いた様子もない。
フィルは思わず、彼のイヤホンのタグを二度見する。
いや、間違いなく「2nd」。
「あ、オレ、ランス港の『エラ・ディーネ案内所』の2ndで、ウォンっていいます」
フィルの視線に、ひょいと頭を下げた。
彼は捲し立てるように自己紹介をして、フィルの耳元に視線をやる。
そして、ふと怪訝そうに首を傾げた。
「…って、もしかしてあんた3rd?」




