4、悪食の憧憬
「砂獣を食べちゃう話、さっきしたでしょ?」
「はい」
「その手のマニアは、いくら出しても食べたい砂獣っているのよ」
例えば、『人喰い』。
ゲルドが平然と出した呼称に、リーゼはさっと表情を曇らせる。
当たり前だ。
あれはその名の通り、人を好んで喰う砂獣。
それを「食べたい」とは、普通の人間はまず思わない。
「でも」
「そう、『人喰い』はGDUが食べちゃダメって規制してるの。始末もGDUがしちゃうし、サンプルが研究用に取られるくらいかしら。ニセモノはともかく、出回ったって話は聞いたことないわ。でもね、そうなると食べてみたくなっちゃうのが、人間じゃない?」
「私は、どうぞと言われても食べたいとは思いませんけど」
「ふふ、でもその肉に、首都に家構えるくらいの金額を平気で出すって言ってる人、結構いるのよ」
通り過ぎるフロートをぽんぽんと叩いて、ゲルドは続ける。
「まして、『女王』なら」
「え…」
「知ってる? 『女王』を食うと不老不死になるって話」
リーゼは少し考え込んでから、「如何にもありそうな話です」と冷静に返す。
ゲルドは首を振った。
「あら、エルランス地方には伝わってるのよ? 女王に生贄として捧げられたはずの男が生きて帰って来て、その後歳も取らずに一三〇年以上生き続けたって」
「…砂海って、そういう根も葉もない噂話、多いですよね」
「根も葉もないって感じじゃないのが、この話の面白いとこなのよ!」
嬉々としたゲルドに対して、リーゼは終始冷めた目で相槌を打つ。
「その男、どこの誰かちゃーんとわかってて、子孫も普通に生活してるの。少なくとも、モデルになった人物がいたことは確かでしょう?」
「…本当ですか?」
リーゼは敢えてフィルに問いかける。
嘘でしょう、と顔に書いてある。
初めての客に胡散臭い話でからかわれたことが、尾を引いているのだろう。
「さあ」
素っ気ないフィルの返答に、リーゼはつまらなそうに口を噤む。
サナの怖い話同様、半分からかわれていると思っているのかもしれない。
砂海の怖い話は面白がってする「嘘」に近いが、ゲルドの話題は残念ながら少しばかり意味合いが違う。
ゲルドは砂間をじっと見つめる。
「何でも、その男。人の死肉を好むようになっちゃったらしいの。これは、ホント」
「何で、『本当』ってわかるんです?」
「男の家族が医者に見せて、記録に残ってるのよ。まあ、これだけじゃ『女王を食べて不老不死になった』って証拠にはならないんだけど」
ゲルドは残念そうに言った。
死肉を好む長命の男。
女王に捧げられ、生きて帰って来た男。
如何にもありそうな二つの話が、複雑に混ざった可能性もある。
けれど、そんなことは恐らくどうでも良いのだろう。
「でも、充分よね。不老不死って、お金持ちが最後に欲しがるものじゃない? 可能性があるなら縋りたいのよ。凄いわ、本物が手に入れば」
首都に家一軒どころの話じゃない。
下手をすれば、国が動くような金が手に入る。
白く照らされる砂を睨むようにして、リーゼは「それは、ちょっと怖いですね」と呟いた。
「女王宮への立ち入りは、未だに死罪と定められていますよね? そもそも砂海北部はベテランでも命を落とす難所ですよ。女王宮まで辿り着くのだって、普通はきっと無理です」
「生きて帰って来た者は、いない。良識のある案内人なら、この手の噂に騙されて命を捨てるような真似はしないもの。ねえ、フィル」
呼びかけを無視して、フィルは淡々と歩を進める。
彼女は構わず、うっとりと息を吐いた。
「…だからこそ、夢見ちゃうんでしょうね。人間って」
海溝を越えた、砂海の果て。
謁見すら許されぬ、孤高の女王。
その身に、人智を超える何かがあると。
「だからね、リーゼちゃん。案内人なんて儲からない仕事は辞めちゃって、アタシと一獲千金、目指さない?」
「何が『だから』なのか、わかりませんけど。私、案内人になるのが夢でしたから」
リーゼは自分のイヤホンをそっと手で押さえて、微笑む。
ゲルドは「残念」と言いつつ、ぱんと手を合わせた。
「ね、フィルも一緒でもいいわよ? 二人がやってくれるなら、西ランス港にでも可愛い小さなお店構えても良いわね。リーゼちゃんはお店番。アタシとフィルで買い付け。洒落た雑貨から表には出せないブツまで。あらやだ。何か、流行りそうじゃない?」
「…ちらっと物騒な発言が混じったけど?」
ゲルドは冗談とも本気とも取れない口調で、「良いじゃない、良いじゃない」と繰り返した。
「カフェなんて併設したら、どうかしら?」
「そうですね。フィルさん、意外と料理上手ですし。今朝のベーコンは、ちょっと焦げちゃってましたけど」
「う、クレームが…」
ゲルドの妄想に乗っかったリーゼは、「冗談ですよ」と楽しそうに笑った。




