1、朝焼け前に
「で、どんな方なんですか?」
フィルはコーヒーを飲み込んで、思わず視線を逸らした。
月が変わり大会の名残も遠くなると、ガーデニアは一気に夏の様相だ。
晩冬の嵐が過ぎてからの束の間、穏やかな春はすでに跡形もない。
砂海に面したこの街で、最も長い季節の始まりである。
かの大会で久しぶりにやらかしたフィルも、幸先は良く仕事の依頼を受けている。
師匠の代から付き合いのある、常連だ。
「フィルさん?」
夏が来たとは言え、まだ時刻は午前三時前。
煌々と明るいのは室内のみで、窓の外は未だ青い闇に沈んでいる。
眠そうな顔の弟子は、少し焼き過ぎたベーコンの切り落としをゆっくり咀嚼しながら首を傾げた。
フィルは散々考えて、結局何度か口にした説明を繰り返す。
「…師匠の代からこの時期に予約入れて来る常連だよ。心配しなくても、ちゃんとリーゼのことは伝えてあるし」
「それは聞きました。そうじゃなくて、随分親しそうですし」
「親しい、というか、常連だし」
リーゼはまだぽやっとしている丸い瞳を、少し不機嫌そうに細めた。
「メールの文面。テンション高過ぎじゃないですか?」
「仰る通りです」
大変残念なことに、あの人はあれで通常運転。
語尾全てにハートが付いていようが、フィルは最早違和感を覚えないだろう。
リーゼも一度会えば理解してくれるとは思うのだが、言葉で説明するのは難しい。
「フィルさんの体調が戻るまで待っていて下さったんでしょう? 相当、入れ込まれてますね」
「入れ込まれてるってか、あの人、良く言えば昔ながらの商売してっから、他んとこに頼みづらいんだろ」
「ハルマーケット」なんて随分と洒落た名前を掲げたのは、あの人が祖父から仕事を受け継いだ後。
ただ、あの人の仕事は先代から変わらぬ「旅廻りの商人」だ。
地域を巡る時期は重要だろうと、案内業を一時休まざるを得なかったフィルがいくつか案内所を紹介した。
が、どうやらあの人の依頼は「怪しい」と判断されたようだ。
リンレットに通信の一つでも入れておけば良かったと反省したのは、少々立腹気味の常連からメールが送られて来てから。
まったく、大手って融通が効かなくってホント嫌。
いいわ、ちょっと予定は狂うけど、フィルが良くなったら案内してもらうから。
回復したら、即連絡ちょうだい!
例年通りの予約は有難いが、それであの人の商売に支障が出たら何を言われるか。
フィルは左手の微かな傷跡を見て、息を吐いた。
体調が戻って、本当に良かった。
「それで?」
「はい?」
「それで、どういう方なんですか?」
食い下がるな。
フィルは空になった皿をさっさと重ねて、立ち上がる。
まだ三時を回ったばかりだが、そろそろだろう。
ハルマーケットのゲルド。
付き合いは、フィルが師匠に拾われた頃から。
あの当時、すでに先代にくっ付いて旅廻りの商人をしていた。
どういう?
いや、今もわからないというのが本音だ。
「リーゼ、装備確認」
「え、あ、はい」
さっと指示を出すと、リーゼは反射的に立ち上がる。
丁寧に装備の確認を済ませた彼女は、納得のいかない表情でじぃっとフィルを見た。
フィルは笑いを引っ込めて、真面目な顔を作る。
「情報を得ることは大事だけど、自分の眼で確認すんのも必要だぞ。俺にとっては常連でも、リーゼにとってはご新規。今日はそういう訓練だと思えばいいだろ?」
「……で、本当はどういう事情なんですか?」
うーん、段々誤魔化されてくれなくなって来た。
講釈振れば丸め込めると思ったのだが。
フィルは諦めて、笑う。
「説明、しづらいんだよ、あの人。会えばわかるって」
「………」
砂海慣れはしているから命に関わる問題にはならない、はず。
慰めにもならないことを口にして、フィルはさっと視線を事務所の方へ向けた。
それをリーゼが不思議そうに眼で追いかける。
「来たかな」
「来たって…、門で待ち合わせですよね?」
「や、あの人の言う『いつものトコ』ってうちの案内所のことだから」
「え?」
妙にリズミカルなノックの音に、リーゼが直感なのか警戒モードで眉を寄せた。
ほら、来た。
フィルは深呼吸をして、リーゼをちらと振り返る。
「リーゼもやっといた方がいいぞー。あの人、刺激強いから」
心臓に悪いとも言う。
リーゼは素直に深呼吸をして、「うちって、もしかしなくても変なお客さんばっかりですか?」と今更なことを問う。
「自慢じゃないけど」
「あ、やっぱり良いです。改めて聞くと後悔しそうです」
「変な客ばっかだよ」
何で言っちゃうんですか、とリーゼはフィルの腕を軽く叩いた。




