9、迷子
「ふぅん。随分と綺麗な迷子だな」
叡力銃を構えたまま、のんびりと金色を眺めるフィルに対して、カディは舌打ちをした。
蛇行をしながら、砂の中を文字通り泳いでこちらに向かってくるのは、GDUがメールで通知していた迷子だろう。
冬の終わりの嵐の後に現れる未確認の砂獣。
それは生態が知られている砂獣と区別して、迷子と呼ばれる。
「子犬を四匹も守りながら戦える相手じゃない。貴方、本気出して下さいよ!」
「俺、砂海で手抜いたことないけどな」
砂から見える金の身体。
頭部は常に砂に潜っており、いまいち全体像が掴めない。
けれど近付いて来ると、それがかなりの大きさであることがわかった。
悲鳴をあげそうになった少女の口を、リーゼが押さえる。
そう、ここで悲鳴なんて上げたらそれこそ足元からぱくりといかれるだろう。
「丁重にお帰り頂くか」
フィルは叡力カートリッジを素早く取り替える。
それを見てカディが「誘導するんですね」と頷いた。
「敢えて言いますけど、貴方が誘導をしくじったら確実に全滅しますからね」
「敢えて言うけど、プレッシャーかけんのやめてくれません?」
叡力銃で誘導弾を撃つのは、実は結構難しい。
誘導音と微弱な空気振動を引き起こす叡力銃の誘導弾には、砂獣との間合いや風向き風速、撃つ角度まで影響する。
撃ち損じると、砂獣をおびき寄せる結果になりかねないのだ。
確実に全滅、と聞いて、リーゼの手を押し除け少女が掠れた声を振り絞った。
「いや! 何で3rdになんか頼むんですか! カディせんぱいがやって下さい。私、まだ死にたくない!」
「……だとさ。お前、やる?」
「冗談やめて下さい。無駄口叩いてないでいい加減、集中して下さいよ! 本当に、死にたいんですか?」
「集中してるって」
苛立ったようなカディの気配も、フィルがゆっくりと銃を空中に向けたことで霧散した。
カディと同様に、リーゼも気配を殺す。
それは初めて案内所に来た時に彼女がしてみせたような、やや拙いものではあったが、この状況で気配を消せるということは純粋に凄い。
砂の波間に、金色が踊る。
距離はフロートの一区間を既に越えたくらいだろうか。
滑らかな鱗に覆われた巨大な体は、未だ殆どが砂の中。
ガーデニアを走るトラムほどの大きさはあるだろう。
く、く、く、と笑い声を押し殺したような音が聞こえた。
鳴き声だ。
フィルは引き金を引いた。
発砲の衝撃は両腕で完全に殺す。
その動作がなければ、恐らく誰も叡力銃が使われたとは思わないだろう。
それほどの無音。
一拍、二拍。
きぃ――………ん
風に攫われそうなほどに微かな、耳鳴りのような誘導音。
それは寸分の狂いなく、迷子の頭上を少し過ぎた辺りで発音した。
反応は、一瞬だった。
迷子はまるで跳ねるように方向を変える。
砂が撒き上がり、金色の鱗に覆われていない白い腹がちらりと見えた。
頭や手足は確認できない。
弾道は迷子の頭上を通り、北北西方向。
迫って来た時と同じ速さで、美しい金色が砂の間に遠くなっていった。
震えていた少女の一人が、はあ、と息を吐き出す。
「まだ、気を抜かないで下さい」
低く、カディが戒める。
襲って来た一匹を追い払って安心したところを、別の砂獣に襲われるなんてことはざらにある。
フィルもほぼ反射的に、叡力カートリッジを換える。
赤い叡力が透明のカートリッジ内でゆらりと揺れた。
確証はないがもう一匹いそうだと思ったのに、気配はただ遠ざかる。
吸い込む空気は、乾いた砂の匂いだ。
砂獣の気配は、ない。
少し遅れてカディも緊張を僅かに緩めた。
それを待ってから、フィルは携帯通信端末を操作する。
「こちら1247。E03地点にて迷子と思われる砂獣と遭遇。E03地点より北北西へと誘導。繰り返す。E03地点より北北西へと砂獣を誘導」
案内人が砂海で入れるこの通信は、GDUの携帯通信端末を持った全ての人間が等しく受信する。
無論カディもリーゼたちも、その通信に耳を傾けた。
『こちら2551。E04地点にて北北西へ誘導される砂獣を確認。……流石、綺麗な誘導だったね』
『……――、3…21、R16地点をイグ方向へ移動。異常なし』
『1799。Y10地点。こっちも異常なし。1247、無事で何より』
『こちら1182。現在R04地点で待機。砂獣は今のところ確認していません。通信、感謝』
畳みかけるように、案内人たちから応答がある。
無駄なことには使わない通信だ。
だからこそ、一度通信が入ればそれは自分の命にも関わることだと案内人は皆心得ている。
特に砂獣の情報に関しては、反響が大きい。
『こちら1021。1247、無事で何よりだ。皆も、良い旅路を』
柔らかい男の声が入って、通信が収まる。
大事な通信だとわかっていても、時に火が着いたように関係のない言葉が入ることもあるが、大抵今のように古株が一声入れると静かになる。
別にふざけているわけではない。
大事な通信に便乗して声をかけ合うのも、案内人コミュニケーションの一つだ。
最後の方にちらほらと混じった『1247、今度飲もうな』とか『久しぶり!』とか個人的な通信に苦笑しつつ、フィルは叡力銃をホルダーに収めた。
「お疲れさまでした。誘導弾があれだけ見事に撃てれば、さぞ砂海も歩きやすいでしょうね。卑怯なほどの腕前で、助かりましたよ」
「卑怯!? まー、いいよ。卑怯上等。砂海じゃ生き残ったやつが一番偉いんだからな」
カディの暴言に眼を丸くしてから、フィルは不貞腐れる。
ゆっくりと立ち上がったタグなしたちは青白い顔で項垂れていた。
地面へと向けていた銃を丁寧にホルダーに戻したリーゼが、フィルとカディを見て深く頭を下げる。
「……カディさん、フィルさん。本当に、申し訳ありません」
微かに声を震わせて、彼女は謝罪する。
今度はカディが驚いたように眼を見開いた。
「何故貴女が謝るんですか? 寧ろデザートカンパニーが迷惑をかけたのに……」
「いいえ、私が」
言いかけたリーゼを、カディが手で止めた。
彼はそのまま左手でイヤホンを押さえる。
二人のタグなしも同じような反応をしたところから、デザートカンパニーの回線で何か連絡があったのだろう。
タグ付きたちが新人を連れて砂海見学に出たというから、恐らくは先程のことで予定を変えて早々に帰還しようという連絡かもしれない。
言いかけた言葉を呑み込んで、リーゼは唇を噛んだ。
その横顔は、黙り込んでいる同期たちより思い詰めている。
「思わぬ『休憩』になったけど、俺らも帰ろう。腹も減っただろ?」
気休めのつもりはないが労わるようにフィルが声をかけると、リーゼは覇気のない表情のまま頷いた。




