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転生トラックの猫

作者: 笹雪

ノラは、猫でした。

母も父も自由気ままに暮らす野良の猫でした。

その子供であるノラは生粋の野良猫です。

長いしっぽも野良にしては良いと褒められる毛並みも、ノラの自慢です。

白い毛は野良ですから、泥に汚れて煤けていますし、縄張り争いの喧嘩で右目には爪痕が残っていますが、あの人が「かっこいい」と褒めてくれた自分のこの容姿をノラは愛していました。


あの人は、ヒトでした。

ノラはヒトは恐ろしいものだ、と警戒して過ごしていました。彼らヒトはノラよりも断然力が強く、体も大きいのですから当たり前です。

初めてあの人が私の縄張りに来たとき、慌てて逃げたノラを見ていた瞳はキラキラと輝いていて。

その日から彼は毎日ご飯を持って来るようになりました。

恐る恐る傍に寄ってみればあの人は嬉しそうに笑うのです。

だからでしょうか?ヒトは怖いけれど、あの人は怖いと感じずにノラは懐いていました。


あの人は、いつもひとりぽっちで静かに本を読んでいる人でした。

ぽつりぽつりと傍にいるノラの身体を撫でながら話す、あの人の大切な家族の話に耳を傾けるのはノラの日課になっていました。

父が病にかかっていること、それで母が忙しいこと、兄達も忙しいこと。

迷惑をかけないようにと努力していることを教えてくれました。

ノラは、いつかその頑張りに気づいてあの人の家族が暖かい笑顔で、褒めて、甘やかしてくれたらいいのになと願いました。

もし努力しなくて良くなればあの人はここに来なくなるでしょう。

少しだけ、今のまま時が止まってしまえば幸せだと感じる日もありましたが

「ノラ」と呼ぶ声はとびきり優しくて、喉元を撫でる手は暖かい。

だからこそ、あの人の望みが叶えばいいと心の底から思っていたのです。

幸せを与え続けてくれるあの人に、さみしいと思わないほどの幸せが降り注げばいいと。


ところが、幸せな日々は唐突に終わってしまいました。

あの人が居なくなってしまったのです。


あの日、いつものようにあの人を待っていたノラは、此方に来ているあの人に走り寄ったのです。

たまには自ら飛びついて甘えてやろうと考えた結果でした。

勿論、ノラは頭の良い猫でしたので、ヒトが乗る奇妙な動く箱が此方に来ていないことをキチンと確認してから、土がない灰色の地面へトンッと飛び出しました。

予想通りに嬉しそうな顔をしたあの人の顔は次の瞬間に蒼白になりました。

いるはずのない大きな動く箱が、ノラに迫っていたからです。


甲高い耳障りな、キィキィという鳴き声を出した大きな箱は、ノラを轢き殺さずにあの人をはねとばしました。まるで木の葉のように軽く吹き飛んだあの人の体は、灰色の地面に叩きつけられてしまいました。

赤色が溢れ出し、あの人の命が消えていくのが分かったノラは必死で鳴き続けました。

その人は微かに目を開けて、赤く汚れた私に申し訳なさそうに謝ると、その優しい声で

「ノラが生きていて良かった」と言ってくれたのでした。

ノラはその言葉に、「私は貴方に生きていて欲しかった」と伝えましたが、あの人にはにゃあ、としか聞こえなかったことでしょう。


当時は悲しくて悲しくて、何も考えられなかった。

しかし後で考えてみると、あの事故にはおかしなことがたくさんありました。

あの大きな箱―――トラック、というらしいのですが―――それは、突如現れていました。

此方に何も来ていないことを確かめてからあの人に駆け寄ったノラの真横に、いきなりです。

他にも不思議はありました。

動かなくなったあの人の温かさが消えるまで傍に寄り添って座っていたノラの背から、あの人が突如消えました。

当時は子猫で、知識もそんなになかったのでそんなものなのかと不思議に思いませんでしたが

今ではちゃんとわかります。

ヒトというものは死んで、その体が消えることはないはずなのです。もちろん血も同じです。

そして何より、ヒトというものがトラックという箱に轢き殺されると、大騒ぎになるようでした。

赤く光るものを付けた、白黒で煩いトラックに似た箱がいっぱい来て、灰色の地面を明かりで照らしたりカシャカシャと妙な音を立てたりして騒ぐはずなのです。

ところがそんな事もなく、静かでした。

トラックも気が付いたら消えていたのです。


まるで、現実にはそんな事が起こっていなかったとでも言うように跡形もなく。

幸せの象徴であったあの人は、幻のように消えてしまったのでした。



あの人の事はもしかしたら、さみしがりやの子猫が想像した夢だったのかもしれません。


もし、夢でないのなら。

あの優しい思い出が本物であるとしたら。


「もう一度、あの人に会って話したい。そして友として助けになりたい」

そう、ノラは思うのです。

寂しそうに笑うあの人の涙を舐めとってあげることはできても、猫であるノラにはその手を握り締めて上げることはできませんでした。

嬉しそうに笑うあの人の傍に寄り添うことはできても、共に笑い合うことはできませんでした。

思えばいつも与えられてばかりだったような気がします。

ですから叶うならば―――あの人の傍にありたい。



あたたかな座布団の上に優雅に座る、真っ白い老猫は目の前に寝そべるまだ若い猫にそう言いました。


公園に居たあの少し薄汚れた子猫は、今は野良ではなく飼い猫として生きていました。

あの人のおかげで人懐っこい猫になっていたせいか、子供に拾われたのでした。

猫が好きな家族に迎えられた猫は幸せに暮らしていましたが、あの人と過ごした日々がどうしても忘れられなかったのでした。

できるならもう一度、あの時に戻りたいと思い続けてきたのです。

「とっても贅沢なことをいってるでしょう?」と苦笑する老猫にまだ若い猫は何も答えませんでした。

元野良猫である若い猫の方は、最近拾われたばかりでしたので、そのような幸せを体験したことがなかったからです。

それでも老猫の望みは悪いものでは無い気がして、否定はしませんでした。


それから暫くの間、嬉しそうに色々な事を若い猫に教えていた老猫は、欠伸をひとつすると丸まって眠りにつきました。

眠ってしまった老猫にそっと若い猫は擦り寄りました。

「どうか、望みが叶いますように」と、願いながら。


老猫はそれっきり目覚めることはありませんでした。


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