再考
「大人になるってどういう事なの?」
誰も居なくなった教室で、彼女が言った。窓の外では白い粉が暗闇を舞っていた。
「急にさ、どしたの?」
あくまで普通に、興味を持ったかのように聞いてみる。本当は早く家に帰りたいので、適当流すつもりだけど。
そんな僕の企みを知っているのか知らないか、彼女は白い息を吐くと、教卓に腰掛けた。
「私達も、もう卒業だね」
少し俯きながら、彼女が言った。
明日から冬休みだというのに、彼女は何やらセンチメンタルのようだ。普通は喜ぶところなんだと思う。卒業も、三月くらいだろうしまだまだ先の事だと、そう考えた方が楽だ。なんて、口には出せない事を、心の中で愚痴ってみる。
「卒業だね。でもその前に冬休みだよ」
最前列の席に座って、彼女を見上げてみた。彼女の神妙な顔つきが見えた。......見えた。
「そんなのあっという間だよ。私達このまま卒業して、大学行って、仕事して、大人になっちゃうんだよね。大人になりたくないなぁ、まだまだ学生でいたいよ」
学校が終わるのは確かに嫌かもしれない。それは、生活環境が変わるのが怖いだけ、ただそれだけではなく、自分が歳をとってしまうのを嫌でも思い知らされるからだ。
少しずつ、少しずつだけど、それはとても怖いことだと思う。
「じゃあ、子供のままでいればいいと思うよ」
なんて、出来もしない事を言ってみる。
「それじゃあ、私だけみんなに置いていかれちゃうよ」
教卓の上で体育座りをする彼女。
置いていかれるのは、怖い事なのか? 僕には全然わからない。今でさえ、小学生、中学生の時の友人達とは疎遠になってしまった。もし、置いていかれるっていうのが、そういう事を指すのなら僕にはなんともないことだ。もう、会わなくなるだけ、ただそれだけ。
「置いていかれるのが嫌なら、結局頑張って大人になるしかないね」
僕の言葉に彼女は小さく頷くと、教卓から降りた。そして、鞄からマフラーを取り出すと、首に巻き付ける。
「寒くなってきたね」
「そうだね」
本当はずっと前から寒かったけど、口には出さない。気温とは違う、何かが冷たくなってきたから。
「大人ってさ、何でもできるようで何も出来ないよね」
不意に出た言葉だった。呟きのつもりだった。その言葉に彼女は、悲しそうに目を瞑る。
「家と会社の往復、それが、何十年続くんだもんね。何のために生きてるかわからないよね」
両手をあげて、欠伸をしている彼女。社会人について回る責任。一人で生きていく責任。
「仕事しないと生きてけないからね」
そのために今勉強をしているのだと思うと寒気がした。仕事なんてしたくもない、そんなもののために勉強なんて尚更だった。でも、それが、いつか役に立つのだろうと思うと、しておかない訳にはいかない。具体的な将来像はなくても、しなければいけないことはたくさんある。
「趣味もさ、所詮暇潰しだよね。子供産んで、育てたらさもうやることなくなるよね。その頃には友達と遊ぶことさえ億劫になるだろうなぁ」
趣味は趣味、人それぞれだとか、綺麗事を言ってみた方がいいかもしれない。十二月だからとはいえ、そこまでネガティヴになるのはやめて欲しい。こっちまで暗くなる。
「暇潰しだとか言わずに、やりたいことをしたもの勝ちだよ。結局のところ、人生をどれだけ楽しめるかにかかっているよ、きっと」
携帯電話に目をやる。もう、七時じゃないか。寒いはずだ。
「じゃあさ、やりたいことがない人はどうすればいいかな?」
彼女は僕の隣の席に腰掛け、机の上に上半身を乗せた。長い髪の間から、眠そうな目でこちらを見てくる。その目に光はなかった。
「そんな人居ないよ。というよりもう帰ろうか」
これ以上は、付き合ってられなかった。何より、このままだと彼女が寝てしまうだろう。そうすると彼女は起きれなくなる。
「えー、教えてよー。このままだと私退屈に殺されちゃうよー」
殺されるなんて物騒な事を、子供みたいに駄々をこねながら言う。なんだかおかしかった。ていうか、彼女はまだまだこれからだろうと思うんだけどな。卒業の寂しいイメージと、社会人というやつが彼、女の中では同じものなのかもしれない。僕としては、成人しても、大人に成れてない人もいると思う。
それに、今は今の事を考えて、大人になった時のことは置いておこう。その時にしか見えないものがあるはずだ。
「そういうのは、大人になってから言ってみたら?」
僕の一言に彼女は、頬を膨らませた。