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POISON(ポイズン) Ⅲ

「ずいぶん、積もったなぁ」


 今は、朝の6時くらい。

 あたしは、まだ寝てる冴子を起こさないように窓際に行き、カーテンの陰からこっそり外を覗いた。

 今回の合宿は、受験対策のためのもの、だからスケジュールはかなり詰め込みだ。

 それなのに、優等生とはほど遠いあたしがズル休みするなんて『いい加減にしろ!』って感じだよね。

 でも、これからも“ゆらぎ”退治をしていく限り、普通の学生生活なんて無理。

 それに、今はエティエンヌのことが気にかかって、ほんのひと時もじっとしていられない気持ちなのだ。

 あれから、朧と別れて帰って来たあたしは、シャワーを浴びて、すぐ眠りについたんだけど、2時間もしないうちに目が覚めてしまった。

 それでも、もう一度寝ようと思ったんだけど、エティエンヌの顔がまぶたに浮かんできて眠れない。

 どこにいるんだろう? 

 辛い目にあってるんじゃないだろうか?

 ケガとかしてないだろうか?

 そう考えてるうちに、どんどん眠れなくなってきてしまった。

 仕方ない、もう起きるか。

 あたしは、部屋着の上にカーディガンを羽織ると、談話室に行くべく、勉強道具を手に持った。

 談話室の自販機でホットゆず茶を買うと、ちびちび飲みながら、英語の勉強を始めることにする。

 冴子にもらった駿台予備校の問題集を広げると、予想外にすらすら解けるようになってる。これもエティエンヌのおかげなのかな、と考え始めると、思考がまたエティエンヌに戻ってしまう。

 あたしは、活を入れるべく、両手でほっぺたを強く叩いた。


「悩んでもエティエンヌは、帰ってこないよ」


 そう自分に言い聞かせるように呟き、あたしは、外が明るくなってくる時間まで勉強に没頭した。

 そして、朝食準備のため、やって来たおばちゃんにパンをいくつか恵んでもらうと、自分の部屋に戻り、出かける支度をする。


「冴子、ごめんね」


 あたしは、親友の安らかな寝顔にそっと詫びると、置き手紙を置いて、温室に行くための裏口から部屋を出た。


「うっわぁ~~~!」


 外は、一面の銀世界。

 埼玉っ子のあたしには、雪はかなりめずらしいものだ。

 父さんは、『昔は、もっと雪が降ったから、雪だるまを何個も作ったんだぞ!』とか威張ってたけど、地球が温暖化して久しい今、一度も雪が降らない冬もあるくらいだ。

 テンションが上がったあたしは、新雪にどんどん足跡をつけていった。

 時たま、小さな動物の足跡が残っているのも何やら愛おしい。

 あたしは、国道・183号に出ると、北へ向かって歩き始めた。昨晩、携帯で幾つかの稲荷神社をピックアップしておいたのだ。

 関東なら古い家の一角によく小さな稲荷社が祀られてるんだけど、長野はどうかわからない。だから、ネット検索で引っ掛かった稲荷社へ行ってみることにした。

 合宿所の一番近くにあるのは、白狐稲荷神社。

 所要時間約15分と書いてあったけど、雪道のせいか、20分ほどかかって目的地に着いた。

 川に囲まれた島のような一角にある小さな稲荷社は、杉木立ちの中に鎮座していた。

 あ、そうそう。

 稲荷社に来たのはもちろん、狐父さんと連絡を取るためなの。

 だから、お稲荷さんの眷属があたしを追い返すなんてちいとも考えていなかった。

 いつものように作法に従って参拝すると、名前を名乗り、箭弓稲荷さんを呼びたいから境内をお借り出来ないかとお願いする。

 もう一度、一礼した後、ポケットからチビ狐を取り出そうとしたあたしは、目の前に現れたものに目を疑ってしまった。


(えっ、白い狐?)


 確かに、お稲荷さんのお使いは、白狐だ。

 狐父さんも使神である白狐の姿を借りて現れる。

 だが、それはもちろん本物の狐ではなく、稲荷社によく置かれている狛犬ならぬ狛狐の姿なのだ。

 だが、これは・・・・。

 あたしの前で歯をむき出しているのは、本物の狐だ。

 体長60センチ、尾の長さ50センチほどの白い狐は、身構えると、まるで犬のように唸り声をあげて威嚇した。

 思わず、何歩か後ずさる。


使神(みさきがみ)様、あたしは、怪しいものじゃありません。

 箭弓稲荷様と懇意にしていただいているものです」


 もう一度、そう挨拶しても、使神の威嚇は、おさまらなかった。おさまらなかったというより、ますますひどくなってしまった。

 どうしよう。他の稲荷神社に行ってもいいけど、今は、少しの時間も惜しい。


「お願いです。神社の一角をお貸しください」


 あたしは、深々と頭を下げてお願いした。

 けれど、すぐ神様にもわからずやがいることを身をもって知ることになる。

 威嚇しながら突進してきた狐は、あたしの左手を噛みちぎらんばかりに噛みついていった。


「きゃあああっ・・・・・・!」


 脳天を突き抜けるほどの激痛。

 もし、ランスロットからもらったチョーカーがなかったら、あたしの左手は食いちぎられていたろう。

 血が面白い様にだらだら流れていく。新雪に広がる鉄錆の匂いに酔いそうになるほどだ。

 白い狐は、ひときわ高く唸り声をあげると、身がまえながら、ようやく人の声で話しかけてきた。


「人の娘よ。 箭弓様が、少しばかり人に寛大だからといって思いあがるな。

 お前は、あの方をだまし、何をなそうとしているのか。

 だが、わたしは、箭弓様とは違う、人などにけして騙されはせぬ」


 使神は、比叡山の僧が経を()すような低い声で、あたしを咎める言葉を口にした。

 あたしは、「騙してなんていません」と、言いかけたけど、それを言うのはやめておいた。どんなに言葉を尽くしたところで、彼に聞く耳なんかないことに気付いたから。

 もう一度深々とお辞儀をして、境内から離れる。

 後ろからなおも聞こえる唸り声。

 あたしは、痛かった。左手がではなく、心が。


「あたしってやっぱバカだなぁ・・・・」


 確かに違う意味で、思いあがっていたかもしれない。狐父さんの眷属だから、悪意を向けてこないと思いこむなんて。

 人間は、近現代、ありとあらゆる自然を破壊し続けてきた。自然神の多い八百万の神が人間に好意を持てなくなっても当たり前っちゃ、当たり前だよね。

 ぶっちゃけ、高淤さんも伏見稲荷さんも非常時だから、あたしに力を貸してくれてるに過ぎない。

 伏見稲荷さんは、言っていたじゃないか、『わたしも貴船ほどではないが、人にあまり姿を見せたくないのでな』と。

 高淤さんも伏見稲荷さんも、本当は人などに関わりたくないのだ。

 でも、“ゆらぎ”に自分の国をいい様にされたくないから、あたしに力を貸してくれてるにすぎない。あたしは、それを忘れちゃいけなかったのだ。

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