恋道 Ⅲ
「さっぶい・・・・!」
只今の外気温は、マイナス五度くらい。マジしばれるわぁ~。
あたしは、夕食を終えた後、合宿所の裏手にある温室までやって来ていた。キーチェーンにしてるライトを持って。
「うわっ、生き返るぅ~」
温室は、合宿所ほどじゃないにしても結構暖かくて、あたしは、コートを脱いで手に持つと、温室の奥の方へと向かって行った。
この温室は、たぶんうちの学園の理事長の趣味なんだろう。派手好きな彼女と同じように派手派手な花ばっかりだもん。
例えば、ブーゲンビリアとかシンビディウムとか、胡蝶蘭とか。ぶっちゃけ蘭ばっかりだ。
あたしなら南国フルーツとかでいっぱいにするけどな。バナナとか、ドラゴンフルーツとか、マンゴーとかさ。そりゃ花は、きれいだけど、食べられないじゃん。
だから、あたしは、実のなる木の花が好き。梨花とか、杏花とか、桃花とか。どうせ育てるなら一挙両得を狙いたいじゃない。
うーん、だから理事長とは波長が合わないんだな。
あ、そうそう。
この温室にわざわざやって来たのは、食べられるもんを物色するためじゃなく、あたしの騎士を誰もいないとこで呼び出すためなの。
実は、冴子とあんな話をしたせいか、エティエンヌに会いたくて仕方なくなっちゃってさ。それに、エティエンヌからもマメに呼び出すように言われてたしね。
あたしは、ポケットから銀のトランプを取り出すと、一番上に置いてあるハートのJを抜き出し、それを空に高く掲げた。
「神の英雄、聖天使ガブリエルよ。
ここにハートのジャックの支配者を呼びたまえ。
我が守護騎士・La Hireよ その姿を現せ」
この誓言を唱えると、エティエンヌが現れるはず・・・・。
現れるはずだったんだけど、いつまで待ってもエティエンヌが出てこない。
「あれっ、どうしたんだろ?
エティエンヌさん、紫堂緋奈様がお呼びですよ~!」
あたしの声だけが温室の中に空しくこだまする。
仕方ないんで、もう一度誓言を唱えてみたんだけど、それでも現れない。
うーん、最後に喧嘩した時、セクハラ男と連呼したのを根に持ってるんかなぁ?
でも、エティエンヌって怒りっぽいけど、根に持つタイプではなかったはず。
おかしいなぁ。また明日、出直して来るか。
あたしは、コートを着込むと、すーはーと息を吸い込んだ。
だって、すっごく寒いとこに出ると、息苦しくなるじゃない?
そう意を決して出たあたしなんだけど、すぐに寒さと違う理由で凍りつくことになった。
なんと、温室を出たところの木の下に昼間見た少年が立っていたのだ。
(・・・・・・!)
あたしは、進むことも戻ることもできず、湖からの強風に吹かれながら立ち尽くした。
すると、あたしの存在に気付いた少年がくるりと振り返る。
聖樹と同い年くらいの少年は、長い髪を風になびかせながらあたしを見ていた。
(えっと、高淤さん?)
はは、まさかね。高淤さんこと、貴船の高淤加美神は、見た目26歳くらいだし、あたしを見たら絶対毒舌を吐いてくるもの。だから、彼は高淤さんではない。
でも、確か高淤さんには兄弟がたくさんいたはず。
少年の中に高淤さんを見ていたあたしは、彼がすぐ目の前まで歩いてきてるのに気付かなかった。
「君は、光っていてあったかいけど、僕の探してる人じゃないや」
彼は、そうがっかりしたように言うと、水干の袖を広げ、空を泳ぐようなしぐさをする。その度に彼の袖から雪のような光が舞い降りては落ちていく。
(きれい・・・・)
そして、しばらく袖を振り、まるで剣舞でも舞うように両の腕を動かしていた少年は、ひときわ強い風が長い髪を乱したと思ったとたん、ふいに消えてしまった。まるで、五節の舞姫が天に還るように。
「あまつかぜ 雲のかよひぢ 吹きとぢよ 乙女のすがた しばしとどめむ」
あたしは思わず、百人一首の、あまりにも有名な歌を口ずさんでいた。