恋道 Ⅱ
「紫堂さん、大丈夫ですか?」
榊原くんはそう言いながら、自販機で買ったばかりのホットレモンを渡してくれた。
教室であたしの隣の席に座っている榊原くんは、前回の女児行方不明事件の時も、同じグループで行動してくれたとっても頼りになる男子だ。
榊原くんは、背が高くてすらっとした秀才タイプって見た目なんだけど、どうも女の子が苦手らしくあたし以外の女子と話しているのをあまり見たことがない。
でも、こんなふうに細かい気遣いが出来る男性ってレアだし、じゃんじゃん女の子に話しかければいいのに。
「ありがとう。実は、叫びすぎて喉が痛くなってたんだ」
彼の気持ちがマジ嬉しかったあたしは、ホットレモンを両手で受け取ると、素直にお礼を言った。
「幽霊の類、苦手ですよね。学園祭の時も、立ったまま気絶してましたし。
そいえば、何故、そんなに幽霊が苦手になったんですか? 幽霊なんて普通にしてればあまり出会いませんよね?」
「うん、あんま出会わないよね、普通。
ってか、立ち話もなんだし、座らない?」
談話室の隅にあるベンチに彼を誘うと、ふたり並んで腰かけた。
夕方早く、合宿所に着いたあたしたち、聖藍学園の2-AHR一同は、夕食までの短い時間、荷物を解いたり、おしゃべりしたりして過ごしていた。
あたしはといえば、冴子委員長様の使いっぱしりの帰り。担任の鈴木さんのところにレジュメを届けて来たのだ。クラス委員長の親友もこれで何かと忙しいのだよ。
いただいたホットレモンをちびちび飲みながら、あたしは、3年前に起こった話を話し始めた。
「うんとね、実は、中学2年の時、見ちゃったんだ、幽霊。
あれは、父さんと母さんと聖樹と・・・・長野の・・・・」
そう家族の名を口にしたとたん、あまりの思い出の鮮明さに続きが話せなくなってしまった。何か重いものが喉に詰まったみたいに。
「紫堂さん、いいんですよ。僕はあなたを困らせたくて声をかけたのではありませんから」
そう言うと、榊原くんは、今時めずらしい銀ぶち眼鏡の縁を上げ、あたしを慰めるように頬を緩ませて笑った。
「ありがとう。
ってか、榊原くんも笑うんだね」
「当たり前じゃないですか! 人をなんだと思ってるんですか?」
「ははは、ごめん。
だって、榊原くんってあんまクラスの女子と話さないじゃん?」
「ああ、そうですね。僕は、オタクだから話しかけられるの嫌だろうと思って。
紫堂さんは、同じオタク仲間だからいいんですが・・・・」
確かに、あたしは、かなりの歴史オタクだ。
なるほど、榊原くんは、あたしがオタクだからあたしにだけ話しかけてくれたのか。はは、うれしいんだか、悲しいんだか・・・・。
「えっとさ、そんなことぜんぜんないよ!
榊原くんって結構、女子に人気あるんだよ。
『秋葉の執事カフェとかにいたら、めちゃ萌えるよね』とか言われてるし。
それに、オタクが嫌われるんじゃなくて、女子はさ、不潔にしてたり、服装に構わなかったりしてる男子が嫌なだけだよ。榊原くんは、その点、問題ないじゃん」
あたしが一般的な女子事情を噛んで含めるように言うと、榊原くんは、『えっ?』という口のままポカンと口を開けていた。
「それに、榊原くんに“影山”ってあだ名があるの知ってる?」
影山とはもちろん、あのベストセラー『謎解きはディナーのあとで』の執事・影山だ。
TVドラマでは、桜井翔さんが影山役だったのだが、榊原くんは、桜井翔というよりカバーイラストの方の影山に似ていると評判なのだ。
「そういえば、そんなことを友人に言われたことがあります」
「だからさ、クラスの女子と話してあげてよ。みんな、喜ぶと思うからさ」
あたしは、微妙な顔をしたままのクラスメートの肩をポンポンと叩いた。
でも、榊原くんは、もう一度銀ぶち眼鏡の縁を上げると、今まで見たことのないほどセクシーな顔で笑って言ったのだ。
「それでも、僕が紫堂さんを気にいっていることに変わりはありませんよ」
***
あれはもしかしたら、恋の告白だったのかしらん?
あたしは、合宿所の与えられた部屋に戻ると、机に座り、そのままポケっとしていた。
すると、遠慮なく背中をばしばし叩くヤツがいるから、誰かと思えば冴子で。
「なんだ、冴子か」
「なんだとはご挨拶ね。
あんたとあたしの部屋なんだから、あたしがいるのは当然でしょうが」
まぁ、そりゃそうだけどさ。
それより、最近、あたしの扱いがぞんざいな気がしませんか、冴子さん。
「まぁ・・・・。実はさっき、そこで榊原くんに会ってさ」
「ははーん、告白でもされた?」
「な、な、何でそれを・・・・?」
めちゃくちゃあわてて振り返ったあたしは、椅子ごと後ろにひっくり返ってしまった。
「いたひ・・・・」
『全く仕方ないわね』という顔で、手を貸してくれた冴子は、
「うちのクラスで気付かなかったの、あんたくらいよ。
まったく天然記念物というより世界遺産並みの鈍さね、あんたって」
と、つくづく呆れたといった調子で言って寄越したのだ。
「だって今までモテたことないしさ」
「それは違うわよ!
さんざんアプローチしてもぜんぜん気付かないから、みんな、諦めただけよ。
あんた、外国の血が入ってるせいか、まぁまぁ可愛いしね」
「へっ・・・・?」
そんなこと、ちっとも言われたことない。
あたしは、さっきの榊原くんと同じようにポカンとしていた。
「あんたさ、聖樹をどう思う? 将来性ばつぐんのイケメンだと思わない?」
「・・・・わが弟ながら、まぁまぁかと」
「そうでしょ?
その聖樹にそっくりなあんたがイケてないわけないじゃないの!」
まぁ、確かにあたしと聖樹は、よく似てると言われるけど、だからって自分も『まぁまぁかも』とかに思い至らなかったのだ。
「・・・・・・」
「そうね、榊原くんのことは、訊かなかった振りするしか仕方ないわね。
あんたと聖樹は、たぶん、恋の仕方も一緒だわ。たったひとりを決めてしまった以上、他の人を振り返ったりできないでしょ?」
えっ、あたしもそうだったの!?初めて知るこの事実。
ああ、でも、告白されてもほんの少しも揺るがないこの心は、たったひとりをエティエンヌに定めてしまったのかもしれない。冴子しか見ない聖樹と同じように。
「そうなのかな、やっぱり」
あたしは、吐き出すようにぽつりと言った。
エティエンヌと初めて逢った時、稲妻が落ちたように思えたのは、恋に落ちたからだったのだろうか?
「親友としては、榊原くんあたりと恋に落ちて欲しかったけどね。
でも、こればっかりは仕方ないわ。
恋は、われ知らず堕ちるものだから・・・・」
冴子は、めずらしくポエティなことを言うと、
「ほら、食事に行くわよ。
恋をするにしろ、何をするにしろ、エネルギーがたくさん必要なんだから」
と、ボケっとしたままのあたしの肩を押して、部屋から追い出してくれやがったのだった。