恋道 Ⅰ
「あんた、淋しいんでしょ?」
隣の席の冴子が、なんの前置きもなしに、それこそ唐突に訊いて来た。
バスの外は折からの強い風。昼近くなった頃からびゅうびゅうと吹き荒れている。
あたしの住む埼玉県は、群馬から吹き下ろしてくる風のせいで、冬の間中、冷たい風が吹きすさぶのだ。
師走の、狩り株だけ残った田んぼを空っ風が吹き抜けていく様は、冬枯れの木々とあいまってとっても淋しい。あたしは、すっかりセンチな気分になっていた。
「なんでそんなこと、わざわざ訊くかなぁ?
好きな相手がそばにいなけりゃ、淋しいのはみんな同じじゃないの!」
大体、あたしなんかより冴子の方がずっと淋しいだろう。聖樹は、ずっと行方不明
なんだもの。
「そりゃそうなんだけどね。
緋奈があんまり淋しそうだから、ついからかいたくなっちゃったのよ」
そう言うと、冴子は、少しだけ困ったような顔をした。
「そうだった? ここんとこ、学校以外ずっと一緒だったから、あの怒鳴り声が聞えないと、なんか物足りないんだよね」
今日、12月13日までの約10日間、あたしは、あのドSな騎士様にずっと絞られていた、主にフランス語を。
「ふふっ、恋する人の声なら、怒鳴り声も至上の音楽ってわけ?」
「そこまでドMじゃないよ!」
と、強めに言い返してみたものの、どんなに怒鳴られてもあのBluest blue in blueの瞳が見れないと淋しいと思ってしまう自分がいることは否めない。
ああ、早く諏訪の合宿所に着かないかな。
スケジュールがいっぱいならエティエンヌのことを思い出す暇、なくなるのに。
「それで、騎士様とはどこまでいったのよ?」
「近所の神社までだけど」
「あんた、そんなテンプレートな答えでごまかされるとでも思ってんの?
ねぇ、ちゅうくらいはしたわよね?」
冴子は、あたしの腕を引っ張って、興味深々と言った顔であたしの顔を覗き込んでくる。
ってか、あんたは、ワイドショー好きなオバサンかよ。
「ははは、ご想像におまかせします」
あたしは、真っ赤になった顔を見られないようにひたすら窓の外へ顔を向けた。
「ふふふっ、したんだ。
あんたの性格からして、してなきゃムキになって『そんなことしてない!』って言うもんね。
まぁ、あんな狭いアパートに四六時中ふたりっきりでいれば、何もないほうが却って不自然か・・・・」
「裁判長、それにつきましては黙秘権を行使致します!」
あたしは、被告よろしく手を挙げた。
けれど、冴子裁判長は、被告の権利をばっさり切り捨てやがったのだ。
「却下! まぁ、あの手の早そうな騎士様がちゅうくらいで我慢してるってのが不思議よねぇ~。
それにしても、あんた、よくあんなきれいな顔を直視出来るわね。
初めて会った時、あたし、神様か、天使かと思ったわ」
「そりゃ、あたしも最初は、太陽神・アポロンでも降臨したかと思ったけどさ。
すぐそんな気持ちは消えうせたわ。だって、エティエンヌって超性格悪いんだもん!」
「そうかしら? あたしにはとっても紳士だったけどな。
大体、幸せだと思わないの?
あんな目がつぶれるほどきれいな騎士様があんたなんかを命がけで守ってくれんのよ、女のロマンよ、ロマン」
冴子は、『なんか』に特に力を込めて言うと、「まるで、少女マンガみたいなシチュエーションよね」と、夢見る乙女のように目をハートにした。
へいへい、そうですか。
そりゃ傍目から見ればそうなのかも知れないけどさ。エティエンヌが守ってるのはあたしじゃなくてジャンヌだし、しかも“ゆらぎ”なんて化け物付き。ロマンなんかちいとも感じませんよ、あたしゃ。
冴子は、あたしが恨めしそうな目で見ているのに気付いたのか、こほんとわざとらしく咳をした。
「ほら、緋奈。諏訪湖に着いたみたいよ。
けっこう広い湖じゃないの」
諏訪湖は、厳冬のせいか、まだ12月だというのにすでに全面凍結中。白鳥のボートや遊覧船が湖畔に繋がれている。
「うん、やっぱ諏訪湖って言えば、御神渡りだよね。
御神渡りって、めちゃ寒くなると、轟音と共に氷が裂けて、その裂け目が山のように盛り上がる現象なんだけどさ。上社の男神が下社の女神の元へ通う恋の路とかって伝説があるんだ、そっちのほうがずっとロマンティックじゃない?」
あたしは、完全に話題を変えるため、観光ガイドよろしく話を始めた。
「へぇ、詳しいじゃないの。
ってか、あんたってそういう日本的なことだけはめちゃくちゃ詳しいのよね。英語とかフランス語は、いつも赤点スレスレなくせに」
『だけ』にまたまた力を込めやがった冴子に、にやりと笑ってから、あたしは、ちっちっと指を振った。
「ふふ、冴子くん。あたしをいつものあたしと思っては困るね。
もはや語学は、あたしの敵ではないのだよ」
「バーカ。どうせ騎士様に教えてもらったんでしょうが。
彼ってば、あんたにはめちゃくちゃ甘いんだから」
「はい? そんなことあるわけないじゃん!
あたしがエティエンヌのドSにどんなに悩まされてると思ってんの!?
昨日までものすっごくスパルタ教師だったんだからね、エティエンヌのヤツ」
あたしは、昨日までのエティエンヌを思い出しながら、つくづくと言った調子で声を大きくした。
「ああ、もう、あんたってマジ鈍いわね。
騎士様は、エティエンヌって名前で呼ばれるの嫌いなのよね?
でも、あんたにだけはそう呼ぶことを許してる。それだけでもどんなに甘やかされてるかわかるってもんよ」
うーん、そうなのかなぁ?
エティエンヌは、いつも怒ってばっかりだから正直よくわからない。
それに、その優しさは、あたしの中のジャンヌに向けたもの、だから浮き上がった気持ちは簡単に萎えてしまう。
あたしは、捉えどころのない気持ちを持て余して、何艘もの船が並ぶ窓の景色に目をやった。
(あれっ、あの子って?)
信号待ちのバスの中からふと見えた15歳くらいの少年。まるで、平安時代みたいな白い水干を着ている。
「ねっ、冴子。あの男の子、変わった格好してない?」
「えっ、どこよ?」
「あのタバコ屋さんの前だってば!」
あたしは、きょとんした顔でこっちを見てる少年を指差した。
「そんな男の子、どこにいんのよ。
あんた、頭だけじゃなく目も悪くなったの?
マサイ族みたいに目がいいのだけが取り柄だったのに」
えっ? あたしは、冴子にさんざんっぱらひどいことを言われてるのも気づかず、茫然と窓の外を見続けた。
でも、男の子は、確かにいて、相変わらず不思議そうにあたしを見ている。
も、もしかして幽霊・・・・?
我に返ったあたしは、冴子にしがみつき、バス中に響き渡る声で悲鳴をあげたのだった。