TABOO(タブー) Ⅱ
「もう呼ぶしかないやろ?」
「やっぱ、そうかな?」
『いいかげん諦めろ』と言いたそうな狐父さんに、仕方なく同意したあたしは、昨日の吹雪が嘘のように晴れ上がった空を見つめた。
狐父さんが呼ぶしかないと言った相手は、貴船の高淤加美神。
高淤加美神こと高淤さんは、京都の貴船神社の祭神で、5指に入るほど高い神格を持つ。
高淤さんとは、前回の竜神様の事件の時、お知り合いになったんだけど、かなりの女嫌いの毒舌家で、あたしを見ると、あれこれ悪態ばっかり吐く扱いにくい神だ。
そんな高淤さんをなんで呼ぶことにしたかと言うと、道返しの岩の神・道返大神が高淤さんの弟だから。
ぶっちゃけ、高淤さんに道返大神を説得してもらおうってわけ。道返しの岩をどけて欲しいってね。
でも、白銀の龍の姿になった高淤さんは、人型の時と同じくらいきれいで、目の保養なんだけど、なにしろ京都から来るため、めっちゃ時間がかかる。前回は、二時間ほど待たされ、お腹が鳴って鳴って仕方がなかった。
「竜神招来。来たれ、貴船の高淤加美神よ!」
と、大げさに神呼びをしたものの、あたしのお腹は、さっきからきゅうきゅうと悲しい音を立てている。
考えてみたら、朝は小さなパン2個だった。しかも、13時をとっくに回っている。
どうせ、待たされるんだからと、狐父さんに結界を解いてもらったあたしは、近所に買い物に出ることにした。実は、お供え物の五目稲荷がめっちゃおいしそうだったんだよね。
あたしは、和菓子屋さんとコンビニで、稲荷寿司とあれこれを買うと、2神の待つ稲荷神社に戻り、少し遅い昼食を取った。
狐父さんの高速食べを使神さんと生温かい目で見ながら、昼食を終えると、遥か遠くに光る点を見つけた。実は、マサイ族?と言われるくらい目がいいんだよね。
「父さん、使神様、高淤さんが来たみたいだよ!」
あたしは、みるみる近寄ってくる白銀の龍に向かって、ぶんぶんと手を振った。
高淤さんは、巨大な龍から人型になると、あたしたちの前にすとんと優雅に舞い降りた。
氷襲(表は白瑩、裏は白無紋)の直衣を身に着けている高淤さんは、相変わらずムダなほどきれいで、中身がアレだとわかっているのについつい見とれてしまう。
「あんたってば、相変わらず見事なペチャパイね」
あたしをちらりと見た高淤さんは、開口一番、そうのたまってくれた。
ああ、やっぱり高淤さんは、高淤さんだわ。ツンデレのエティエンヌが少しばかり可愛く思えちゃうほ どだ。
あたしは、ふうと威嚇してから、
「コートを着てるのに、胸の大きさがわかるわけないでしょがっ!」
と、残しておいたイチゴ大福を高淤さんの顔めがけて投げつけてやった。
それをなんなく受けとってぱくつき始める高淤さん。その余裕がめちゃくちゃ腹立たしい。
でも、今回は、あたし達だけじゃなく、使神さんもいる。いつものような喧嘩になだれ込めない。
「高淤さん、こちらは、蔦稲荷の使神様だよ。
使神様、この偉そうなのは、貴船の高淤加美神。よろしくね」
あたしは、2神を紹介した。
使神さんは、驚きのあまり声が出なかったみたいだけど、高淤さんは、あたし以外には礼儀正しいのか、使神さんにぺこりと頭を下げた。
「このバカ女が世話になるわね」
むかっ。なんで高淤さんはいつもこうなんだろう。こっちが大人の対応をしてるってのにさ。
めっちゃ腹が立ったあたしは、「オカマよりましよ!」と言い返そうとして、でも、すぐにたんまり頼みがあったことを思い出した。
ああ、立場が弱いってつらい・・・・。
「貴船のん、あんさんはちいとも進歩がありまへんな」
狐父さんは、あたしへの暴言の数々に腹を立てたのか、あたしと高淤さんの間に割り込むように飛んできた。
「箭弓も相変わらず丸いわね」
げっ、そんなKYな発言をかましちゃって・・・・。
そりゃ、ここの使神さんと比べりゃ狐父さんは、大きくて丸いけど、それは神格が上がったからで、太ったわけではない、と本人(?)も言っていた。
でも、狐父さんにとってそのセリフは大型地雷だったらしい。
「貴船のん、さっきからわしに喧嘩、売っとるんか?
ほならいくらでも買わせてもらうで!」
で、でた。狐父さんの啖呵。
これは、かなりキてるな。
んでも、稲荷神と龍神が喧嘩したらどっちが勝つんだろう、わくわく。
じゃなくて、このふたりが喧嘩したら、たぶん、諏訪が吹き飛んじゃう。
だから・・・・狐父さんにだけにわかるよう小さくウインクを送った。
「高淤さん、はい、これ。
甘いものを食べるとストレス(・・・・)が解消されるよ!」
もうひとつイチゴ大福を渡すと、あたしは、生温かい同情の目を高淤さんに向けた。
「あんた、あたしが欲求不満だとでも言いたいわけ?」
「えっ、違うの? 長いこと、一人身でいるといろいろ大変よね」
「アダルティな雑誌でも送ったげようか」と、なおも言い添えてやる。
「あんた・・・・あたしをなんだと・・・・」
そう言って、怒りのあまり黙ってしまった高淤さんを目配せしあいながら楽しそうに見つめるあたしと狐父さん。
「貴船のん。このままじゃ日が暮れてまうで。
いい加減、本題に入ろうやないか」
「うん、父さん。光陰矢のごとしっていうもんね」
あたしたちは、頷き合って、にたこら笑ってやった。
ふふふっ、仕返し完了。
だいたい、何にイライラしてるか知らないけど、着いてそうそうあたしたちに喧嘩を売るからいけないのよ。
「この似たもの親子がっ・・・・!
と言っても今日は、あたしが悪いわよね。
実はさ、あの守ヶ淵のがイライラさせるのよ、まったく!」
高淤さんは、何度も舌打ちしながら、全ストレスをぶつけるようにイチゴ大福をかぶりついた。
なるほど、最初から喧嘩腰なのは、竜神様が高淤さんに何かしたからなんだ。高淤さんってば、もともと気の長い方じゃないしね。
あたしは、狐父さんを膝に乗せ、使神さんに肩に乗ってもらうと、木のベンチに座り、高淤さんに「座ったらどう?」と、声をかけた。
「それでどうしたのよ」
と、あたしが訊くと、ちょっと嫌そうな顔で、それでもあたしたちに八つ当たりしたのを後悔したのか、大人しくベンチに座った高淤さんは、髪をがりがりとかきむしった。
「それがね・・・・めちゃくちゃウザいのよ~~~~!」
高淤さんは、よほど溜まっていたのか、結界が張ってなければ、ご近所中に響き渡ってしまうような大声で怒鳴り散らした。
「そりゃあたしだって彼が後悔してるのはわかるわよ。
“ゆらぎ”に乗っ取られて守るべき人間たちに迷惑をかけたんだもん、凹むのは当たり前だわ。
でもね、彼の場合は反省しすぎなのよ。
『わたしに力がなかったせいで』って言うばっかりでさ。
あたしがどんなに『あれは仕方なかったんじゃないの』と宥めても『貴船様のようなお力の強い方は、わたしのような間違いを犯しませんから』とか言っちゃって。
あれから半月も経つし、いい加減、次のステップに行って欲しいのよね。あのままじゃ、汚れが取れたってなんの役にも立ちゃしない!」
と、なおも髪をかきむしりながら高淤さんは言い、
「まったくこの人手不足な時に腹が立つわ!」と、あたしが残しておいた五目稲荷を次々と口に放り込んだ。
ああ、あたしの稲荷寿司が・・・・。
んにゃ、そういうことじゃなくて。
「高淤さん、あたし、思うんだけどさ。
竜神様が反省しなくちゃいけないのは、力がなかった事でも、“ゆらぎ”に乗っ取られたことでもないよね。間違ったことをした村の人たちを叱らなかったことだよね?
『日照りが起きたからって、生贄なんて安直に考えるな。
みんなで生き残る方法をもっと考えろ!」って言ってさ。
だって、人間はバカだから間違えるんだよ。
だから人間の親みたいな神様が怒らなきゃ、人間は間違ったことに気づかない。
それに、キサナは今の竜神様を見て喜ぶかな?
彼女は、村を救うために死んだんじゃないよね?
自分が死んだら雨が降るかもしれない。雨が降ったら竜神様はこれ以上、悲しまないで済む、そう思ったから大人しく死を受け入れたんだよね?
キサナが最後まで望んだのは、竜神様の幸せだけ。
あんな小さな女の子のたったひとつの望みも叶えられないなら、神様なんてやめてしまえばいい!」
あたしは、肩ではぁはぁと息をすると、興奮してしまったことが急に恥ずかしくなり、ブラジルまで穴を掘りたくなってしまった。
「そうね、緋奈。あんたの言う通りだわ。
あんたもたまにはいいことを言うじゃない」
そう感心したように言った高淤さんは、満面の笑顔になり、あたしの肩をばしばしと叩いた。こりゃ、よっぽどうざかったのね、竜神様。
「そやな。わしたちは、陰で文句言うばっかりじゃのうて、人間を叱らなきゃあかんかったんやな」
狐父さんもしみじみって感じで同意してくれたんだけど。あたしは、高淤さんが自分からあたしに触ってくれたことにびっくりしていた。
応援してあげると言ってもらってはいたものの、あんまり好かれていないんじゃないかってずっと思ってたから。
でも、ちっちゃいことだけどこうして相談してくれた。
それに、この裏のない笑顔。もしかしたらちょっとは好かれてるんかもと、がぜんテンションがあがったんだけど・・・・。
「あんたが言ったこと、守ヶ淵のに伝えるわ。
それでダメなら、あんたが『神様なんてやめろ!』って言ってたって言うわぁ~」
すぐこれだもんね。
しかも、丸投げ?
あたしは、人(?)の悪い高淤さんをじろりと横目で見てから、狐父さんのもふもふした毛並みを撫でくり回し、少し気持ちを落ち着かせると思い切って口を開いた。
「それは構わないけど、そろそろ本題に入っていいかなぁ?
ちょっとばかり焦ってるんだよね」
いつもなら神様の話題をぶち切ることはしない。
でも、今日のあたしは、マジ焦っている。申し訳ないけど、強引に話題を変えさせてもらうことにする。
「そう言えば、ひとりメンツが足りないわね。
うちの父様そっくりなあんたの騎士はどうしたのよ?」
刹那、高淤さんの言葉にぴきーんとその場が凍りつく。
高淤さんの父とは、もちろんイザナギ神だ。
あたしたち3人は、石化の魔法にかかったように動けなくなっていた。
けれど、高淤さんは、そんなあたしたちに気付かず、ひとりでとうとうと話し続ける。
「緋奈にもったいない位、律儀な人よね。
あれは、50年くらい前だったかしら?
『しばらくこちら(日本)で御厄介になります』って主だった神のとこに挨拶に来てくれてさ。
でも、その顔があんまりにも父様そっくりで、ひとしきりヤバいんじゃないかって話になったのよ」
ハイ、ヤバイコトニナリマシタ。
あたしは、石化したまま、グギギギと音を立てて高淤さんの方へ顔を向けた。
でも、すぐには声が出せない。
「そのヤバいことになったんや」
さすがに神様、一足早く石化から回復した狐父さんがぶわっと毛並みを膨らませ、低い声で呻いた。
「ま、まさか攫われたのぉおおおっ・・・・!?」
高淤さんが頭のてっぺんから出したんじゃないかって思われる声で喚いた。
あたし達は、揃ってうんうん頷く。
「たぶん、スサノオ神にな」
狐父さんがそう答えると、高淤さんは、がっくりと肩を落とした。
そりゃイザナミ神は高淤さんの母親で、スサノオ神は弟だもんね。少しだけ高淤さんが不憫になる。
「まったくやっかいな身うちばっかりなんだから・・・・。
でも、いくらあたしでもあんたの騎士を黄泉から連れて帰ったりは出来ないわよ」
「うん、さすがにそこまで頼もうとは思ってないよ。
実は、高淤さんの弟の道返大神を紹介して欲しいんだ」
「まさか、人間のくせに黄泉に行こうっていうの!?」
高淤さんは、そう声を荒げると、目の前にゴジラでも現れたように目を丸くした。
「うん、エティエンヌを取り戻せるならどこにだって行くよ。
だって、エティエンヌがいないと世界が滅びちゃうから・・・・」
本当は、あたしが必要なのだ、エティエンヌを。
例えば、世界と彼とを天秤にかけろと言われたら、躊躇いなくエティエンヌを取るほどに・・・・。
あたしは、高淤さんの薄茶の虹彩をまっすぐ見つめ返した。
すると、高淤さんは、ふうと大きなため息をつく。
「わかったわ。あんたはもう決めたのね。
それなら仕方ないわ。あたし達は、全力であんたをサポートしてあげる。
もちろん、道返に紹介するくらいお安いご用よ」
「高淤さん・・・・」
ごめん・・・・。あたしは、心の中で謝っていた。
でも、エウリュディケを冥府に迎えに行ったオルフェウスのように、あたしも自分の男を迎えに行かなきゃ女がすたる。
だから、行くわ、黄泉に、エティエンヌを迎えに。
「いちいち呼び出されちゃたまんないから、ほら、これ」
高淤さんは、袖から出したものをあたしの手の中にぽいっと放って寄こした。
「鏡・・・・?」
高淤さんがくれたのは、直径8センチ位の黒地に桜模様の柄の付いたまん丸の鏡だった。
「この鏡があれば、どこでも連絡が取れるわ。
もちろん、黄泉の国だってOKよ! なんてたってこのあたしの自信作なんだから」
そう自慢たらたら言った高淤さんの手を嫌がられると知ってもあたしは、ぎゅうと握りしめていた。
「高淤さん、ありがとう」
「はいはい。道返には頼んでおくから、黄泉に出向く時は連絡をちょうだい」
何回か軽く叩いてあたしの手を外した高淤さんは、よいしょとばかりベンチから腰を浮かした。
「もうひとつだけ聞きたいことがあるの」
あたしは、そそくさと帰ろうとしてる高淤さんを引きとめるため、彼の左袖をぐいぐい引っ張った。
「何・・・・?」
「実は、この諏訪に高淤さんにそっくりな少年の神様がいるんだけど、どうも記憶を失ってるみたいなの。心当たりはないかな?」
すると、高淤さんは、考え込むでもなく、めちゃくちゃあっさりと言った。
「あのさ、あたしの兄弟姉妹、親類その他もろもろがどのくらいいると思ってんの? 軽く4桁は下らないわよ。
んーでも諏訪かぁ~。建御名方は、あたしと同じ竜神だけど、あたしに似てるって話は聞いたことがないなぁ。
それに、少年の姿ってことは、自然神って可能性が高いから、あたしに似てるってのは他人の空似だと思うわ」
そうきっぱり言って高淤さんは、再び空の住人になった。狐父さんや使神さんに何の挨拶もなく。
「相変わらずだね、高淤さん」
「ああ、ほんまやな。
嵐みたいなヤツやったな」
「うん、竜神だもんね」
あたしと狐父さんは、高淤さんが点になっていくのを見送ったんだけど、その後、一気に疲れが出てきてしまった。
あたし達と使神さんは、なんの会話も出来ず、イチゴ大福を分け合い、そのまま数十分、ぽけっとし続けていた。




