TABOO(タブー) Ⅰ
あたしは、近くの公園の水道で簡単に血を流すと、おそるおそる傷口を見た。
ランスロットは、チョーカーの効果を『物理攻撃のダメージ半減』と言ったけど、半減以上の効果があるみたい。白狐に噛まれた時は、そのダメージから食いちぎられた?と思ったけど、手の甲に幾つかの穴があいてるだけだ。
もう一度傷口をよく洗って、血を止めるためハンカチをきつく巻きつけておく。
後は、ドラックストアかコンビニに寄って、消毒薬と包帯でも買えばいい。
あたしは、もう一度国道に出ると、近くのホテルに止まっていたタクシーに乗り込んだ。
「すいません。上諏訪駅近くの蔦稲荷神社をお願いできますか?」
スパイクタイヤをはいたタクシーは、除雪車が入った国道20号を北へ走り始める。
途中、コンビニがあったので寄ってもらい、念入りに左手の治療をしておく。
「お世話になりました」
あたしは、千円ちょっとを払うとタクシーから降りた。
次に向かうのは、蔦稲荷神社。
この神社は、伏見稲荷のお末社なので、さっきのようなことはないだろう。伏見の稲荷大神直属の使神様がいらっしゃるはずだから。
蔦稲荷神社は、住宅街の一角にある小さな神社、そのため手水屋は置かれていない。
作法に従ってお参りし、
「紫堂緋奈と申します。箭弓稲荷様に連絡を取りたいので、境内をお借り出来ませんか?」
と、お願いすると、手のひらサイズの白い狐がすぐに現れた。
「ああ、そなたのことは稲荷大神から伺っている。
箭弓様の招神、許そう」
えっ、こんな簡単でいいの?と言うくらい簡単に許されて、あたしは、ポケットからチビ狐を取りだした。
「父さん、緋奈です。
ちょびっとばかり急用です!」
あたしの乱暴な招神の仕方にびっくりしたのか、使神さんが跳ねるように飛んできてあたしの肩の上に乗った。
「そなたは面白いな」
そう言って細い目をますます細めた狐は、小さいだけにめっちゃ可愛くてぎゅっと抱きしめてしまいたくなる。ああ、手がぱきぱきするわぁ~。
「伏見稲荷さんは、お元気ですか?」
「ああ、お元気だ。
お前は、稲荷大神にお会いしたことがあるのか?」
使神さんは、不思議そうにあたしの顔を覗き込んでいる。
「はい、先月、京都に行った時に。
伏見稲荷さん、甘いものがお好きなんですよね?」
あたしは、目が腺になるほどびっくりしてる使神さんに京都に行った時の話をした。
ワイロにと持っていった満月堂の阿闍梨餅を伏見稲荷さんがすっごく美味しそうに食べていたこととかをだ。
「使神様も召し上がりませんか? ロールケーキです」
コンビニで買ったロールケーキを渡すと、使神さんは直接、お供え物を渡されるのは初めてなのか、ちょこんと首をかしげた。
おお、萌えるぅ~。こんなに可愛いなんて反則だよ~!
「ああ、すまぬ」
使神さんは、器用にラッピングを破き、ロールケーキをパクリと一口食べた。
「・・・・これは・・・・うまいではないか」
そう言うと、瞬く間に全部食べてしまった。
ふふ、最近、コンビニスイーツも馬鹿に出来ないからね。特にセブンの極上ロールは、あたしのお気に入りなのだ。
「気にいっていただけたようでよかったです。また持ってきますね」
満足そうに毛づくろいしてる使神さんを見るといい賄賂になったみたい。ここへはもう一度お邪魔しそうなので、なるべく仲良くしておきたいもんね。
「ああ、馳走になった」
義理がたい方なのか、あたしなんかにもぺこりと頭を下げてくれた。
あたしが、「いいえ、そんな・・・・」と返そうとした時、お社の扉が突然、光で溢れた。すぐにそこから狐父さんが飛び出してくる。
神様だってのに、毛並みをあちこちぴんぴん跳ねさせた狐父さんは、ものすっごく慌てた様子であたしの顔にぺったりと張りついた。
「父さん、重いってば!」
あたしは、顔からべりっとはがした狐父さんの跳ねている毛並みを梳いてやると、彼は、ものすっごく怖い顔をしていた。
「それどこやないやろ! 緋奈、その傷はどないしたんや?」
「ああ、これ? 慣れない雪道だったから転んじゃってさ」
心配性の狐父さんにこれ以上心配を掛けたくなかったあたしは、そういうことにしておいた。それに・・・・言いつけるみたいなこと、したくないしね。
「このどアホがっ!
わしは、神やで。その傷が転んだもんかどうかわからんとでも思うとるんか?」
「箭弓様、その娘から白狐の匂いが致します」
使神さんがそう言い添えた。
ああ、もうバレちゃったじゃん。
どうやら狐の恩返しはないらしい。楽しみにしてたロールケーキをあげたのにさ。
「父さん、大丈夫だよ。これ、あるから大した傷になってないよ」
あたしは、首元から引っ張りだしたチョーカーを見せながら、左手をぶんぶんと振った。少し、んにゃ、かなりいたひ・・・・。
「そういうことやないんや。
ええか、緋奈。人の世界に法があるように、神の世界にも法があるんやで。
稲荷大神が緋奈の味方をする、ゆうたからには、稲荷が緋奈を傷つけることは絶対に許されないんや」
「でも、父さん。心は誰にも縛れないよ!」
「そうかもしれん。だが、上のもんの言うことは絶対や。
上のもんだってな、間違ったことばっかりしよったら、神格が下がり、今の地位から転がり落ちよる。厳しいのんは人の世界ばかりやないんやで」
だから、白狐稲荷は、許されないことをしたんだと言いたいんだろう。
まぁ、人間の世界でも人を傷つけたら傷害罪だけどね。
でも、これ以上は、人間のあたしが踏み込むべきではない、神の領域だ。
「父さん、わかったよ」
「わかればいいんや。
それでわしを呼んだ用はなんや?」
狐父さんは、いつもの優しげな顔に戻ると、そう訊ねてきた。
「うん、頼みはふたつあるんだ。
まず簡単な方から言うね。高淤さんに似た男の子が記憶を失ってるんだ。高淤さんに心当たりを訊いてもらえないかな?」
「緋奈、何言うとるんや。
あんさん、貴船のんを呼びだすのを許されとるやろが」
「そうなんだけど、わざわざ龍になってきてもらうのは仰々しいっていうかさ」
しかも、かなり時間がかかるのだ。
たぶん、狐父さんもそれを思い出したんだろう、困ったようにほっぺたの辺りをかりかりと掻いた。
「それもそうやな。末社で呼ぶゆう方法もあるんやが、貴船神社は稲荷と違ってどこにもあるゆうもんやないからな。
わかった、3日後までに訊いといてやるさかい、安心せい」
そう言って耳をぴんと立てた狐父さんは、あたしが続きを言うのをおとなしく待っている。
「父さん、エティエンヌが・・・・」
あたしの強がりもそこまでだった。
目の前で浮かんでる狐父さんの体にがばっと抱きつくと、わあわあと泣きだした。
「まったく緋奈は、強情やからな。エチはんとそっくりや。
それで、エチはんは、どうしたんや?
あんさんが怪我をして、そのままちゅうとこから尋常やないで」
そう言いながら、あたしの頭をよしよしと撫でてくれる狐父さん。
「うん、それがね・・・・・・」
あたしは、エティエンヌがここ3日ばかり、呼んでも出てこないことや、ランスロットから訊いた、エティエンヌが10日以上トランプから離れていると消えてしまうといった話をした。
狐父さんは、あたしの話をうんうんと訊いていたんだけど、
「それでね、そのランスロットっていうのが、エティエンヌを攫えるほどの力を持ったヤツなんてそうそういないから、そいつを探せばいいって言ったの」
と、あたしが言ったとたん、狐父さんは、さっと顔色を変えた。
そして、しばらく使神と目を合わせ、うーんと考え込んでいたと思ったら、ガラスが割れるような音を立てて、すばやく結界を張った。
うーん、これは、よほど誰にも訊かせられない話が始まるってこと?
「実は・・・・エチはんの顔を一目見たときから、ずっと言おうかどうか迷っていたことがあるんや。
あのな、驚かんといてや。
エチはんは、そっくりなんや。伊邪那岐命にな」
「・・・・・・!?」
あたしは、口をポカンと開け、今にも落ちそうに目ん玉を見開いた。
だって、イザナギ神は、天照大神の父神。ぶっちゃけて言えば、われわれ大和民族の父のようなお方。驚くなってほうがムリだわ。
「いやだなぁ、父さんってば。
エティエンヌは、フランス人だよ。
うちの国の神様に似てるってあり得なくない?」
それに・・・・エティエンヌが、世界に2人といるイケメンだなんて絶対、考えたくもない。好きなのは顔じゃないけど、あの絶世の美貌がふたつあるかと思うと、何気にイヤなんだよね。
「日本人でもいるやろが、彫の深い顔のヤツが。
イザナギ神は、まさにそれなんや」
耳をぺったり寝かせた狐父さんは、ぷかぷか浮いたまま、2本足で立ち、右前足を顎の下に置いた、考える人みたいに。
「うん、いるけど・・・・」
例えば、平井堅さんとか、阿部寛さんとかだよね。
そいえば、担任の鈴木さんから訊いたことがある。同じモンゴロイドでもお隣の中国人や韓国人と日本人は、民族的にあんまり近くないんだとか。日本は、島国だから混血が進まなかったんだろね。
「それでな・・・・これから言うことは、誰であっても口にしてはいかんで」
狐父さんは、そう前置きをしてからようやく話し始めた。
「緋奈は、イザナギ神が黄泉に出向かれた話は知っとるな。
古事記では、2神が黄泉比良坂で夫婦別れしたことになっちょるが、事実はちいとばかり違うんや。
違うというより、イザナミ神は、衝撃のあまり忘れてしまったんや。自分が夫に裏切られたことをころっとな。
昼に夜に夫を恋しがる母を見ていられなかったスサノオ神は、仕方なくイザナギ神に似た男を黄泉に連れて来るようになったんやけど、人には定命があるさかい、すぐにのうなってまう。
いったい、何人の男が黄泉に連れ去られたのか、わしにもわからんくらいや。
そこでな・・・・・・」
「目を付けられたのが、エティエンヌってわけね」
苛立ちを隠せなかったあたしは、狐父さんの言葉にかぶせるように言い、
「ふふふ・・・・」と、不気味な薄笑いを浮かべた。
「エティエンヌは、人間じゃないから寿命ないし、ちょうどいいもんね」
「まぁ、そういうことやな」
何が『そういうことやな』だ!
いくら神様だからって人の男を勝手に連れて行かれてたまるもんか。
あたしになんの断りもなくエティエンヌを連れていくなんてこと、絶対、許さないんだからね。
「イザナミがスサノオがなんぼのもんじゃ。
人間、なめてんじゃねぇぞ!」
あたしは、堪忍袋の緒をぶちっとぶち切って、高らかに言い放った。
ああ、最近、啖呵ばっかり切ってるような気がするわ、狐父さんに似てきたのかしら?
「緋奈、そないな罰あたりなことを・・・・」
狐父さんが、あわあわと慌てて、あたしの口を塞いだけど、撤回する気なんかこれっぽっちもない。 だって、人のもんを取るヤツは泥棒なのよ。例え、神様だろうとなんだろうとね。
それに、いつもジャンヌの生まれ変わりだからって不愉快な目に遭ってるんだもん、エティエンヌの所有権くらい主張させてもらうわ。エティエンヌはね、1429年からずーっとあたしのもんなのよ。
「父さん、あたし、行くわ、黄泉に。
エティエンヌは、あたしの羅針盤だもん。絶対に取り返してくるわ」
あたしの口を塞いでる狐父さんの両前足を握って宣言すると、狐父さんは、あたしの手を邪険に振りほどいて、あたしの頭をばしばしと叩いた。
「このドあほがっ!
黄泉なんぞ人間の行けることやない!」
「ですが、箭弓様。その男を救わねば、この日の本は、立ち行かなくなります」
今まで傍観者だった小さな使神さんがあたしの肩からあわてて下りて、あたし達の間に割り込んだ。
「・・・・わかっとる。エチはんが日の本にも緋奈にも必要なことはな。
だが、わしは、緋奈にこれ以上、辛い目におうて欲しくないんや!」
「箭弓様のお気持ちはわかります。
ですが・・・・」
と言うと、使神さんは、拝殿をちらりと振り返った。
そこには、油揚げのほか、お饅頭や千羽鶴などのお供え物が整然と置かれている。この神社も狐父さんとこと同じように近所の方から愛されているのだ。
「わたしは、わたしを頼りにやってくる人を見捨てることができません。
箭弓様がそこの娘を可愛いと思われるのと同じように、わたしも彼らが可愛いのです」
上下関係の激しそうな神様の世界で、ずっと上の地位にいる狐父さんに逆らうのは大変なことなんだろう。使神さんは、耳をペタンと寝かせ、体をいっそう小さく縮こませた。
すると、狐父さんは、にわかにはっとした様な顔になる。
「蔦稲荷よ、すまんかった。
わしは、親バカが過ぎたようやな」
狐父さんがそう言って頭を下げると、使神さんが泡を食ったように両前足をパタパタしてあわて始めた。
「だが、わしも行くで、緋奈と一緒に黄泉にな」
「それはいけません。箭弓様は、今や稲荷神の№2。
黄泉に行かれてもしものことがあったら、結界に綻びが生まれます」
「そうだよ、父さん。
父さんが待っててくれなかったらあたしはどこに帰ったらいいのよ」
あたしは、使神さんに言い添えた。
狐父さんの気持ちは、死ぬほどうれしい。この世界よりあたしを大事と言ってくれるただひとりの人(?)だ。
それに、神様が黄泉に行くのはどうなんだろう。イザナギ神のように帰って来れるもんなのだろうか。狐父さんは、簡単にあたしと一緒に行くと言うが、どうも不安だ。自分の身の安全を後回しにしてる気がする。
「これはどう考えてもあたしの仕事だよ。
父さんには、父さんの仕事があるでしょうが!」
あたしは、まだ納得していないふうな狐父さんにぴしゃりと言った。
狐父さんは、たぶん、数少ない人間側についてくれる神だ。
もし、あたしに何かあった時のために、ってか、死ぬつもりなんかこれっぽっちもないけど、最後の砦としてこの国に残しておきたい。
それでも、頭をぶんぶんと振ってる狐父さんに、あたしは、
「絶対にエティエンヌを連れて帰ってくるから、待っていてくれるよね?」
と、『これ以上、駄々こねたら怒るよ』という気持ちを滲ませて、ダメ押しをした。
「絶対やな、絶対やな? 約束したで」
と、言いながらしがみ付いてくる狐父さんに、あたしは、「ほら」と小指を差し出した。
「指きりげんまん ウソついたら 針千本 の~ます 指切った!」
狐の手と指きりするのは、ちょっと無理があったけど、あたし達は、なんとか指切りをした。
そして、ようやく落ち着いた狐父さんは、ふいに思いついたように言って寄越したのだ。
「道返しの岩は、どうするんや?」と。
「えっ・・・・?」
道返しの岩、または千引の岩と言われる岩は、黄泉と現世を隔てている。
イザナギ神が黄泉から逃げ帰る際、黄泉の入り口のフタをしたと言われる巨石は、千人の力を持ってしなければ持ちあがらないと言われている。
「父さん、どうしよう?」
あたしは、早速降って来た難題に頭を抱え、狐父さんと使神さんをかわるがわる縋るような目で見つめたのだった。




